2011年7月31日日曜日

あるゴルフコンペ

きょうは、札幌医大道南支部のゴルフコンペがアンビックス上磯ゴルフコースで行われました。 4組と少々参加人数が少なかったものの、和気あいあいとしたコンペで、良かったな~との感想です。

夏場のゴルフは、暑さ対策も必要で、水分補給を十分にすること。

毎年、幹事をしてくれるQ先生 ご苦労様でした ネ

2011年7月30日土曜日

全英女子ゴルフ

白神岳から遠望する岩木山
左手前の岬は小泊の権現崎
LPGA(アメリカ女子ゴルフ)のメジャー第4戦目が、現在英国のカーヌスティで開催されています。

先週、エヴィアンマスターズ(仏国)で2度目の優勝をし、大いに期待されてた宮里藍選手は第1ラウンドのスタートから5連続ボギーの不運な出だしが災いして、結局予選落ちしてしまった。

あんなに調子が良いと思われていたのに、何とゴルフって難しいのでしょうか。 次の機会にがんばってもらうとして、今週は決勝戦に勝ち進んだ他の日本選手(なでしこゴルファー)を応援してもらいましょう!

そうそう、カーヌスティと言えば、何年か前の男子の「全英オープン」で、仏のジャン・ヴァン・デ・ベルデという選手が、最終日の17ホール目まで2位の選手に3打差をつけてプレーしていたので、誰もが彼の優勝を疑ってはいなかった。 が、悲劇は18番ホールの2打目に起きた。 

18番ホールはパー4のホールで、グリーン周りの近くに小川が流れています。 ティショットをフェアウエイに打てれば、プロならなんなくグリーンに2オンできる距離に設定されているが、ドライバーを失敗するとトラブルが発生してしまうホールです。 彼はまんまとその罠にはまり、結局トリプルを打ってしまい、プレイオフになった。 挙句の果てに優勝も逃してしまったという結末でした。

そんなドラマの見られるコースですから、たぶん今回の女子の場合も何かが起きるのではないだろうか?

プロでも、長く調子を維持することが難しいスポーツだから、いわんや「サンデーゴルファー」にとっては、毎週毎週出来が違うのは当たり前です。 ゴルフって本当に奥が深いです ネ

2011年7月29日金曜日

十両昇進

「九重タイムス」より
名古屋場所は、横綱白鳳の8連覇を阻止した大関日馬富士の優勝で幕を閉じたが、九重部屋にとっても素晴らしい場所になりました。

今場所、初の十両に昇進し関取となった「千代の国」は8勝7敗と勝ち越しをしてくれた。 初めての15日間の相撲ですから、後半スタミナが持つのか心配したが、何とかやってくれました。 おめでとう!

そして、場所後の番付会議の結果、幕下上位で勝ち越しした「千代桜」「千代嵐」の二人も来場所十両に昇進することが決定しました。 千代桜関は、日大出身の学生相撲で、早くから注目されていた力士です。 十両への昇進もかなり速かったようです。

その九重部屋の力士達が8月上旬、夏合宿のため福島町に来ます。 朝稽古も毎日、8月中旬まで観戦できますから、是非福島町へ足を運んで下さい。 

その時は、もう一カ所、北海道が建設した「新名所」が誕生しましたから、是非立ち寄り、利用していってください。 年間平均およそ2億円づつを投資し、18年間かけて完成したプールがちょうど利用できるギリギリの期間だと思います。 真夏の心残りのないように ネ

2011年7月28日木曜日

海峡横綱ビーチ

オープン3週間前のビーチ
今週の日曜日(24日)、福島町では待望の「海峡横綱ビーチ」の海開きオープニングセレモニーが行われました。 天候は、少し肌寒かったようですが、子ども達も海に入り、泳ぐことができるくらいの暖かさで本当に良かった。

この人工海浜の計画は平成3年で、5年に工事着手しており、約20年もの工事期間をかけ、総工費36億円という巨額の投資をしたものです。 ちょうどバブルが弾けてしまった頃に作った計画を几帳面に実行し、今度の目出度い日を迎えました。

整備された白砂浜

ビーチの護岸の外は福島港です
高台の福島大神宮
町の変わり様を見ている

護岸の外側には自然なままの砂浜
子供の頃、度々ここで泳いだ

道南で同じようなものとしては、桧山管内乙部町にも20年以上前に完成したものがあり、たくさんの海水浴客を集めていました。 安心して遊泳できる施設ということで、とっても人気がありました。 


そのセレモニーの来賓として、地元8区の国会議員の O.S さんが来朝され、挨拶したそうです。 その後、町内を挨拶周りした時のエピソードをブログに載せていますので紹介します。

「式典終了後、短時間でしたが、
町内の幾人かの方々に挨拶に歩いています。
何とこの途中で、手打ち蕎麦をふるまって下さった方がおりました。
蕎麦好きの私には、最高の持て成しですが、
突然の来訪にも関わらず、こんな歓待を頂き、
恐縮すると同時に、心から感謝しています。」

と言う内容です。 たまたまの出会いだったそうですが、大好物の蕎麦をおかわりもできて、ほんとうに満足した午後のひと時でした ネ

2011年7月27日水曜日

第31回四町親善ゴルフ大会

昨年は、わが福島グリーンクラブが主管して、「30回目」の記念大会となった「四町親善ゴルフ大会」、今年は木古内みそぎクラブが幹事クラブとして運営をしてくださいました。

24日(日)は、朝方雨の予報もあったものの、一組目のスタートの8時には曇り空ながら絶好のゴルフ日和となっていました。 気温は20度を少し上回った程度で風も程よく文句のつけようの無い天候でした。 

表彰式風景 次回当番クラブ
松前G.クラブの早瀬さん
団体優勝は、当番クラブの木古内が逃げ切り、2位は知内真友会、3位がグリーンクラブで、松前ゴルフクラブは4位でした。  が、個人戦では、松前クラブの M.A選手がアンダーの70でラウンドし、優勝です。 ハンデはですから、普段の実力がでたものと思われます。 彼は、「オガクリ杯」の際の名司会者としても活躍してくれるゴルファーで、豆腐屋さんです。 よかった、よかった ネ

2011年7月25日月曜日

第16回かがり火コンサート


23日(土)の夜、第16回を迎えた「かがり火コンサート」が行われました。

少し肌寒かったものの、蚊の心配もほとんど無く、まずは天候にも恵まれた素晴らしい時間(ひととき)を過ごすことが出来たことに感謝です。 

今年は、郷土芸能というよりは、「神楽の町」福島の松前神楽保存会のみなさんが奏上する4座の松前神楽と、後半は さがゆき と林正樹の『KOKOPELLI ここぺり』の演奏がプログラムされた。 



6時半の開演は、夏至を過ぎたとは言え、まだ十分明るい夕方です。 一座めの「神遊舞(かんあそびまい)」の頃にようやく「かがり火」の火が灯されました。 



「八乙女舞(やおとめまい)」「注連祓舞(しめはらいまい)」そして「獅子舞」と続く神楽は見ごたえがあり、演目の終わりに「ようそろう」の掛け声も会場のあちこちから一斉に上がり、随分といたに就いたなという思いです。

『ここぺり』は、実は初めて聴くミュージシャンですので、どんな演奏するのかなと期待半々が正直なところでしたが、はじまってみると予想以上にいい音響でした。 ヤマハの電子ピアノ(PC1)は、大神宮の境内の木々にこだまして、素晴らしい音色を響かせてくれました。 

ありがとうです ネ

2011年7月23日土曜日

新聞記事

福島町・吉野教会の円空作 観音菩薩
(河島英五の長女・あみる さんのブログより)

今月14日に講演した「円空さんと河島英五と福島」の新聞記事が道新夕刊の『みなみ風』に載った。 

大城道雄記者の文章は、ポイントを英五と円空仏に絞り、英五の東北・北海道バイクツアーの紹介もしてくれました。 

英五の描いた福島町吉野教会の円空仏は「座り円空」と表現して、その観音像の特徴をすべて描きこんでいます。余程、円空仏に心酔したものと思われます。 

英五は何故そこまで円空仏に傾倒したものかと、その理由を是非とも知りたいと思ってます。 どなたからでも、何らかの情報をお待ちしています ヨ

2011年7月22日金曜日

メイラード反応

初めて聞く言葉です。 
明治43(1910)年頃、フランス人のルイ・カミーユ・メイラードという医師が発見した反応だそうです。

クッキー、パンの皮、コーヒー豆、チョコレート、焼いた肉などに共通する美味しい香り茶色い食べ物に、その反応がみられます。 アミノ酸(でんぷんとタンパク質の分解産物)を一緒に加熱することで、褐色成分やいろんな芳香成分が生まれる科学反応のことです。 美味しさの秘訣です。

ですから、シチューやカレーを作る時、先に肉をよく炒め、こんがり焼き色がつくようにしてからでないと、美味しいカレーライスができないことは自炊をしていた独身時代に経験していたことです。 何かの折りに、時間節約で野菜・肉など一緒に煮てしまった時は、まったく肉の香ばしさも無く、味気ないものでした。 

この反応がみられるのは、特定の温度以上にならないと始まりません。 肉の場合は、80~95度以上だそうで、150度以上になると、反応が完璧になります。 今夜は、焼き肉が食べたい気分です。

と言っても、この頃牛肉の放射能汚染問題が報道を賑わしています。 東北の福島地方でつくった牛の餌の稲わらなどの乾燥牧草がセシウムに汚染されていることがわかり、その餌を食べた食牛の肉に高濃度のセシウムが検出されたからです。 

道内では、芦別市と恵庭市で販売されたことが判明し、驚きました。 芦別の食肉販売店の場合、このたび初めて購入した食肉業者からの肉だったそうで、何の疑いも持たず販売したわけで、不運と言えば不運です。 購入先へ謝罪訪問しているというから、可哀そうです。 

しかも、「3.11の東日本大震災」に対して、被災地のみんなを元気づけようとの思いから、ジンギスカン用の肉を大量に送り届けているというから、なおさら可哀そうです。 何とか信頼を回復して、元のように営業して欲しいと願います。 わたしも市立芦別病院勤務の折、お世話になったはずだから ネ

2011年7月21日木曜日

100歳の投稿者

中央の小判型の黒いものが蛍(千軒にて)
今朝の道新「いずみ」に、『手袋』という題の投稿が載っています。 
道端の草の上に、ちょっと使ったばかりで、まだ新しい軍手と手袋が落ちていたのを見た白老町の鈴木さんの作品です。 

昔は、手袋など見かけることもなく、たいへん貴重なものだったから、落し物であれば、その主へ届けるか、いなければ大事に自分のものとして使ったはずだが、最近は物あまりのせいか見向きもされなくなったと嘆いています。 

昔は身に着ける物はすべて母の手作りだったと、薄暗い明りの下で冬はこたつの炭火で暖を取り、家族の身に着ける物を作るのに余念のない母の姿が思い返されますと振り返っています。 「手っ甲」という言葉も懐かしい

投稿者の鈴木さんは、100歳とのことです。 どんな人生を歩んで来たのでしょうか? こたつの炭火と書いてますから、道内出身者なのでしょうか? 鈴木さんのお母さんはどんな人だったのでしょうjか?

色々思い巡らしながら、「今の世だから」物を大切にすることを訴えたいと、わたしも思います。 
鈴木さんの名前は「千代」と言います。 わたしの母も「チヨ」と言いました ネ 

2011年7月20日水曜日

千代の富士杯

第13回千代の富士杯成績結果
17日の日曜日、町内鏡山(かがみやま)境内において、「第13回千代の富士杯争奪小中学生相撲大会」が行われました。

道内は、札幌や夕張から、青森は鰺ヶ沢鶴田町中泊町などからも選手が参加しました。 当日は、まずまずの天候にも恵まれて、会場の境内の土俵上は熱気に溢れた好取組が続いたと報道されました。

結果は、小学高学年と中学生は青森勢が強い。 青森の三町は、特に相撲に力を注ぎこんでいるようです。 勿論、我が町も同じように練習に励んでいる子供たちがいますが、豆力士達の層の厚さの違いでしょうか? いづれ結果は出ることと思います。

さて今、名古屋では大相撲が行われてます。 信頼回復のために、力士達は毎日毎日真剣に土俵上で奮闘しており、魁皇関が最多勝利数を更新し、昨夜現役引退を発表したばかりです。 20年以上に及ぶ土俵生活は中々大変なことだったと思われますが、まずは記録を残した訳ですから、ゆっくりと休んで下さい。 お疲れ様でしたと、言いたいです。 我が町の横綱千代の富士関の最多勝利数を抜いた相手ですが・・・。 

H.22年 福島町での九重部屋朝稽古にて 千代の国
その今場所に新しい顔が生まれています。 新十両東11の千代の国関です。 今日までのところ7勝4敗で、明日に勝ち越しをかけている。 九重部屋待望の関取です。 みなさん期待して応援して下さい ネ

2011年7月18日月曜日

なでしこジャパン(2)

今日のニュースは、何と言っても「なでしこジャパン」「女子W杯サッカー」初優勝でしょう。

朝早く起きる予定が、前日の「The Open」の放送を深夜まで観ていたため、起きれなかった。 やっと、観れたのは、延長後半ロスタイムの時で、スコアは 2-2 のところでした。 ほどなくタイムアップとなり、5人選手によるキック合戦(PK戦)となった。 

先攻のアメリカの一人目は、ゴールやや右寄りにキックしたので、右に大きく飛び跳ねたゴールキーパー海堀は、やっとの思いでかろうじて右足をボールにあててゴールインを阻んだ。 何と言う運動神経の良さなのだろう。 120分の激闘の後だというのに、まだ身体がボールに反応してファインセーブをしたんですね。 

PK戦は、このシーンで決まったようなものでした。 ただ、4人目の日本チームのキッカー熊谷は、本当はすごく緊張する場面のはずだが、冷静にきっちりゴールの左上方の枠のネットを揺らしてくれた。 20歳だそうだが、すごいDF(ディフェンダー)です。 

勿論、澤穂希はジャパンチームのキャプテンとして、チームのみんなを引っ張り、自らも最多得点の5点をあげるなどしてMVPを獲得したわけで、最高のプレーヤーと思います。 尊敬します。

今日の結果の陰に、言葉では言い表せない多くの努力・ドラマがあるものと思います。 いずれそれはワイドショーなどで明らかになることでしょうが、とにかく今日の勝利は、今激動の災難に遭っている日本への激励のメッセージと感じます。 一つの目標に向かってみんなの力を結集すれば、夢が叶うんだということを「なでしこジャパン」が改めて教えているんだと・・・。  がんばれニッポン!!

2011年7月16日土曜日

円空さんの足跡

江戸時代の前期に、作仏行脚をしながら太田山・有珠山・恵山の三霊山を巡って「地神供養」をした僧円空は、今からちょうど345年前に蝦夷地へ渡ってきた。 


その頃の蝦夷地(北海道)は、松前を中心に今の函館が東の境、熊石が西の境という、現在でいう道南地域だけが和人地という藩の領土で、それ以外の蝦夷地はアイヌが住む土地であった。 藩主松前候は、初代慶広のあとの五代目の矩広が7歳で藩主に就いていた。 先代の4代高広が27歳で急逝したためで、筆頭家老の蠣崎広林(ひろしげ)が実際の藩の運営をしていたと思われる。

当時の世の中も今と同じ様に不穏な情勢にあった。 3年前の寛文3年(1663)には、宇須岳(有珠山)の大爆発が起こり、頻繁の余震と降灰が続き、作物への影響は甚大で、飢饉の原因にもなっていった。 寛文5年には、上ノ国の天の川が氾濫し多大な被害となった。 彗星も見られ、民衆の不安は増す一方であった。 また、アイヌとの交易にも和人の身勝手さが見られ始めて、両者間の関係も暗雲が立ち込め始めていた。

そうした松前藩にとっても、民衆にとっても厳しい世の中になりつつある時期に、ある僧が上ノ国の滝沢の滝で修業しながら大きな仏像を彫ったと家老広林の耳に入った。 5尺程(145Cm)の大きさの十一面観音立像で、稲荷社に安置されていたものを見て驚いただろう。 「祓い」の神(仏像)という意味を知って、家老広林は3つのことを僧に頼んだ。 

和人地のおもだった土地に「観音堂」を建てるので御神体を彫って欲しいと、有珠善光寺を再興して欲しいと、そして幼年君主矩広候のために仏像を彫って欲しいとお願いした。 勿論、和人地以外の蝦夷地の霊山を旅するための許可(証)を与えることも忘れなかった。

(2に続く)

2011年7月15日金曜日

日本初の快挙

アルバトロスとホールインワンを同一ラウンドで記録したのは、日本のプロツアー史上、男女を通じて初めて。 有村智恵はこの日、通算7アンダー(65)でホールアウトした。 

静岡県で行われている「スタンレー・レディース」女子ゴルフ第一日目で、有村智恵プロが、8番ホールでアルバトロスを、16番ではホールインワンを同じ日に達成したというもので、確立的には「3万年に一度?」という頻度だということです。

日本女子プロ協会の過去10年間の総ラウンド数は8万9482で、その間にホールインワンは148回胃、アルバトロスはたった5回でした。 同一ラウンドでこの両方がでるのは1080万9184ラウンドに一度の割合です。 ひとりで毎日1ラウンドしたとして、快挙は約2万9600年に一度という計算になるからだそうです。

当の有村プロは、この日の強運に「怖くなった」と話しているそうで、今回大震災に遭った仙台東北高校の出身で、宮里藍プロの後輩でもある彼女は、今後アメリカ女子ゴルフ界でも大いに実力を発揮してやっていける「強運」も持ち合わせていることが証明されたことにもなります。 

がんばれ有村! その日まで ネ

2011年7月12日火曜日

東北・北海道バイクツアー

7月14日の講演会が2日後に迫ってきました。
河島英五に関する情報は、まだありません。  河島さんの「TEN.TEN.CAFE」にも、メールしたのですが、当方の真意が通じていないのか・・・。

そのメール文を載せます。

こんばんは 初めてご連絡いたします。
わたしは、北海道福島町に住んでおります小笠原と申します。
数年前から「円空仏」の魅力にとりつかれ、
少しずつ勉強している開業医です。

当町にも一体の円空仏(観世音菩薩)があり、有形文化財として
大切に保管されております。
調べていきますと、1981年に河島英五さんが、その円空仏のスケッチをし、
コンサートをするために福島町を訪れていたということが判りました。
とても驚いて、当時のことを周りの人に聞いたのですが、
はっきり記憶している人がおりません。 30年も前のことですから・・・

インターネットで、「東北・北海道バイクツアー」のことは
情報を得て、日程などもわかったのですが、なぜ河島さんが
円空仏に興味を持ち、3000キロに及ぶ「円空仏探訪ツアー」
行ったのか知りたくなりました。
当時の5月14日函館でコンサートを行った時、朝日新聞の夕刊に
『円空仏を語り、なごやかに』という記事が載ったそうです。
その記事の中で河島さんが理由を語っていると思うのですが
その新聞記事も手に入りません。

そんな中、町の歴史講座の講演会で「円空仏」をとり上げることになり
わたしが7月14日に話をすることになりました。 いつも思っている
円空仏と河島英五さんの関係なども話したいのですが、
情報が少なすぎると感じています。

でも幸いなことに先日、河島あみるさんのブログの「3月18日」の記事で
福島の円空仏のスケッチ写真をみることができ、感激しているところです。

何としても、もっと河島さんと円空のことを知りたくネットを見ていると
貴店のメールアドレスをみつけました。
「東北・北海道バイクツアー」当時の河島さんの情報や、円空仏に魅せられた
きっかけなど、どんなことでも教えて頂ければと思いメールしております。

たいへん厚かましい無理なお願いかとも思いますが、
ご連絡お待ちしております。    小笠原 拝


じっくり情報を待ちます ネ

2011年7月10日日曜日

なでしこジャパン(1)

今朝から大忙しの一日でした。

朝の5時台に目を覚ましてしまった。 昨夜のアルコールの残り具合は、左程でもないが、まだ眠りのなかの割りにTVのスィッチはしっかり入れていた。 

画面には、「0-0」の表示が浮かび上がっていた。 H22年の『FIFA女子ワールドカップ』ドイツ戦の日本対ドイツの一戦のLIVE放送です。 ドイツにも、日本にも点数が入っていないという意味です。
青いユニフォームの日本と、白いユニフォームのドイツとの戦いで、身長差があるにもかかわらず良くやっているな~という印象です。

90分の枠のなかでの決着が付かず、延長戦(前半・後半15分ハーフ)へと突入していった。
結果は、「1-0」で『なでしこジャパン』が、世界戦で初めてドイツに勝利した映像に立ち会えた。 まことにラッキーでした。 延長後半、主将澤選手から一本のパスが、右サイドから走り込んできた丸山選手に出た。 たぶんタイミング的には、ここしか無いと言うポイントにボールが蹴られ、そのボールを丸山選手は右足で力強くゴールネットめがけて蹴り込んだ。 待望の一点が入り、日本の劇的な勝利へと繋がった。

ベスト4進出の瞬間でした。 きっとこのチームなら最高の結果、最高の色のメダルを獲得してくれるんではないだろう カ

2011年7月9日土曜日

臨時総会

「なご美会」熊谷正春
今日の「臨時総会」は、H22年度の渡島医師会の収支決算の報告がメインの総会です。 現在の会員数は125名で、道内の郡市医師会の中でも会員数の多いほうです。 決算は会員の皆様に承認していただき、無事終了となりました。

続く特別講演は、東京医科大学の老年学科の准教授桜井博文先生によります「認知症の治療と診断」という演題のものでした。 東京新宿区にある大学で、もの忘れ外来など幅広く患者さんを診ている先生は、数多くのことを教えてくださいました。 なかでも3つのことを特に記憶しました。

認知症の早期発見・早期対応の連携システムを地域で構築したことに感心し、生活習慣病が認知症を促進することは知っていたが、特に糖尿病の患者は高率に認知症になるというショッキングな最新データに驚き、そして3つ目は早期発見のためのスクリーニングテストを教えていただいたことです。

わたしたちの外来診療で、かかりつけ医としてすぐ役立つスクリーニングテストは、きっと明日からの診療にもおおいに役立つものと確信しています。 本当に良い話を聞けたものだと桜井先生には感謝しています ヨ

2011年7月3日日曜日

NHKスペシャル

「向日葵の会」
今日は、毎月一回行う「日曜当番」の日です。
今はインフルエンザなどの流行時期でもないので、急患と言っても「昨日イヌにかじられた」とか、「手に棘を刺した」などという患者さんで、何日も前から具合が悪かったという人も、日曜日で病院に来れる時間ができたので来院したという患者もいます。 仕事優先のため、少々からだの具合が悪くっても我慢しているようです・・・。 

ですから午前中に患者さんが集中することが多いので、午後からは時間的に余裕ができます。 いつもは、溜まっている書類を書きあげたり、カルテの病名付けをして過ごすのですが、今日は「NHKスペシャル」を視ることができました。 『恐竜絶滅 ほ乳類の戦い』というタイトルです。 昨年の放送で、今日は再放送でした。   

わたしたち哺乳類の祖先は、2億5000万年前にすでに地球上にいたが、からだはネズミのような小さなものでした。 その当時は、恐竜が地球上で繁栄していた時代で、およそ1億5000万年続いていたそうです。 日中は巨大恐竜が我がもの顔に闊歩しているので、小さな哺乳類は生き延びるためには夜間に活動し、食べものも何でも食べれるようなからだの構造になっていた。 

さらに1億2500万年前頃に『胎盤の獲得』という進化を哺乳類はしました。 繁殖革命ということです。

そうした大変大きな進化をした哺乳類にとって、天地がひっくりかえるような出来事が6500万年前に起きました。 10キロにもおよぶ巨大隕石がメキシコのユカタン半島近くの海に落下したのです。 高さ300メートルに及ぶ大津波、延々と続く森林の大火災、その後におきた急激な環境変化などのため、あらゆる生物は死に、勿論繁栄をきわめていた恐竜も例外なくほとんど死に絶えた。 

ところが、子孫を残す方法で都合の良いような“進化”を遂げていた『哺乳類』『鳥類』は、奇跡的に生き延びたものもいたのです。 哺乳類は胎盤を獲得していたし、鳥類は抱卵という習慣を獲得していて、卵から雛を孵し、雛が自分で餌を獲れるまで親鳥が育ててきました。 爬虫類は、卵は産みっぱなしで、後は知らぬ存ぜぬです。 海ガメがそうです。

胎盤にしても、抱卵にしても「親と子」の強い繋がり(命の絆)があれば、最悪の環境にあっても生き延びられるという証しということです。 

今日のスペシャルのタイトルの『哺乳類の戦い』という表現は、わたしたちのなかにある遺伝子DNAは、“子孫を残す”という一点で、進化してきているという意味にも採れるように思えます。 しかも、何百万年という気の遠くなるような年月の単位で・・・ネ

2011年7月2日土曜日

函館港開港

「なご美会」熊谷正春
1859年の7月1日は、旧暦では安政6年6月2日に相当する。
この日は、函館港が横浜・長崎とともに日本初の貿易港として開港した日であり、それを記念して今日は「函館港開港記念日」となっている。


長い鎖国政策を続けてきた江戸幕府も、ぺりー黒船来航以来、外国へ門戸を開かねばならない空気に陥っていたわけで、まったく先の見えない社会情勢でした。


黒船は、嘉永6年(1853)と7年に来航し、日米和親条約を結ばされた。 安政の大獄は1858年に起きている。 吉田松陰らの命が散った。 それを受けて安政7年(1860)桜田門外の変で井伊直弼が惨殺された。 開国をめぐってさまざまな人たちが、さまざまな主義主張で混乱極まりない時代でした。 


そんな中での函館・横浜・長崎港の開港であったから、その地域の人々の心情はいかばかりだったかと思い巡らします ネ




1853――――-嘉永6 黒船来航
1854――――-嘉永7、安政1 黒船来航、日米和親条約
1855――――――――安政2 安政の大地震
1856――――――――安政3 遠山金四郎没
1857――――――――安政4
1858――――――――安政5 安政の大獄
1859――――――――安政6 横浜開港
1860――――――――安政7、万延1 桜田門外の変