2011年12月30日金曜日

仕事納め

河島英五の初版本とサイン
今年も今日が「仕事納め」の日となった。

色々なことがあった一年だが、何が来年に繋がっていくかと考えれば、ひとつは「胃がん検診をABC検診として実施すること」を挙げたい。 
勿論、円空さんと関連のことがらも…です。

「ABC検診」のメリットやデメリットを考えればメリットの方がとても多く、ちゃんとした「がん検診のデータファイル」を作成することで、将来にわたって個人はもとより自治体にとっても有益となること間違いなしでしょう。 その足がかりがやっとできたのが、今年です。

来年もひとつひとつ実行に移して行けるものをやっていきたいです ネ

2011年12月29日木曜日

坂の上の雲の主人公

「向日葵の会」花田冨
三年間に亘るNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が完結した。 文明史家でもある作家の司馬遼太郎、まことに小さな島国の、さらに一つの島である四国の一城下町の松山に生を受けた三人の若者を主人公にして、文明開化をし西欧諸国に追いつき肩を並べようとやっきになって突き進んでいる明治という時代の前半を、坂を上るとその向こうに一筋の希望の「雲」が見えるという情景に見立てて書きあげた壮大なスケールの歴史ドラマです。

秋山好古・真之兄弟と、幼馴染の正岡子規がその三人です。 正岡は学校の教科書にも載っていて三人の中ではよく知られた人物で、ヨーロッパの自然主義の影響を受けて「写生・写実」による現実密着型の生活のあり様を詠むという新しい詩情を開拓した近代俳句の創設に尽力し、明治30年には俳句雑誌『ホトトギス』を創刊し、多くの弟子を輩出している。 

秋山兄弟のことは、正直言って司馬遼太郎の本を読むまでよく分からなかった。 日清・日露戦争で大活躍した二人ですから、戦前(第二次)ならば国民学校の教科書に詳しく載っている人物で子どもたちに大いに人気があったことでしょう。 特に真之は、日露戦争での日本海海戦の作戦を一手に引き受けて実行した作戦参謀で、日本海軍を勝利に導いた功績は大なるものがあっただけに有名だったと思う。  「本日天気晴朗なれ共、波高し」という、当日の海戦開始にあたっての名言は、真之の言葉だったと言います。 

海戦は、ロシア・バルチック艦隊の38隻のうち目的地のウラジオストックにたどり着いたのは、たったの4隻で完全なる日本海軍の勝利であった。 「丁字戦法」という作戦を取らなければ、もっと日本の打撃は大きかったろうし、ロシアが海戦を勝利していたかも知れない。 尚、好古は大陸にいて、騎馬隊を組織し、陸軍としてロシア戦(奉天会戦など)に大活躍した。

その勇猛果敢に明治という時代で大きく羽ばたいた三人の死因は、いずれも感染症であった。 子規は、21~22歳の頃に喀血して「結核」に罹った。 34歳という若さで「脊椎カリエス」で亡くなった。
真之は「盲腸炎」が進行し、「腹膜炎」で亡くなり(49歳)、兄好古は「壊疽」で足を切断するも、時期が遅すぎて「敗血症」となって亡くなった(71歳)そうだ。 いずれも抗生物質の使用できる現代であれば、はじめの病気で治っていた病であっただろうに・・・。

まだペニシリンが発見される以前の明治という時代の西洋医学の黎明期での出来事でした ヨ

2011年12月22日木曜日

大胆に、繊細に


今夜のカンブリア宮殿は、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)の社長の増田宗昭がゲストとして登場していた。 「Tカード」というポイントカードで有名なレンタルビデオの蔦谷と言えばお分かりでしょうか。

巷は今やカード時代です。 が、顧客の個人情報を持っているのは「Tカード」の特徴だそうで、他のマネーカード(エディなど)との大きな違いです。 コンビニなどで使用された「Tカード」は、購買情報も得ることができるため、次の商品開発などに有利で、その情報は広く利用されており、圧倒的に他のカードをリードし優勢を保っているそうだ。 

そうした企画は、いかに顧客を満足させるかという発想から行っていると増田社長は力説した。 頭と心が物事を考え判断していくとすると、絶対で判断したことの方が顧客満足につながるとも言う。 

「Tカード」は、20代が圧倒的に持っていて、60代後半の資産(貯蓄)を一番持っている年代はゼロという現実を知った増田さんは、今月東京の代官山に「蔦谷書店」をオープンさせた。 何の宣伝もしないのに連日予想した年代(団塊の世代)を中心に店内にはお客さんがたくさん集まり、いつもは人のいない代官山が大いに活気を帯びてきているそうだ。 今後の発展(成功か失敗か)が見ものだと期待している増田社長の笑顔が印象的だった。

対談を終わったあとの村上龍の感想は、「悪魔のように大胆で、天使のように繊細だ」と増田社長のことを評していた。 とても魅力的な人物なんです ネ



2011年12月19日月曜日

島の医者

「向日葵会」早瀬信子
道新の日曜朝刊の三面記事に、ある島の医師の話が載っていた。 道立天売(てうり)診療所に9年間勤務していた相原正彦(56)先生は、病に侵された為に札幌の病院へ転院して治療を受けています。 

医師一人に、看護師、事務員の三人体制でやってきた診療所は、今回の相原先生の無念の離島のため医師不在となり、診療所の継続が危ぶまれたが、道は当面の間、留萌市立病院や札幌医大などから交代で医師を派遣する方向で調整しているという。

神奈川県の循環器専門病院の副院長からの転身だった相原先生は、高度な設備もなく、診療は聴診器と五感が頼りで、「竹やりを持って戦に出ているようなものだった」と回想している。 頼りのフェリーが冬になると頻繁に欠航するため、一刻を争う急患搬送などではとても苦労したそうで、離島ゆえの診療の難しさを抱えた過酷な9年間だったとも振り返っています。 ほんとうにご苦労様と言いたいです。


財団法人日本離島センター(東京)の2009年の統計によると、日本国に人の住んでいる島は310島あるそうです。 多いとみるか、こんなもんだと言うかはわかりませんが、わたしはその数に驚きました。 そのうち、常勤の医師がいるのは147島、非常勤医のみが47島で、残りの116島には医師はまったくいません。 つまり約4割の島に医師がいないという現実です。

これらの「無医島」には、近隣の医師が巡回して診療にあたってくれているそうです。 道内では、奥尻、天売、焼尻、利尻、礼文の5島には医療機関があり、今回の天売島以外のところには常勤医がいますから安心です。 が、それでも実情は色々と難しいこともあるようです・・・ ネ

2011年12月14日水曜日

母の教え

「向日葵会」
順天堂大学の加齢制御医学講座教授の白澤卓二先生は「アンチエイジング」の第一人者です。 先生が曻地(しょうち)三郎さんという105歳の現役教育博士に会った時に教えられた長寿の秘訣「母の教え」でしたと、ある週刊誌で述べています。

現在106歳の曻地さんは、100歳を期して世界一周講演旅行を始め、今年で5回目を数えている。 訪れた国はなんと35カ国以上だそうです。 しかも、英語、ドイツ語など5カ国語の他に、101歳でポルトガル語を家庭教師をつけて学ぶ好奇心、チャレンジ精神の旺盛な人です。

その曻地さんのモットーは、「常に夢をもって努力すること」、「健康は影なる努力によって保たれる」ということです。 努力という言葉が印象的です。 

子どもの頃は体が弱く、3歳になった曻地さんに母親が「一口で30回噛みなさい」と教えてくれたそうです。 その母の教えを102年間実践し続けたおかげで、結果的にカロリー制限にもなり健康を維持出来ていると考えられます。 

医学会でも聖路加国際病院の名誉院長の日野原重明先生も100歳を迎えられて、すこぶる元気です。 先生の長生きの秘訣も、「少食(80歳からは1300キロカロリー/日)」と「挑戦すること」と言いますから、曻地先生と似ています。 先生は10の生活習慣を守ってもいるそうです。 週2回の診察、年170回の講演、海外出張は年5回などなど、本当に現役のドクターです。


さて、最近の研究によると、咀嚼には唾液分泌が増して消化吸収が良くなる効果、虫歯や歯周病を予防する効果のほか、脳の血流が増加し脳が活性化される効果があることも分かってきました。 

また、咀嚼をしながらMRI検査を行なうと、若い人の場合は咀嚼筋を動かしている脳の運動野だけが活性化されるが、高齢者のMRIは運動野だけでなく、前頭葉や側頭葉も活性化されていることがわかるのだそうです。
つまり咀嚼は脳の「アンチエイジング」につながっていたのです ネ

2011年12月12日月曜日

どぶから油

A;寧波市 (Googleより)
先週末は函館に一泊となった。 ある祝賀会がそのホテルで行われたため、インターネット予約しておいた。 

朝、部屋でいつもとは違う新聞(中央紙)を手に取ってみると、「どぶから油、食卓へ」というチャイナ ルポが一面を飾っていた。


どぶからでる油が食卓に出回っているー。 10年ほど前から福建、重慶、西安などで報じられてきた疑惑が、今回9月の中国公安省の捜査で裏付けられたという記事です。 消費者の不安が現実のものとなったわけです。 

淅江省寧波から車で約1時間の寧海県郊外の畑の一角で「地溝油(ティーコウユー)」(どぶ油)が作られていた。 寧海県から50キロも離れた村で農業をしていた夫婦は7年前、知人からもうかる仕事があるからと誘われた。 深夜、町のホテルやレストランを回り、調理室につながる排水溝のゴミを集め、釜で4時間ほど煮詰め、浮いてくる油をすくい取る。 その油は山東省済南のバイオディーゼル工場で不純物を除去され、河南省鄭州の業者が食用として販売していた。 

地元紙によると、経営者は月平均500トンの地溝油(どぶ油)を生産し、25万元(約300万円)ほどの利益を上げていたそうです。 四つ星ホテルなどにも納品されていたというから恐ろしい話です。

ルポはさらに続き、広東省の東莞と広州を隔てる川のほとりの倉庫で病気で死んだ豚の肉でベーコンが作られていたとか、同じ広東省の珠海郊外の畑では使用禁止の有機リン系の農薬ポレートを使って大根を栽培していたなどの内容です。

これに対し、中国政府も黙ってはいません。 中国当局が昨年検挙した食の安全をめぐる事件は13万件に上っていることから、食品安全法を施行し、監督強化や基準の統一を図るとともに損害賠償額を10倍にあげるなどの対策も進めている。

食の安全は、即「健康」に反映されるだけに、僅かばかりでも疎かにできないことです ネ

2011年12月11日日曜日

介護保険運協

「向日葵会」田辺圭子
先週の金曜日(9日)に、今年度2回目の福島町の「介護保険運営協議会」が役場で行われ、出席してきました。 

H12年から始まった介護保険制度は3年毎に見直されることになっているため来年がその節目の改正年にあたります。 委員の全員が参加した会議となり、「第5期」介護保険事業計画の進行状況など話合われました。 当然、1号被保険者介護保険料の見込みなども話題に上りました。

今年の「ふくしま町広報」にも記事が載ったことがありましたが、「介護保険は赤字・・・」というものでした。 平成22年度の決算では、単年度収支はマイナス150万円だが、実質収支はもっと多いマイナス1750万円だという内容です。 

介護給付費は総額4億3千万円余りで、介護サービスを受けたいという利用者も年々少しづつ増加してきているものの、給付費(利用者の使う金額)は予測した推計金額よりもかなり多くなってきてしまっています。 居宅(自宅など)のサービス量が増えていて、なかでもホームヘルパーサービス(生活介護、身体介護)が急増しているのが現状です。 

生活介護は、食事支度・洗濯・掃除など日常生活していくなかで是非とも必要な行為だが、自分ではどうしてもできない被保険者が一割負担でホームヘルパーに代わりにやってもらうというものです。 身体介護は、麻痺した手足のため、風呂に入れないとか、おむつ交換できない時の介助や、病院受診などで移動ができない時も介助を頼んでしてもらうことなどです。

いずれも、介助が無ければ一日たりとも暮していけない状況に置かれている被保険者が一割負担で生活していけるという制度なんですから、破たんされては困ります。 赤字が続けば、赤字解消の手段が講じられます。 財源確保は保険料金の値上げ・・・という非常手段になってしまいます。 

だが本当にそれでいいのでしょうか? 

先の「ふくしま町広報」では、急増しているホームヘルプサービスについての解説と見解を述べています。 「必要以上の過剰なサービスは自立を妨げるだけではなく、保険料増加にもつながります。 利用者も本当に必要なサービスかどうか見直してみましょう。」と、特集記事の最後を締めくくっています。 担当者の叫びに耳を傾けなければ、赤字の介護保険制度を維持していくために保険料の値上げという結果に本当になってしまいます。 

担当者達は、来年一月から介護保険の現状報告のために各町内会を廻るそうです。 しっかり報告説明を聴いて、より良い安定した制度にしていくために、町民みんなで知恵を出し合っていく必要があると思います ヨ

2011年12月6日火曜日

世界のマリモ

北海道の阿寒湖に生息している特別天然記念物のマリモが、実は渡り鳥(?)によって、主に北半球にある多くの湖に運ばれて生息しているということが釧路市教育委員会の若菜勇マリモ研究室学芸員らの遺伝子解析によって明らかになったという記事が、昨日の道新朝刊に出ていました。

つまり、日本国内はじめフィンランド、アイスランド、アメリカそしてサハリンなど34箇所の湖沼のマリモの分析から、北半球200カ所余りで生息が確認されているマリモの全てが「阿寒湖のマリモを起源とする」ということが解ったのです。 素晴らしい発見だと思います。

渡り鳥のコハクチョウやカモ類などの胃の内容物からマリモが確認されており、13万年前頃から各地へ広がったと考えられるそうです。 10年以上も前からマリモ研究をしてきた若菜さん(54)は「阿寒湖が世界中のマリモの古里ということに驚きを感じる・・・」と述べています。 きっと物凄く感慨深いものがあるということでしょう ネ

2011年12月5日月曜日

カラスの記憶

「なご美会」熊谷正春
今夕の道新の夕刊に「カラスの記憶力 人間以上?」という記事が載っている。 

宇都宮大学農学部の杉田昭栄教授らのグループが10年前からカラスの生態研究を行っているもので、今回はカラスの「色の記憶」についてまとめたものです。 一度色を識別すると、90%の確率で一年後でも同じ色を識別できるというものです。 

人間でも色彩を一年間覚えていることは難しいそうですから、カラスの優秀さ(?)がわかるというものです。 杉田教授らは、その他にも人間の男女の顔を見分けられることや、数の大小を認識出来ることも解明しているそうです。


やっぱり、そうでしたかというのが私の感想です。 と言うのも、今年ゴルフ場でパット練習している時に、カラーのニューボールを二度も立て続けにカラスに持って行かれたという事件がありました。 カラスが色を識別できるのか否かわからなかったので、頭を抱えていたが、今日の杉田教授の研究でハッキリわかりました。 

また、これもゴルフ場でのことですが、仮に持ち逃げされたボールを取り返そうとして、犯人のカラスを追いかけたり物を投げつけたりしたら、後で糞をかけられたり、頭を襲われたりするということを聞いたことがあったが、まさに人の顔を認識することもできるという今回の研究結果から十分理解できます。

カラスの能力の凄さを思い知らされた報道記事でした ネ

2011年12月2日金曜日

函館消化器病懇談会(H23)

「なご美会」熊谷正春
今年の「函館消化器病懇談会」の最後の例会が、今夜函館市内のホテルで行われた。 懇談会の忘年会も兼ねる会だったため、例年通り北大の加藤元嗣先生が講師として来函され、専門のピロリ菌関連のお話をして下さいました。 ABC検診の話です。

胃がんの住民検診(対策型)は、従来から「バリウムによるX線検査」と決まっています。 胃がん死亡率の減少効果がはっきりしている検診法は、バリウムを飲んで撮影される「胃X線検査法」だけだからというのが厚労省の言い分です。 厚労省には数多くの「○○斑会議」という名の会議があり、国民のためになる、国民に還元できる施策を決めています。 

2005年の祖父江斑会議でも「がん検診」についての決定を行っています。 その一つが、胃がんの検診については、住民の対策型として唯一「X線検査法」を推奨しています。 それ以外は、死亡率減少効果がわからないからという理由からです。

ところが、今夜の講演で加藤先生は、「広島大学の吉原先生がPG(ペプシノゲン)法でも胃がんの死亡率減少効果があるという証拠を2007年に発表している」という話をしてくれました。

Yoshihara M  et al; Scand.J.Gastroenterol 42: 760-764. 2007


この雑誌にすでに投稿していたのです。 ですから、PG法による胃がん対策型住民検診も可能であると国が認めてくれれば、自治体も直ちに採用に踏み切れるでしょう。 

今までの研究成果から、胃がんの発症にピロリ菌が関与していることは世界的に多くの研究で確認され、特に北大三内の浅香教授らの「ランセット」に発表した二次胃がんの研究によって確実に証明されたと言っても過言ではないでしょう。

道内では、今年われわれの行っている「健康フェスティバル」で小規模ながら{ABC検診」を実施しました。 来年の新年度からは福島町として「ABC検診」を実施する方向で計画が進行中です。 胃がんのリスクを検診した後、早期胃がんの発見のための二次検診としてバリウムX線検査や胃内視鏡(カメラ)検査を実施する「あたらしい胃がん検診」を構築すべきと考えます。 これからです ネ

2011年12月1日木曜日

恋するさくら

松前町の知人から『恋するさくら』という本を頂きました。 松前町が4年前から全国公募で行っている「夫婦の手紙全国コンクール」の第4回の優秀作品を載せた作品集です。

全国から3035通の手紙の応募があり、その中から最優秀賞・優秀賞の各一編、特別賞三編など計106通の手紙が納められているもので、海外(イギリス)からの作品も選ばれています。 

どれもこれも素晴らしい作品で、年代によって相手への呼び名や言葉がけの話し方、勿論物事の捉え方などの違いもわかり、ある意味で「夫婦(めおと)史」という見方もできるのではないだろうかと思います。

「夫婦の手紙」が現代社会の渇きを潤す「水」となることを願い、これからもコンクールを継続していくことを、実行委員会一同願うばかりです・・・という実行委のはじめの言葉どうり、桜の木の成長と共にコンクールも育って行って欲しいです ネ

2011年11月28日月曜日

勝敗

「なご美会」熊谷正春
ゴルフ、相撲、サッカー、フィギュアスケート、そして選挙・・・など週末はとにかく色々なイベント・試合が行われました。  結果は、予期せぬこともあれば、予想通りのものもあった・・・。 勝敗を分けたポイントは何だったんでしょうか?

ゴルフ; 男子ゴルフは17番ホールだった。 共にトップを走っていた高山選手と宮里選手のティショットが明暗を分けた。 先に打った宮里のボールは、左に大きくフックしてラフに落ちた。 ボールは沈み込み、二打目が思いやられた。 案の定、グリーンの奥にこぼれて、ライの悪いラフに止まった。 もうだめです。 三打目も、アマチュアがするようなアプローチの失敗でピンをワンピン以上も外してしまった。 

高山がパーセーブしたのに対し、宮里はボギーをたたいてしまい万事休すです。 次の18番ホールは、余裕のある高山は二打オンのイーグルチャンスにつけた。 高山は、開幕戦に続く勝利を挙げることができました。 今回も最終組で回った宮里だったが、勝利の女神はまたも微笑まなかった。 

17番のティグランドに立った時の宮里は、その時何を思ってドライバーを振りぬいたのでしょうか?


相撲; 幕内の優勝は横綱が大方の予想通り千秋楽を待たずに決めてしまった。 地元新大関の誕生で盛り上がりを見せたものの、波乱はなかった。 それに反して、十両は必至な力士たちで大いに活気が見られた。 (いきおい)という新十両力士が初優勝です。 よくがんばったものだと感心します。 初日は九重部屋の千代桜との対戦で勝った。 中日までにやはり九重部屋の千代嵐と対戦し、勝っている。 

ところが、千代桜・千代嵐の二人とも、千秋楽を待たずに休場することになってしまったが、その理由が勢との一番で負傷した(?)ことらしいのです。 事実か否かは、これからはっきりするでしょうが、その勢に九重部屋の三人目として対戦して、同僚の苦敗の借りを返したのが千代の国でした。 

彼は9勝6敗の好成績で、ひょっとすると初場所は幕内力士も夢ではない結果になりましたが、序盤戦は1勝5敗の散々のスタートだったのです。 負け越しも覚悟した相撲内容だったが、何が彼を変えたのか来年の夏巡業で福島町へ来た時に聞いてみたいものです。 それにしても、タバコは止めた方がいいですよ!

サッカー; ロンドンオリンピックへの最終予選が国立競技場で日本とシリアの間で行われた。 後半、同点に追いつかれた日本が、比嘉選手のクロスボールをドンピシャのタイミングでゴールに走りこんだ大津選手のヘディングで何とか勝ち越し点をもぎ取った。 試合後のインタビューで大津選手は、「普段の練習でもやっていることだから」と話した。 彼は、召集された選手の中でたった一人の海外組のはずで、合同練習も多くはやっていないはずなんですが・・・。 今回の勝ち越しゴールは彼のスポーツセンスだったんでしょうか?

フィギュア選挙戦もきっと勝敗を分けたポイントがあったはずです。 それはまたの機会にです ネ

2011年11月25日金曜日

熊出現

「なご美会」熊谷正春
突然ですが、福島町にも「熊が出た」というニュースです。
昨日の午後4時頃と、午後7時半頃の二回、目撃情報があったと今朝の「函館新聞」に記事が出ています。 

館崎の青函トンネルの「メモリアルパーク」で、初めに目撃された。 その後は、海側の方から山へ向かって国道(228号)を横切るように歩いている体長1メートルくらいの熊が目撃された。 おそらく同一の熊だろうという話ですが、民家に近い所での出没なので心配です。

しかも、「メモリアルパーク」は、わたしの診療所(オガクリ)から見えるところにある場所ですから、通院患者さん達も不安なことだろうと思います。 町の方からも警戒を十分するようにとの話です。

気候の所為で山の幸が不足しているためだろうが、雪が降ってきたから、いつもならすでに冬眠していてもいい頃なんだが、冬眠も出来ずにそのあたりをウロウロしている熊にも同情してしまいます。 


道南でも最近はだんだん熊の冬眠が遅くなってきているのかも知れません。 
先日講演を聞いた「も~さん」(毛利剛)の話でも、12月8日に森町の鷲の木を出発して、鹿部ー南茅部ー函館という「箱館戦争」時の土方歳三隊の侵攻ルートを歩いた時に、12月だと言うのに峠の雪道の上にはウサギの足跡に混じって熊の足跡と糞を見つけたそうです。 幸い熊とは遭遇しなかったものの、ちょっと怖かった(?)そうです。

当町の「メモリアルパーク」の場所は、今から5000年程前には縄文人が暮らしていたところです。 今年の夏、日本で最大の岩偶が出土したことでも有名です。 縄文時代の彼らは、熊なら獲物として勇敢に闘い、食糧としていたのでしょう カ

2011年11月23日水曜日

勤労感謝の日

「なご美会」熊谷正春
昔は、「新嘗祭(にいなめさい)と言って、宮中祭祀のひとつで、天皇が五穀の新穀を食し、その年の収穫に感謝する祭でもあります。 太陽暦採用の明治6年(1873)から、1947年まで行われた祝祭日の行事で、その後は「国民の祝日」のひとつとして「勤労感謝の日」なりました。

五穀とは、昔(古代)と今とでは大分違うようですが、現代は米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多いようです。 これら五つの穀をブレンドしたものを五穀米とよく言いますが、これはある商店が売りだして、登録商標されたものの呼び名なんです。 

今日は色んな意味で大切な一日でした ネ

2011年11月21日月曜日

道南医学会(H23)

今年度は、初の試みとして土曜日の午後2時からの開催となった「道南医学会」は64回目を迎えました。 函館市内のRホテルの3会場で72の演題が効率よく発表されました。 

中でも、北三原クリニックの岡田理事長が発表された『開業医が求める地域連携』という特別報告を大変興味深く聴きました。 地域のかかりつけ医が病院の専門医とIC(インターネット)を介して診療情報を共有するという試みは、広範囲の医療圏の道南地域にあっては今後運営次第によっては強力なシステムとなりうることでしょう。 患者さんのメリットも多いものと思われます。 
「なご美会」熊谷正春

実際に北三原クリニックでは、病院から退院する患者で在宅療養に移行する場合、必ず「退院前カンファレンス」を行って、患者・家族と共に両主治医、看護師、ケアマネなどスタッフみんなが顔を合わせるそうです。 そうすることによって、患者が在宅で療養していく心構えなども構築されていくようですし、家族も覚悟を決めるみたいです。 在宅医療は医療側も患者側もお互い大変なんです。

「オガクリ」も最近、『MedIka』を始めました。 函館市内には、他にGネット、Cネットなど各総合病院毎にICネット連携網を持っています。 『メディカ』は、道南100以上の医療機関が参加しているネットで、入退会が楽にできる(?)と言われてますが、使い勝手の良いシステムだと思います ヨ

2011年11月20日日曜日

蝦夷の旧道 ロマンの旅

道民カレッジ連携講座「ほっかいどう学」の学習成果実践講座in函館が、函館の亀田福祉センターで行われました。 たまたま新聞で見た記事を頼りにセンターへ行ってみました。 というのも発表の講師が、以前新聞で紹介されたことのある旅人「も~さん」(毛利剛)と分かったからです。

会場は定刻を過ぎてもまだ空席が目立つ状態で、実のところちょっと肩すかしという印象です。 が、講演が始まってみると、やや朴訥な話しぶりながら、対験に裏打ちされた自信にみちた話にすっかり魅了されてしまいました。

旅人「も~さん」毛利剛
会社をリタイアした後、自転車で日本一周の旅を経験し、その後箱館戦争で活躍した土方歳三に魅了され、彼の戦いの足跡を訪ねて歩く「ストーリーのある旅」を体験することになった経緯を詳しく話してくれました。 

2009年の12月5日に森町の鷲の木をスタートしたもう~さんは、箱館戦争の時の土方隊の行程250Kmを雪の寒波が押し寄せているなかを野宿して独歩した。 箱館戦争の時の「星恂太郎日記」を読み、実際の戦いの現場を想いうかべながら歩くことによって、歴史をより現実的に理解ができるんだという思いからです。 こうした旅で知ったことは、旅の楽しさはストーリーにある事だということです。

それにしても真冬の夜の野宿は、相当に辛いことだと思うのですが、それすらもストーリーのある旅の愉しみの方が優先するらしいんですね。 現在69才という年齢のわりに大変お元気です。 日頃から鍛えているからでしょうね。 これからもどしどし旅を楽しんでもらいたいです ネ

PS: 毛利さんによると、千軒の笹島さんが発見した千軒地区の知内川に架かる旧橋があり、そこに使われていた釘は、川汲の見張り場に架かっている橋に使われている釘と非常によく似ているそうです。 それが正しいとすると約150年前のものといえるそうです。)

2011年11月18日金曜日

今年の日本シリーズ

「なご美会」熊谷正春
今晩の試合は、二勝二敗の五分に持ち込んだ「ダイエーホークス」か、持ち込まれた「中日ドラゴンズ」か、第五戦目を勝利したチームが『日本シリーズ』に王手を掛けるため大事な大一番です。 今試合が始まったばかりなので、勝敗の決まったあとでブログの更新をします。 (18時30分)

10時過ぎに試合が終わった。 ソフトバンクが8年ぶり5度目の日本シリーズの優勝に王手を掛けました。 5-0という結果です。 名古屋でソフトバンクが三連勝してしまった。 投手山田がシリーズ初先発で大事な仕事をやり遂げました。 

一日休んで、土曜日に決着がつくのだろうか? 勝敗の行方は神のみぞ知るというわけです。 敵地でドラゴンズが逆襲の末、勝利を得るのか、とてもスリリングな試合になるかとっても愉しみです ネ

2011年11月14日月曜日

小惑星イトカワ

「なご美会」熊谷正春
北海道医師会の「創立64周年記念講演」が、13日の日曜日、札幌市内のホテルで行われました。 講師は、北大の圦本(ゆりもと)教授です。 
と言っても、ピンときませんか? 「小惑星イトカワ」、「はやぶさ」という単語でわかりませんか?

そうです、7年にわたる宇宙の旅をおえて地球に帰還できた宇宙探査機「はやぶさ」が、奇跡的にも「イトカワ」に着陸し、そこから持ち返った微粒子を北大に設置している『同位体顕微鏡』を用いて分析し、約46億年前の太陽系誕生当時の姿と謎に迫ろうというロマンのある研究をしている先生の話です。

イトカワは、サツマイモのようないびつな形をした小惑星で、地球と同じく太陽の周りを公転しているが、もっとも長い部分でも約540メートルしかなく、天体同士が衝突して惑星になりきれなかった姿と考えられています。 そこに存在する石は衝突してできた当時のままの組成と考えられています。

はやぶさが持ち帰ったイトカワからの微粒子は約1500個あり、大きさは最大で0.1㍉ほどのもので、はやぶさのカプセル内から見つけ出すのにひと苦労したそうです。

太陽系内の酸素原子は質量の異なる同位体が3種類存在するそうで、地球上に一般的にみられる酸素は酸素16(O16)というものです。 原子核に中性子が1個多く含まれる酸素17(O17)と、2個多く含まれると酸素18(O18)という同位体となり、数字の大きい方が質量は重いが性質はいずれも同じということです。 それらの構成比率は惑星や隕石によって異なることもわかっています。

地球上の同位体酸素の割合は、99.8%がO16で、O17O18は共に極微量です。今回、イトカワからの微粒子の同位体酸素の構成比率を(O17/O16を縦軸にO18/O16を横軸にして)グラフに描いてみると、地球上のものと全く異なることがわかりました。 

月は45億年前、地球に火星ほどの大きさの天体が衝突した時、ちぎれてできたと考えられているので、月に存在する「水」は地球由来だと思われていたが、圦本教授らの同位体顕微鏡を用いた「月の石」の分析から、そうでなかったことがわかったと言います。 月の内部に含まれている水は、水素と重水素の割合が地球のものとまったく違っていることがわかりました。 

そこから考えられることは、地球の重力が大きかったため月が形成される時、地球上の水の多くはそのまま地球に残ったという意味です。 月の水は、ハレー彗星や百武彗星などの水に近かったので、月がドロドロに溶けていた時代に多数の彗星が衝突したことによって、彗星の水が月に取り込まれていった可能性が考えられるということです。

同位体顕微鏡という特殊な機器を活用することで、世界的に通用する仕事(研究)を成し得ている先生に敬意を表したいと思います。 1969年、アポロ月面着陸のニュースを衝撃を持って聞いた小学3年の圦本少年が、その時から宇宙への夢を持ち続けて現在に至っているという人生も羨ましく、素晴らしいと思いました ネ~




2011年11月13日日曜日

文化講演会

昨日の午後4時から、函館市内のホテルで渡島医師会主催の「文化講演会」行われました。 2年毎に開催しているこの講演会は今年で三回目を数えます。 

今までの2回は、田崎真也の「ワインの話あれこれ」、札響の「室内弦楽5重奏の夕べ」で、いずれも多くの会員の先生方とご家族、そして職員の方々にも出席していただき、たいへんな好評を博してきました。 

小朝師匠
3回目の今回は落語を聴く会を企画しました。 噺家は、春風亭小朝さんにお願いすることができ、「春風亭小朝独演会」として120名余の来場をしていただきました。 小朝師匠の他に、勢朝師匠、木りんさんら弟子の出演もある盛り上がった会となり、来場されたみなさんの大きな笑声が会の始まりから終わりまで絶えまなく続いていたという感想です。 

大いに笑った後は、懇親会で会員・家族・職員同志みなさん親交を深めあっていました。
春風亭勢朝


柳貴家雪之介
こうした文化講演会を通して、医師会への理解をより深めていただくとともに、医師会活動への更なるご支援をしていただければと思います。 よろしく ネ

2011年11月11日金曜日

主治医研修(介護保険)

「なご美会」熊谷正春
昨夜は「介護保険制度の主治医意見書研修会」が函館市内のホテルで実施されました。 6時半の開始に少々遅れたが、本題から話を聞くことができた。 

介護保険制度は平成12年4月に創設されてから11年が経過してます。 当初、約140万人だったサービス受給者が平成22年4月には403万人に膨れ上がっています。 高齢者の6人にひとりが認定されている計算になります。 

道医師会の前川常任理事が講師として来函され、自分の地元旭川市での介護保険制度の運営上での経験を活かした事柄なども紹介しながらのお話だったため、緊張感のあるいい研修会となったと思います。 

主治医の意見書のための患者さんの来院時は、お話を伺うにしても診察するにしても時間をかけて行わなければならないので、お互いにたいへんな時もあります。 そんな時に、前川先生が紹介してくれた「問診表」を活用すれば、丁寧で迅速な診察ができそうです。なぜなら、旭川の先生方が苦労して作成された「問診表」だからです。  

年々増え続ける介護保険利用者は、高齢化してきている国の人口構成を考えると当然のことです。 要は、この制度を上手に使っていかなければなりません。 給付と支払い保険料の問題など、制度が始まって10年も経っているのに課題が山積みです。 来年の改正に向けて政府は今まだ改革の途中です。 より良い制度に進化していって欲しいと願うのは、国民みなさんの望みなのですから ネ

2011年11月6日日曜日

南北海道駅伝競走大会(第29回)

雨の予報が旨い具合にはずれ、曇天ながら外気温12度と、駅伝にはまずまずのコンディションと言えそうです。 毎年のことだが救護班として駅伝に参加するようになって、21回目だろうか? 今年が29回目の大会ですから、もう三分の2は参加していることになります。大会の救護班の運営面からいえば、改善が必要と思われたところもありました。 

まず、コースは3つに分けられ、ひとつは6人のランナーが走る「6区間」と、4人のチームの「4区間」で男子と女子に各々区別され全体で3コースとなります。 「4区間」は距離の関係からコースを2周することになります。 「6区間」は10時スタートで、10時10分に男子「4区間」、10時20分には女子「4区間」が各々スタートし、わたしの乗った救護班の車は女子の最後尾を伴走することになります。 スタートして間もなく、どんどん遅れていく走者に合わせて走る救護班車は、ノロノロとハザードランプを点滅させて走ります。 

今年は車窓から見える駅伝コースにそった福島の街並みを写真に納めてみようと考え、デジタルカメラをポケットに忍ばせて車に乗り込みました。 曇り空のため、撮影したどの写真も暗いイメージのものばかりです。 さらに移動中の車からの撮影だから、ピントの甘いのも仕方ありません。 

女子「4区間」の最後尾の第1走者が中継地点に向かって次の走者にタスキをつなごうとする前に、男子の「4区間」のトップの第3走者が追いつき、さっさと追い抜いて行ってしまいました。 中継地点では、女子の最後尾のランナーと男子のトップグループのタスキ交換が一緒になったため沿道の応援者や選手などで混雑し、その場は車の走行が危ないな、人と接触しかねないなと感じさせるほど危険でした。

その後も第3走者が中継地点でタスキを渡すまでに、「6区間」のトップグループのランナーが何人も救護班車の横を走り去って行きました。 もちろん、最終の第4走者が走るコースは全てのコースと共通するので、「6区間」選手の何人にも抜かれてしまいました。 そのたびに車を運転する教育委員会の担当者は、ハラハラドキドキだったと思います。 事故なく運転できホットしている様子でした。 この点は改善する余地があると思います。

今年もゴールまで辿りついた選手らの汗ばんだ顔には笑顔が見られました。 福島ライオンズクラブが毎回提供している「ちゃんこ鍋」を食べてくれる選手や家族・仲間の応援者達みんな笑顔だったと思います。 肉まん、あんまんにも喜んで食べていただきました。 ドネーションも少し頂きました ヨ

2011年11月3日木曜日

健康だより 第20号

少し遅くなりましたが、待望の第20号「健康だより」を発行します。
「高齢者を知ろう」では、骨折・転倒をし、寝たきりになる高齢者の方々が数多く見受けられることから、その代表的な疾患の解説、さらにその予防・対策としての食事や運動の大切さを紹介してきました。

老化予防の運動では、今回「スローステップ運動」を取り上げてみました。 2009年8月にNHK番組の『ためしてガッテン』で紹介され大変な反響があったそうですから、御存じの方も多いのではないかと思います。 

わたしは、知らなかったものですから、踏み台を用意してじっさいに体験してみますと、10分間を続けるところ、5分間を過ぎた頃から、うっすらと汗ばむ程にエネルギー消費がありそうでした。 本当にダイエットにも良いのかもしれません。 

単にウォーキングだけでなく、腿上げのステップもあるので、大腿四頭筋の筋力アップにもつながるのでしょう。 踏み台選びと足元に気をつけて、場合によっては手すりなどにつかまって行うことも必要で、絶対に転倒しないで下さい。


「ガンのはなし」は、今年の「健康フェスティバル」で実行委員会が、無作為に選んだ町民50名の方々に協力して頂き福島町で初めての「ABC検診」を実施した結果報告を載せました。 多分、道内では正式に対策型(集団検診)として導入している自治体は未だないのではないだろうか?

当初、男女同数を40歳代から70歳代まで10歳刻みで抽出しましたが、検査期日までに全員が来たわけではなく、その後は町の担当者が知人やグループに声かけをして、出来るだけ当初の世代構成に近いように集めてくれました。 個別検診のスタイルでも採血できるように案内を出したのですが、仕事が忙しいのか、採血そのものがイヤなのか、検証しなければならない。 

あるいは「ABC検診」がまだ十分に町民の方々に知れ渡っていないとも思われます。 従って、今回も執拗に「リスク検診」とも言われる「ABC検診」を取り上げ、胃がん発見に要する金額を計算してみるとその効率性のよさや経済的にも従来の胃バリウム法より優れているということを強調しております

早く「胃がん検診」に取り入れてくれればいいのに ネ

2011年11月2日水曜日

霜月・・・テレビと寿命と一億総〇化

「なご美会」熊谷正春
最近、とてもショッキングな記事を「Medical Tribune(メディカル・トリビューン)」で見つけました。 メディカル・トリビューンとは週一回発行される医療新聞(国内外の医学学会短報,最新の医学情報を記載)です。 

オーストラリアにあるクイーンズランド大学公衆衛生のJ.Lennert Veerman博士らが「British Journal of Sports Medicine」に発表した内容は、“一日平均6時間テレビを見る人”は、見ない人と比べて平均余命約5年間短縮するというものです。 2008年の25歳以上のオーストラリア人の検討結果からのもので、25歳以上の成人がテレビを1時間見ると、平均余命は22分弱短縮する可能性が示されたということです。

博士らは、今後これらの数値が因果関係を反映していることが確認されれば、テレビ視聴は確立された行動危険因子(たとえば運動不足など)と同等の公衆衛生上の問題と見なすことがぢきると考えています。

テレビの持つ影響力については、「テレビによって日本人は一億総白痴化する」と警告した大宅壮一という社会評論家がかつていました。 1957年『週刊東京』2月2日に「テレビに至っては紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ・テレビという最も進歩したマスコミ機関によって一億総白痴化運動が展開されているち言って好い」と発言したことによると言われる。 対象と言われた番組の司会者は三国一郎でした。

やはり同じ年の1957年に作家の松本清張も「かくて、テレビによって日本人一億が総白痴化しかねない」と朝日放送の広報誌『放送朝日』で嘆いていたそうです。 

50年以上経った現在のテレビ番組の内容について、お二人はさ~て何と言われるでしょうか ナ 


2011年10月27日木曜日

ドラフト会議

「なご美会」熊谷正春
今年の「ドラフト会議」の目玉は何人かはいるが、大学生では東海大学の菅野智之選手も超ビックな候補の一人です。 

前日までは、伯父さん(巨人軍監督原辰則)のいるジャイアンツが一年前からドラフト指名することを公言していたので、すんなり決まるのかと思っていたところ、自宅への帰りの車の中で聴いたラジオでは、「交渉権は日ハムが獲得しました」という内容でした。

過去に何度もドラマが生まれているドラフト会議です。 今年の行方は今のところまだ誰にもわかりません。 今夜のスポーツ番組でドラフトされた全選手が出揃うでしょう。 その時のコメントがどういうものか注目されます。 今は、ここまでにしておきます・・・。  (午後6時05分)

さて、夜の11時を過ぎてのTVスポーツ番組は、今夜行われたドラフト会議の話題一色です。 菅野選手のインタビューでは、やはり予想どうりの会場風景でした。 それぞれの思いが合致する場合は素直に喜べるのでしょうが、そうでない場合はどうしても波乱が起きるのでしょうか・・・。 がんばれ菅野君。

今週土曜日から始まるクライマックス・シリーズ(CS)では、ジャイアンツはセ・リーグの日本シリーズの挑戦権をかけてまずヤクルトと対戦します。 シリーズを勝ち上がってどうしても東京ドームで日本シリーズを戦って欲しいと望みます。 

そしてプロ野球の更なる発展のため、現在の選手達はいいパフォーマンスをして欲しいです ネ

2011年10月26日水曜日

ある研修会から

今週の24日の月曜日に北海道医師会主催の「うつ病・自殺予防研修会」が、函館のロワジールホテルで行われました。 雨の激しく降る中、6時30分開会に間に合わせて福島町を出発することは少々大変でした。

会場は、ほぼ満席になっていたがプロジェクターの調子が悪く、開始時間が少し遅れて始まりました。 座長は地元函館市医師会理事の三上昭廣先生がつとめ、講師は道医師会産業保健活動推進委員会委員の松原良次先生が行いました。 松原先生は、精神疾患の分野においては第一人者で、講演回数も多く、今日のお話も「立て板に水」という塩梅の進行でした。

日本の『うつ病』の有病率は、一生の間15人に一人(6.5%)、一年の間50人に一人(2.2%)だそうです。 

『うつ病』の症状9つにまとめられますが(右の絵)、“抑うつ気分”“興味または喜びの喪失”の両方に該当する症状を有する場合は、スクリーニングとしては90% うつ病』だと言えるそうです。

よく言われることは、うつ病などの精神疾患患者の増加は、経済状況と反比例するということです。 失業率が高くなると有病率が増えるということです。 悩みが多くなれば・・・。



さて、今朝の道新に載っていた記事は、私たち医師にとって注意しておくべき事例となることでしょう。 大阪地検の判例ですが、自律神経失調症だった男性が医師から「病気やない、甘えなんや」「薬を飲まずに頑張れ」などと力を込めて言われたことについて、「安易な激励や、自助努力を促すような言動で病状が悪化する危険性を避ける注意義務に違反した」と述べ、医師の発言と患者の病状悪化の間に因果関係があると認めました。 違法と見なされ、530万円の損害賠償訴訟に対して、60万円の支払いを命じたという囲み記事でした。

ある先輩から「医師は言葉に始まり、言葉に終わる」という名言を迷言(?)と思っていた時もあったが、今回の新聞記事をみればその意味がよくわかりました ネ

2011年10月24日月曜日

グリーンクラブのラストコール

夜の部;懇親会
雨の覚悟をした今日のゴルフでしたが、どういうめぐりあわせか時々少しの雨は降ったもののまずまずの天候でした。 今日一日儲けたという気持ちです。

4月から始まったゴルフシーズンももう終わりです。 会員32名の処、26名が参加をして競技(日中及び夜の部)が行われました。 日中の部のゴルフは、昨日の雨の影響もあって、フェアウエイでもぬかるみもあるため、思うようにボールが飛ばずスコアーも今一つです。 スコアーが悪いときまって天候などのせいにするものです・・・。

とにかく、今シーズンのゴルフは終わりです。 来季に向けてオフシーズンを如何に過ごすかが課題でしょう。 
夜の部のペーパーゴルフ

夜の部は、一転活気に満ちあふれた会になり、三人づつの団体戦では優勝の組はネット59というスコアーでした。 その後、ラッキー賞の抽選が行われ、今年のゴルフを総決算していました。

ところで、59というスコアは、プロゴルフの世界でも極めて珍しいものです。 1999年のアメリカPGAで、デビット・デュバルというゴルファーが世界最小ストローク(59)記録タイを出した場面をTVで観たことがあります。 当時のPGAの牽引者は勿論タイガー・ウッズで、彼に対抗できて彼のゴルフを破るかと言われていたのがデビットでした。 

ところが、その年のうちに急に調子を崩しスランプに陥ってしまい、あれよあれよという間に世界ランキングトップから滑り落ちてしまい、PGAの試合で予選通過もできない程に変わってしまいました。 その原因について、いろいろ言われていますが、代表的なものが結婚間近とまで言われていた女性との破局が大きな理由とされているそうです。 ゴルフは技術以上に精神力を必要とされるスポーツですから、このことが大きな影響を与えたと言われています。

タイガー・ウッズも離婚問題があってから、まったくのスランプに陥っていますから ネ

2011年10月22日土曜日

COPD

講演資料;喫煙者が治療をしないと65歳から
息切れがはじまり、死にいたる。
「慢性閉塞性肺疾患」という名前が本邦名です。 全国に500万人以上いると言われてますが、実際に診断されている患者さんは約23万人くらいだそうで、氷山の一角にすぎないらしいんです。
今夜(実際は昨夜)、函館市内のホテルで行われた講演会で、KKR札幌医療センター呼吸器科の福家(ふけ)聡 先生の話です。

せき・たん・息切れが臨床症状で、タバコ喫煙歴のある人が罹る病気です。 年齢がすすむにつれ、二次感染を起こし、呼吸困難のため救急外来へ運ばれるケースも珍しくありません。 

喘息と違う点は、喘息の場合、発作がコントロールされれば、気道閉そくが治り、症状の出現も無くなり、日常生活に不自由はなくなりますが、COPDの場合は、症状が安定化したと思っても、気道(細気管支)の狭窄は完全には改善されず進行性なので、酸素吸入を必要とする場合がおこります。 不可逆性なのです。

ですから、タバコ煙を主とする有害物質の吸収につながる「タバコ喫煙」を止めさせる必要があります。 生活習慣病としてのCOPDを何としても早期に発見し、早期に治療にもっていければ、その人の後半生は違ったものとなることでしょう。 息苦しさの無い、穏やかな人生です。

「ディスカバリーCOPD」という取り組みが全国で行われています。 早く氷山を溶かしてあげたいものです ネ

2011年10月21日金曜日

小曽根真コンサートin函館

函館公演でのプログラム表紙
日付が変わったので、昨夜、函館市民会館で「小曽根真とNo Name  Horses」のジャズコンサートが行われました。

今月の15日、東京葛飾からスタートし、19日札幌、20日函館、23日浜松・・・11月3日神奈川県海老名市まで、全国9カ所のコンサートツアーが開催されます。 

今回のツアーは『ラプソディー・イン・ブルー』がメインテーマとして取り上げられ、小曽根真の迫力あるピアノ演奏が目玉です。 前半は、スタンダードのジャズ曲とオリジナル曲を数曲演奏してくれた。 ノリの良いものから、しっとりしたブルース調のものまで、彼らは何でも弾けちゃうようです。

会場は、前の方が全席満員だが、二階より後方は空き席があちこちに見られました。 でも、結構年配の方々も多く、ジャズに興味のある高齢者も多いのが文化都市・函館を物語っているように思われました。 

カーテンコールも二度・三度あって、ノリの良い曲をアンコール演奏してくれました。 感激した聴衆は、最後はスタンディング・オーベーションをし、拍手拍手のうちに終わりました。 身体がかってに動き、手拍子をしながらの約二時間半の公演は短く感じられました。 

出来れば何らかの飲み物も欲しかったです ネ

2011年10月19日水曜日

ある新聞記事

今日の「函館新聞」に市立函館病院の木村純院長の記事が載っていました。 500人もの聴衆が集まった健康セミナーで、「がん予防ーピロリ菌の除菌で胃がんを防ぐ」と題して講演をしたという内容です。

木村先生は、9月に行われた「健康フェスティバル」の特別講演の講師として、今年福島町でもお話をして下さいました。 「がんで命を失わないために」と題した講演で、ピロリ菌と胃がんの関連についてもお話され、『ABC検診』という血液で行える検診のあることも紹介して下さいました。 

同日の健康フェスティバルで実施した『ABC検診』の結果は、A群57%、B群23%、C群20% でした。 この結果は、高崎市で行われた検診結果とほぼ同じと考えていいでしょう(A群49%、B群27%、C群20%)。   A群(ピロリ菌感染の無い人達)以外の人たちの胃精査ならびにピロリ菌の除菌が必要になるということです。

この結果をもとに、今後の「胃がん検診」をいかに考えていくかと言うことになります。 できれば、町の福祉グループの検診担当部門と懇談できればと考えています ヨ

2011年10月17日月曜日

第4回歴史講座

今夕6時30分から「第4回歴史講座」が行われました。 小雨が降っていたが出席者の集まりは良く、開講の随分前から会場のトンネル記念館はほぼ満員の入場者でした。 

教育委員会が主催し、町史研究会の会員の中から講師をお願いするというかたちで年4回の「講座」が年度初めから計画されていました。 今日がその最後の4回目でした。 会員の小松孝夫さん(もと町職員)が「福島町現代小史」と題して、福島町商店街と街並みの変貌、戦時・戦後の生活と子ども達などとサブタイトルを付けて発表して下さいました。

発表者の小松さん
商店街と街並みの変貌では、明治・大正・昭和にわたっての古い建物と現在の新しい建物を写真を駆使して比べて見せてくれたため、年配の参加者たちから様々な声があがっていました。 自分の子供の頃や若かりし頃の写真ですから、懐かしさも手伝って思わず出た声なのでしょう。 「ワー」とか「そうそう」とか、「あすこは覚えているよ」とか「あの写真屋が永田さんだね」とか・・・、記憶を呼び覚ます映像に見惚れていました。 探せばもっともっと古い写真はあるだろうから、年代やジャンル毎にまとめてみるのも面白いかも知れません。 今後が愉しみです。



「テエタ」の表紙を飾った
福島町館崎遺跡の「岩偶」
さて、福島町の歴史は、縄文時代にまで遡ります。 最近、新聞記事を賑わすある報道がありました。 三年前から発掘している福島町の「館崎遺跡」から、国内最大級ではないだろうか(?)と思われる巨大「岩偶(がんぐう)」(長さ37cm)が見つかったからです。 造られた年代は縄文時代前期と言いますから、約5000年も前のものなんです。 

簡単に五千年前といってもピンときませんが、黄河文明BC(紀元前)3500年ですから、ほぼ同じ頃と言うことになるのです。 ですが、中国ではすでに農耕がはじまり、土器もきれいに彩色されたものが使われだしていました。 

その後の研究の結果、最近では単に黄河文明と言わず、黄河・長江文明または採陶文化などともいわれるらしいです。 「黄河」とだけ単独で使う人は、古い年代の人だけのようです・・・ネ。

2011年10月12日水曜日

函館北斗ライオンズの50周年

函館市芸術ホールで開かれた「函館北斗ライオンズクラブ(LC) 50周年記念大会」は、開会の挨拶と共に上がった緞帳(どんちょう)の向こうのステージには、荒唐無稽さんという講談師が座っていました。 それから約10分間、北斗LCの歴史やら活動などを事細かく講釈しました。 今までに無い展開に呆気に取られたと言うのが本音でした。

その後の流れは、どこのLCでも周年行事の時に行うスタイルの式典で幕を閉じましたが、今日は何かが起こるのかな~という予感がしつつ、芸術ホールを後にしました。

懇親会は6時から五島軒という老舗のレストランで行われました。 ただし、配られた参加者名簿には「晩餐会」という言葉を使っていたので、「ここでも通常の懇親と違うのか?」と思いつつ会場へ入りました。

五島軒で一番大きな会場の正面の壁には、LC創立時の全会員が揃った集合写真の拡大したものが貼られていました。 さぞ高価なんだろうな~と感心するばかりです。 そう言えばLCのチャターメンバーには「函館新聞}の経営者の名前もみられ、親子三大がメンバーだと式典の中でも紹介されていたっけなどと思いだしていました。


テーブルに着くと、コースメニューはロシア式という挨拶が総料理長からありました。 函館はロシアとの交流が緊密にあったことから、特に五島軒でもオープンの頃にメニューとして出していたロシア風の料理を用意したという話です。 

アトラクションは、「歌劇」と合唱で、もちろんロシア風の出し物にこだわって準備してくれたようです。 何と手の込んだ記念周年行事だろうと感じました。 他のLCでは、マネのできない趣向です。

もう一つは、「合唱」です。 もちろんロシア民謡の曲がメインです。
司会者が曲の始まりに「グラスを傾けながら、耳の方も舞台の歌に傾けて下さい」とお願いしていました。 会話があちこちで大盛り上がりなので、会場が騒々しいのが困りましたが・・・。

その後は、LCの姉妹クラブや友好クラブからの挨拶などがあって晩餐会はさらに盛り上がっていきました。 ただ、千葉県香取市から来られた友好クラブの砂原LCの地区名誉顧問N氏の挨拶のなかで、1カ所気になったところがあったので、僭越とは思いましたが名刺交換させていただきました。

砂原と聞いてピンときた人は、とっても歴史に強い人です。 伊能忠敬が18歳で婿養子となった伊能家のあった村が現在の香取市砂原です。 『大日本沿海與地全図』という正確な日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は、50歳の時に息子に家督を譲って自分の好きな暦天文学を納めるために江戸へ出たが、それまでの砂原では商人としてかなりの才覚を発揮し、伊能家の再興をし、砂原での役職(名主)をつとめたなどの記録があることから、1919年に香取市は砂原公園に銅像を建立し栄誉をたたえました。 その砂原のLCが、函館北斗LCと友好クラブ提携を結んでいるのは、おそらく伊能忠敬が蝦夷地で最初に測量を開始したのは函館だからという理由のようです。


福島町吉岡の公園にある
伊能忠敬蝦夷地上陸の地の記
そして、蝦夷地にはじめて上陸したところも函館と思っている人も多くいるらしいので、そこだけは譲れないと考えて名刺を交換した際、「伊能忠敬が蝦夷地へ上陸したのは吉岡がはじめです」とN氏に話しました。 歴史上の事実ですから、しかも忠敬の出身地の砂原からの人たちだから言わせていただきました。 


24時間テレビの企画
吉岡という地名は、今後みなさんの記憶の中にとどまっていってくれるでしょうか? 江戸時代、津軽の三厩などから蝦夷地をめざして津軽海峡を渡ってくると、季節毎による津軽海峡の潮の流れは変わり場合によっては目的地の松前などに到着しないで、吉岡という港に着くことも多かったようです。 


今でも、泳いで津軽海峡を渡ろうという企画が時々あって、2年程まえの「24時間テレビ 愛は地球を救う」で海峡をリレー水泳で泳ぎ切ろうという番組では8人の泳者が交互に泳いで津軽半島の小泊岬を出発して、福島町(吉岡)に到着したということがありました。 


ですからすこしは吉岡という地名を記憶に留めておいてください ネ

2011年10月9日日曜日

頭の良いカラス

今日は、「函館ドクターズ」ラストコールが北海道カントリークラブ大沼コースで行われました。 連休の中日なので、出場するかどうか迷ったあげく結局参加しました。 

抜けるような青空となった午前8時頃、クラブハウス横のパッティング練習場での出来事です。 朝買ったばかりのカラーボールオレンジ色で、パットを打ちはじめたら、直ちに何処からともなく1羽のカラスが飛んできて、そのボールをくわえ始めたのです。 「こら~」と声を出す間もなく、スーと飛んでいってしまった。 何と言うことでしょう! 

今までもボールを獲られたことはあったが、すべてコース内でプレイしている時のことで、今日のような事態は初めてのことです。 

もう一度、気を取り直してカラーボール(オレンジ)をパッティングしました。 すると、またスーと飛んできたカラスが、そのボールをくわえて持ち去ってしまいました。 2個ともです。 ああ~、何と言うことでしょう!!

今日のゴルフは出だしからケチが付いてしまったので、最悪を覚悟しなければ・・・と思いました。 

プレーが始まってからは、「ま~何とかなるさ」と言い聞かせながらリラックスを心掛けてラウンドしました。 そのうちにやっと身体もほぐれティーショットも安定しだした頃に、今回無理しても参加することになった「いわくつき」のホール(H)へとさしかかりました。 

3ヵ月程前のあるゴルフコンペにさかのぼります。 年一回の「北海道ドクターズゴルフ大会」が函館地区の当番で、この大沼コースで行われました。 わたしも参加したんですが、結果はひどいものでした。 アウトの16番Hで池に3発ボールを落としたためです。 ですからラストコールの今回、何としてでもそのリベンジをしたいと思い出場を決意したのです。

今日の16番Hは、3打目を池のやや右手前に置くことに成功し、残り150ヤードの池越えの4打目は7番アイアンで打った。 ボールは低くでて、グリーン右横のガードバンカーにつかまった。 ちょっとあごのある難しいバンカーショットとなったが、上手く打つことができて、ピンの左奥1.5メートルにつけることができた。 5オンです。 パットは、下りのスライスラインです。 速いグリーンだから、パットはカップからボール1個半づらしてうった。 ボールは、旨い事スライスし、カップへ向かったと思ったら、スーと吸い込まれてくれた。 

ワンパットの6打(ボギー)ですから、わたしにとっては上出来です。 リベンジできたと言っていいと思います。 課題を克服してのホールアウトでした。 今日の天候と同伴者に感謝です。 ただ、からすだけは許せませんが・・・。


もう、20年以上も前の話ですが、福島町のNさんというゴルフ好きの人が、大沼国際カントリーゴルフ場でプレーをしていたら、やはりカラスにニューボールを持って行かれたというトラブルが発生したそうです。 当時のボールは大変貴重で高価だったと思うのですが、プレー終了後にフロントへ苦情を言ったそうです。 「ここのゴルフ場では、カラスを飼っているのか?」と詰め寄ったらしい。 Nさんは恰幅の良い人だら、さぞかし迫力があっただろうと想像できます。 結局、支配人はボールを何個か渡してその場を納めたという話があって、今もゴルフ仲間の中では懐かしい想いで話となっています。

勿論、今日の出来事については、わたしは何も言いませんでした。 言っても「カラスの勝手でしょう」と笑われるだけでしょう。 カラスがくわえて持っていくボールは“ニュー“に限られているようです。
カラスは色彩はわかるのか?  調べてみなければならないでしょう。

何日か前の道新新聞にカラスが道路にクルミなどの堅いものをわざと置いておいて、車にひかれさせて細かく砕き、そのあと食べに舞い降りてくる決定的な瞬間を連続で撮った投稿写真を載せていました。 

ですから、カラスはとっても頭のいい鳥なんです。 朝のゴミステーションでも悪戦苦闘する住民たちの困惑した場面がしばしば見られますよ ネ

2011年10月2日日曜日

あられ(霰)

庭のマンホールの付近に
今朝8時ころ(あられ)が降った。 時間にして数分間だったが、戦争映画でよく聞く機関銃の連射している音にも似ていて、ちょっと怖い思いもした。

霰と(ひょう)は、その大きさ(直径)が5ミリを境に区別しているようだ。 積乱雲の雲からできた氷の粒は、パタパタという音で家の屋根を鳴らし、地面に降り注ぐ。 雷の音を伴うことも多く、今朝の霰の時も遠くから稲光とともに聞こえていた。 

霰を使った言葉に「感謝 感激 雨あられ」という、非常に感謝した気持ちを表す時に用いる熟語があります。 窮地を救われたりしたら、おもわず口をついてでてくる言葉で、よく使われます。

とても語呂合わせのいい発音になります。 もともとは、戦時中に日本軍の優勢な戦況を報じる新聞の見出しに使われた「乱射 乱撃 雨霰」をもじった言葉から由来しているらしいのですが・・・。

神無月の今月、どうにか天候に恵まれるんだろうか。 秋の収穫に影響が出なければいいのだが ネ