2012年5月25日金曜日

初の「ABC検診」

道内で初めての住民対策型胃がん検診として期待されている「ABC検診」が5月23日から町内の各地域で行われています。

特定健診の実施に合わせて、がん検診を行おうという取り組みは道内ばかりではなく全国的な傾向のようです。 健診の受診率をアップさせるには様々な工夫が必要で、がん検診の受診率も同時に上げようと頑張っている。 道南のある町ではティーシャツを作成してローラー作戦に出ているところもあるとの新聞報道です。 福島町も受診率向上に悩んでいる自治体のひとつです。 

ところで、胃がん検診は胃バリウムによるX線検査法が今のところ唯一国が認めている検診法です。 しかし、バリウムによる検査法は他動的に体を大きく動かすことが求められている方法ですから、特に高齢の人には苦痛が伴います。 検査後の便秘に苦労する人も珍しくありません。 

そこで登場した検査法が、採血だけで胃の状態(胃炎の程度)が分かり、なおかつガンのリスクも判ると言うのが「ABC検診」です。 高崎市医師会乾先生らの前駆的な検診結果から解る事は、リスク別に区分けできることから、その後のフォローがまったく違ってきます。 胃カメラか胃バリウムかの判断も容易にでき、たいへん有益な方法だと感心しています。

ちなみに初日の検診スピッツ(採血)件数は97件でした。 わたしとしては十分な結果であると言いたいのです ガ




2012年5月18日金曜日

会いたくて会いたくて

「会いたくて…」境井写真館提供j
今夜、福島・松前町の「白楊会」の花見会が行われ、両町から16名の会員が出席しました。 新しく参加してくれた会員もおり、いつもとは違ってとても賑やかな会となりました。

新しくとは、この春の人事異動で町内の学校に赴任してきた先生方のことです。 年代から言えば、校長先生、教頭先生そして若い新人先生と全部の役職に亘っています。

各地域の学校を経てきた先生方は、その土地の皆さんと深く関わってきているので、教育面はもちろん文化的・社会的にも多くのノウハウを持っていることが話の端はしに感じられました。

これから先生方が町にどのように関わって行かれるのか楽しみです ネ

2012年5月15日火曜日

ベクレルとシーベルト

ベクレルはパンチの数
シーベルトは相手の受けたダメージ
(道新記事より)
道新の日曜日版の科学のコーナーに載っている「くらし・放射能」という記事を読んだ。 弓場敬夫記者が担当している。 

放射能の強さ「ベクレル」放射線が体に与える影響をしめす単位が「シーベルト」だと言われているが、両者の関係をもっと分かり易くという思いと、東電原発事故から1年以上が経つのに今だ深刻な状態が続いている現状への思いから解説したかったのでしょう。


放射性物質と放射線の関係を懐中電灯に対比して述べている。 放射性物質は懐中電灯そのもので、内部の電池の電圧は放射能で、出てくる光が放射線とみなす。 電圧が強ければ懐中電灯が明るくなるように放射能が強ければ放射線も強くなるのです。 ベクレルとはい1秒間に放射線を出し別の物質に変わる原子核数の単位ですと言われてもピンときません。 

一方、放出された放射線が人体にどれだけの影響を与えるかという視点でつくられた放射線量の単位が「シーベルト」だと言うことです。 ベクレルをボクシングのパンチ数とすれば、シーベルトはそれによって与えられるダメージの量に相当するとみなしていいですと説明しています。


さて、福島原発の一般人の退避レベルは年間20ミリシーベルトの被ばくの可能性がある地域ということになりました。 20ミリシーベルトで細胞に何が起きるかといえば、DNAの2本鎖切断の一部(0.8コ)が誤った修復によって突然変異になる程度のダメージだということです。

20ミリシーベルトの被ばくがどういうものか実感できないので、がんリスクに換算してみると、1.01倍の増加ということが分かったそうです(中村典 放射線影響研究所)。 では、1.01倍とは・・・
ここまでくると段々解りづらくなってきました。 今日はここまでとして、少しじっくり勉強してみます ネ

2012年5月14日月曜日

今年の「健康フェスティバル」

自宅近くの河川敷の桜
今夜、町役場の会議室で「健康フェスティバル」の実行委員会の幹事会が行われました。 
今年で13回目を迎える恒例の催しで、自らの健康状態を知るために年一回は町民の皆さんに福祉センターに集まっていただきたいという発想から、約100名にも及ぶ実行委の委員のみなさんに毎年がんばっていただいています。

今年のテーマを何にするかで、いろんな意見がでました。  昨年、がんの予防について「早期発見・早期治療」という内容で実施したことから、今年もテーマを継続して進めた方がいいのではという意見が多く聞かれました。 


確かにテーマの「がん」という内容は少し重たい感じがしますが、実際2人に1人はがんに罹り、3人に1人はがんで亡くなっているという統計を聞かされると、けっして避けて通れない課題です。 しかも、早期発見につながる「健診(検診)」の受診率が低迷し、50%を数値目標にしていた厚労省も40%にダウンさせてしまいました。 

福島は昨年の「ABC検診」の実績を踏まえて、本年度から道内で初めて住民型の胃がん検診として「ABC検診」を行います。 

そのためにもがんをテーマに今年の健康フェスティバルを実施していきます。 よろしく ネ


2012年5月13日日曜日

「合わせ鏡」とは


今週、道新で「認知症と家族」というサブ・タイトルを付けて3回のシリーズ特集記事を載せている。 
介護者の心情が認知症患者の症状に表われるところから、その本人と介護者(家族)の気持ちは『合わせ鏡』とも言われます。 

精神科医の長谷川和夫さんは『認知症ケア』(永井書店)の中で、

介護していく中で互いに向き合う認知症高齢者と介護者の間には「合わせ鏡」が存在する。 それぞれの心が合わせ鏡によって、もう片方の相手の心を鮮明に映し出します。

と述べています。 長谷川和夫さんは認知症のスクリーニング法として、また重症度を簡便に検査できる方法としての「長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」を開発した先生です。 

高齢化の進んでいる日本では、これから認知症の患者さんが増加すると予想され、85歳以上では4人に1人が認知症と言われています。 世界的にみても、2050年には今の日本の人口(およそ1億2千万人)と同じだけの患者数になるという予測もだされていています。
認知症に大切な三要素

また、若年(50代)の患者も増えており、本人は仕事を辞めざるをえなく、また家族の介護の負担が増すという現実も大きな社会問題となりつつあると思います。 

ただし、救いなのは昨年から認知症の治療薬が3剤承認され、治療の選択肢が増えたことです。 より治療がしやすくなり、専門医からの臨床効果の報告も出始めて、わたしたち一般医でもその治療方法にそって処方することで効果のみられる患者さんもいるということです。

特に、若年の患者で薬の効果がでてくると、今まで家に閉じこもっていた方が、それまでと同じ様に趣味を始めたり、パークゴルフへ出かけたりするようなケースもあるといいます。 それだけ効果が著しくみられることもあるので患者はもとより家族の方々も前向きな気持ちになっていいのではないでしょうかと、ある専門医は話しています。

そのためには病気を早期に発見し、できるだけ早期に治療を開始することが大切だということです。 さらに、そのような認知症に陥らないためには、生活習慣病に気をつけるということです。 血圧のコントロールとともに糖尿病にはならないようにすることが肝要です。 

「特定健診」はとても大事な健診だと考えて下さい。 本当に糖尿病は万病の元凶です ヨ

2012年5月12日土曜日

女だけの相撲大会

今年の参加者リスト
明日は「母の日」です。 
昨年は、東日本大震災のため自粛した「北海道 女だけの相撲大会」が2年ぶりに福島町で開催されます。 21回目を数えます。

全国から出場者のエントリーがあり、札幌・旭川・浦河町など遠方の道内はもとより、東京からも2名の力士(?)が参加し61名で優勝が争われる予定です。 

天候も晴れの予報で、丁度桜の満開時期でもあり、福島大神宮の土俵上で熱い火花が散らされることでしょう ネ


2012年5月4日金曜日

ムンクの「叫び」

競売の落札額は日本円で約92億円1億1992万2500㌦)で、美術品の落札価格としては史上最高額ということです。 
ノルウェーの画家エドバルト・ムンク(1863-1944)の代表作「叫び」の競売がニューヨークで行われ、4点ある内のうち1895年に描かれたパステル画のものでした。 モネ「睡蓮」を上回る金額で、今までで一番の最高額だったピカソの油絵「ヌード、観葉植物と胸像」1億648万2500㌦をも上回ったということです。  連休中の話題としてはビックリです。 

さて、今日はヒドイ雨降りで、しかも風も相当な勢いです。 ゴールデンウィークの後半が始まったというのに関東・東北そして北海道へと暴風雨の拡大が見られています。 行楽地へ予定している家族連れにとっては嘆きの天候です ネ

2012年5月2日水曜日

不易流行

松尾芭蕉が俳諧について唱えた言葉だと宇江佐真理さんが昨日の道新の「見上げた空の色」で解説していた。

「ふえきりゅうこう」とは、永久に変わらないものと常に新しくなっていくものという意味だそうです。 その考えは、俳諧のみならず自分が今書き続けている時代小説の分野にこそふさわしい言葉だと彼女は感じている。 

交通手段の発達、携帯電話にメールやファクシミリそしてスマートフォンなど・・・の通信手段の進歩の目覚ましい現代にあっても、時代小説が廃れないのは、世間の人々は心のどこかで永久に変わらないものを求めているからではないのかと彼女は分析している。

彼女の一番大事なことは何かというと、日常生活だと応えている。 

交通や通信の手段の進歩していない時代であっても”人々”は己の人生を模索してきた。 
余計な夾雑物がないだけ過去の”人々”の思いはなおさら際立って感じられる。 

つまり、そうした時代の人々の日常生活を丹念に書き描くことが彼女の作家としての軸なのではないだろうかと考えたわたしです ガ