2012年12月30日日曜日

年末となって

松前「向日葵の会」小野祥子さん
今年はどんな一年だったかと聞かれると何と答えるだろうか?

一年を漢字一文字で表すとと言えるでしょう。 

今年ほど多くの人との出会いをした年もなかった。 人を介して人を紹介され、さらにまた初めての人との出会いがあったかと思うと、今までご無沙汰していた人との思わずの邂逅などと目まぐるしいほどであり、そうしたことが今新しい事業へと発展している。

金毘羅さんのご利益でしょうか? 

くる年もいい年でありますように ネ

2012年12月28日金曜日

今年の師走は

今月も何かと大忙しで、すっかり「日記」の更新がご無沙汰になってしまった。 最近になって思うことは私はやっぱり三日坊主だったかという反省です・・・。

今月は、1日(土)は渡島医師会松前・木古内ブロック懇談会が松前町で行われた。 町立病院の院長が会の幹事を引き受けてくださり、懇談から研修会の講師の世話、さらには懇親のセットアップまでして頂いた。 参加人数も20名以上を数え、意見交換もできたため結構良い会となったと思う。 函館からの参加医師は帰りのバスの中でもアルコール片手に話し込んでいた。 ご苦労様でした。

松前「向日葵の会」川村祥子さん
5日(水)は福島商業高校「高校生のための出前健康講座」を行った。 今年初めての試みで、国のがん対策基本法の改正が行われたことに合わせて実施したもので3年生を対象に「がんと生活習慣」と題した話をした。 がんのなかでもピロリ菌が発症に強く関与している胃がんをとりあげ、ピロリ菌感染が必須ということだが環境因子(塩分やタバコなど)の生活習慣も深く関与していることを訴えた。 
それと同時に、ピロリ菌感染の有無を調べ、JGSGに参加して感染している生徒に除菌を行うことにした。 最近の日本の高校生の感染率は10%以下という統計だが、福島町の場合は2割を超えていたのでびっくりです。 現在、除菌の進行中です。

8日(土)は、「がんタウンミーティングイン福島」福島町福祉センターで行われた。 渡島振興局と渡島西部4町の主催で今年は福島町が当番町であった。 当日は猛吹雪だったにもかかわらず127名の参加者があり、わたしを含めたパネラー6人も熱く語りかけた講演会となった 。 

函館新聞の担当記者が取材に来られて、記事も書いてくれた。 感謝です。
その後、振興局の担当者からアンケート結果が送られてきたのを見ると、参加して話を聞いてよかったという肯定的な意見が大半を占めていたので苦労した甲斐があったと満足です。

先月末と今月にかけてはJGSGによる中学生と高校生のピロリ菌感染検査並びに除菌研究に大半の労力を費やした感がある。 

除菌が成功してくれればその苦労も報われるし、福島町の20年後・30年後は胃がん発症率が急速に低下しているだろうと確信できる ヨ


2012年11月4日日曜日

H24年の駅伝


このブログを書き始めたのは、2008年の「南北海道駅伝競走大会」が行なわれた日からですから、丁度4年の月日が経っていることになる。 福島町を会場に札幌や旭川など道内の遠くから参加してくるランナーチームが多く、毎年110~120ものチームが集まります。

今年は、第30回という節目の大会でもあり、前夜祭の交流会・講演会には谷川真理さんが来町され、本番の今日も6区間26.8Kmを快走してくれた。 アップダウンのあるコースで、いわゆるハーフマラソンよりも長い距離だから走り終わったあとの様子を見たかったが救護班のわたしは最後尾を追走していたので、残念だった。

朝方の雨もあがり、風は強く吹いていなかったのでまずまずのコンディションと言うことで、小春日和というところだろうか。

福島町のライオンズクラブは毎年恒例のちゃんこ鍋や肉まん・あんまんなどを提供し、今年も大勢の参加者、家族の皆さんに喜んで頂きました。 

今年の大会を記念して第8回から30回までのポスターを一挙公開してくれたので、載せることが出来ます。 南部忠平氏、君原健二選手、中山竹通選手、三浦雄一郎氏などスポーツ界の著名人が講演に来てくれていたんです。

駅伝シーズンを締めくくる道内での最後の大会ですから、本当にたくさんの参加者があって盛り上がる毎年なんです。


ただ残念なのは、4年前に6区間の最後尾を力走していた木古内町の介護施設の参加がなかったことです。 またチャレンジして欲しいです ネ




2012年10月18日木曜日

ある看取り

今週の月曜日と今日の二日間で、お二人の看取りをしました。 お二人とも朝の早い時間の旅立ちで、ひとりは百歳を超えており、もうひとりはご住職さまでした。

百歳を超えていらっしゃるKさんは、90歳を過ぎた頃から「わたしはどこにもいかね。 先生のところで逝きたい」と私によく言ってました。 腰が曲がってきてもゲートボール協会に入会していて、大会があるといっつも声がかかるとグチをこぼしていたが、その実はとっても嬉しかったようで、いつもニコニコした笑顔で話していたのを想い出します。

ほんとうに笑った時の顔は皺だらけですが、とても良い雰囲気をもっていた人でした。お通夜に集まったファミリーは70名に若干及ばない人数だと言いますから驚きです。 子どもだけでも10人ですから、何となく想像はできますが・・・。 

二年程前に、私の診察室のTVモニターの机のところに、ひ孫さんが夕刊新聞の写真の投稿欄に送ったという「笑顔の写真を置いておきましたから、見覚えのある患者さんもいるんではないでしょうか? 大往生でした ネ

2012年10月10日水曜日

オリンピックの日

48年前の今日は、東京オリンピック開会式が行われた日だったと思います。
私は、中学生になっていて、記憶では白黒のテレビ画面を学校で観たと想っている。 勘違いでなければだが・・・。

その記念日に合わせるように、今日は私にとっても”ある記念になる出来事”が行なわれた日でもあるんです。 

今日はまた私の父の月命日でもあった。 月日の経つのはとても速く、ベット上にいた7年間よりももっと月日が経ったと思う・・・。 

そう言えば、昨年の出来事で、いつかは判らないが父の運転免許証(バイク)が何かのゴミと一緒に海に流されたことがあり、それが海流に乗って青森の八戸の海で拾われ、八戸警察署を介して私の本家(福島町)に届けられるということがあった。 海流のせいと言えばそれまでだが自宅に届けられたということが何らかの不思議な力が働いた結果ではないかと深く感じてしまったものです。

永く在宅療養をさせた(?)のは、ひょっとして私のせいかしらと思う時もあり、医療とは?介護とは?何だと真剣に考えることもあった。 だから、いろんな意味でその経験を活かして貢献しなければならない分野の仕事があると考えるようにもなったという次第なんです ヨ

2012年9月30日日曜日

学術講演;被ばくとリスクとフクシマ

渡島医師会の学術講演会が昨夜函館のホテルで行われました。 職員や家族も参加しての講演会で、「被ばくによる健康リスクとフクシマ」と題して広島にある放射能影響研究所(放影研)の理事長の大久保利晃先生が講師として話して下さいました。

放影研は、戦後アメリカが建てたABCCという原爆被ばく放射能の研究所から1977年に日本とアメリカが半々づつ経費を出しあう公益財団法人として設立された研究機関で、広島市の比治山にあります。 実際は一般人の方々にも開かれた研究所で、国内外からの見学者があるそうです。
かまぼこ型の屋根をした建物はABCCの当時からのままだと理事長が話されていましたから、耐震性、耐久性に優れている構造のようです。

話が難しいだろうと覚悟をしていたが、理事長自ら「わたしは公衆衛生専門で放射能のことは素人だから、素人のわたしが理解している範囲の放射能、放射線のことをお話します」と前置きして話し始めました。 なんと率直なお人柄だろうと感心しながら話に耳を傾けました。

医療被ばくやその他の被ばくでの発がんのリスクの解明は放影研が65年間蓄積している研究成果などから行なえるという意味においても研究所に期待が集まります。

ただ、今知りたいことは「フクシマ原発」のことがメインという意味もあり、フクシマ型の被ばくについて外部被ばくと内部被ばくにわけ、物理的・生物学的半減期など分かり易く説明してくれました。 最後のスライドは「ただしく怖がる」というもので、放射能にたいしての正しい知識をもつことの大切さも強調していました。

一部には放影研に対する「ある」見かたがあるのも事実のようです。 それまでの歴史的なことも含めて詳しく判らないので意見は差控えますが、懇談の席で理事長のお話を伺っている限りは「原発で使用される放射能の最終処理施設が確保されない限り原発運転はやるべきではない」という意見を持っている方です。 

函館港の夜景を見ながら、津軽海峡の”豊饒な海”を守りつづけたいと思わずにはいられなかった ヨ


2012年9月18日火曜日

タイミング

「なご美会」熊谷さん
ちょっとしたタイミングから横綱の白鵬に土がついた。 大相撲秋場所10日目の番くる合わせで、栃煌山は幕内の東前頭5枚目の番付けだから大金星になる。 彼にとっては初の快挙だそうだ。 7勝3敗となって、終盤の勝ち星次第では殊勲章も夢ではない。

がぜん面白くなってきた今場所は日馬富士横綱昇進がかかった場所でもあり、明日からの相撲放送に目が離せなくなってきた。 

土俵の上には富が埋まっているという表現もあるように裸一環でそれと同時に名誉も手にできるのが相撲道です。 もちろんほんの一握りの体力・知力を兼ね備えた人物だけですが ネ


2012年9月15日土曜日

開院記念日

今日はオガクリの23回目の開院記念日です。 

早いものです。 なんだかアッという間に過ぎてきたように思えるし、また長かったなという気持ちもあり複雑です。 ただ、22年間も地域との交流を得て医療に保健・福祉に関わってこれたという事だけは感謝です。

これからの課題の一つは、今進めようと考えている「がん予防」をもっと具体化していくことだと考えています。 若い世代への啓蒙そして教育が大切だと思っています。 学校での講演などを繰り返しながら少しずつでも生活習慣としてのがん予防の話を聞いてもらえるよう働きかけます。 できれば道南エリア全体での取り組みになるよう組織(たとえば医師会)だった活動に発展していければいいなと考えています。


今日は福島大神宮の秋の例大祭の日でもあります。 ちょうど遠くからですが笛の音が聞こえはじめてきたので、行列一行は間もなくこの界隈を門払いしてくれることでしょう。 天気も清々しい秋晴れになってくれたので祭りに参加している人達は日焼けが一層進むことでしょう ネ

2012年9月10日月曜日

湯倉神社例大祭




湯の川2丁目の町内会に「湯倉神社」がある。 境内の内外には露天が並びたくさんの参拝者で賑わっていた。 神輿の出番は生憎の悪天候の予報で中止となった。







宮崎県から宮司の知りあいという関係で中村道場の5人の剣士が函館に来られ奉納居合を行なった。 迫力ある剣さばきに本殿に集まった観客から拍手が沸き起こっていた。




宮司さんの話だと、中村さんは家族みんながタイガーマスクを被って撮った写真を年賀はがきに印刷して送ってくれるそうです。
どんな写真か見てみたいです ネ



2012年9月7日金曜日

夷酋列像特別展

今度の日曜日9日がラスト展示となる 〈夷酋列像〉特別展示 が北海道立函館美術館で開かれている。 今回が3度目となる函館での開催だが、私はフランス・ブザンソン美術考古学博物館に所蔵されている本物を見るのは始めてだったので少しばかり興奮した。

7月29日の真夏の暑い日に福島町史研究会のメンバーと一緒に観覧した。 函館の中央図書館にある2枚( イコトイ、ションコ )とブザンソンのものを見較べてみた。 人物そのものは一寸違わず色合いもほとんど変わらないと思った。 よくもこうまで微細に描けたものだと感心するばかりだった。

1789年に起こったアイヌの「クナシリ・メナシ蜂起」の際、松前藩側に味方して鎮圧が容易にできた功績を讃え、翌1790年アイヌの首長12人の画像を描いたのが松前藩の家老蠣崎波響です。 その作品が夷酋列像なんです。 是非見て欲しいものです。

ところで、この作品の12人の内、実際は5人の首長が松前に来たが、あとの7人については話を聞きながらの作画だったというから、その事もすごいことです ネ

2012年9月4日火曜日

ヤングなでしこ


試合が始まって間もなくの失点は、最後まで重く伸しかかった一点だった。 身長差は歴然として体力では負けていたと思うが、「ヤングなでしこ」も運動量では負けないくらい良く走っていた。

今日の昼食時のTV情報によると、日本の女子サッカー人口は諸外国に負けないくらいいるらしい。 しかも、その育成システムがしっかりしてサッカー女子の裾野が大きく広がっているそうだ。 頂点の「なでしこ」まで途切れることのないような構成になっているから、日本の未来は明るいと思われる。

土曜日の3位決定戦でメダルを手にしてくれれば、裾野がもう少し強固なものになっていくことでしょう。 

もちろん、男子も次のW杯アジア予選に勝ち上がり、同時にすそ野が拡がっていくように死力を尽くして戦い、ブラジルW杯への弾みにしてほしいものです ネ

2012年9月3日月曜日

ハッピーバースデー

こんな真夜中に携帯の着信音が鳴った。
ひょっとしてこの暑さのため具合を悪くした在宅患者だろうか? あるいは何だろう・・・と考えつつ On  にしてみると、その向こうから ”ハッピーバースディ~ ”の少したどたどしい歌声です。

改めて便利になった今の世の中に感謝すると共に、先週の土曜日に聴いた講演の 2015年と2025年問題 が気がかりになる年代なんだな~という複雑な思いに駆られている。

明日も気温が高いという予想だから熱中症に気をつけていただきましょう  ネ

2012年9月2日日曜日

第13回健フェス

今日も暑い夏の天気だった。 そんな中で、第13回目の「ふくしま健康フェスティバル」が福祉センターで約250名の参加者を集めて行なわれた。


まず、6時からの早朝ウォーキングから始まった。 まだひんやりする空気の中を歩くのは、とても気持ちの良いもので準備体操の後、約35分間はあっという間に過ぎた感じだった。 途中、栗がたわわになっている様子や、時期が過ぎたがアジサイが小路なりに50メートルほども咲いているところもあり結構楽しめた。

8時にスタッフ一同が集合し、それぞれ役割分担毎に準備を始め9時の開場を待った。 

9時に開会の挨拶をし、各催しコーナーもオープンし、来場者がそれぞれ検査や体力測定などを行なった。


今年の目玉は2つあり、ひとつは「こども一日体験 写真撮影」と、「胃がんは予防する時代に」と題した北海道大学の間部克裕先生の講演でした。 一日体験は医師・看護師・消防士などに変身して記念写真を撮っちゃおうという企画です。 小学生が応募してくれ、看護師さんの服装に着替えて館内を往診して歩いてくれた。 みんなとっても良い顔をしてたね~。

小学生の看護師さん
間部先生の講演は、ピロリ菌の発見の歴史などからピロリ菌と胃がんがどの程度関係しているかなど初歩的なことから話し始め、血液検査で胃の健康度がわかる「ABC分類」を胃がん検診のスタートに組み入れれば効率の良い胃がん検診になるという話から、ピロリ菌の除菌がいかに大事かを分かり易く説明してくれたので暑さも気にせず聴き入ってしまった。 



熱心に講演する間部先生
除菌することで胃がんの発生や胃潰瘍の再発などが少なくなり、胃にとって良い環境になるということですから、検診年齢でない40歳以下の若年者のピロリ菌感染チェックがとても大切だという意見です。 中学生や高校生の年代のピロリ菌感染者に除菌を行なうと将来の胃がん発生が阻止されるということになるのです。


”胃がん撲滅”も夢ではなくなるかも知れません ネ


2012年8月14日火曜日

新成人のピロリ菌検査

「なご美会」熊谷正春
38名の新成人おめでとう!

予告どうり「二十歳のピロリ菌感染検査」北大JGSGの協力を得て福島町では初めて実施した。  20名の成人が検査をしてくれて2名の感染陽性者が判明した。

二人の成人には今後の除菌と定期的なフォローなどについて充分説明し同意を得て行ないます。 将来の胃がん発生を阻止できる大きな大切な試みでありますから。

今後の若年者への「検査」の拡大への良いステップになればいいです ネ

2012年8月13日月曜日

福島やるべいかまつり

松前「向日葵の会」田辺さん
今日は朝からの雨のため、「やるべいかまつり」は残念ながら一日順延となってしまった。 当然、まつりのクライマックスを飾る花火大会も明日になります。 天気予報は良い天気です。 期待しましょう。 

ところで、今夜の行事で大事なことがありました。 毎年恒例で行われている「成人祭」です。 福島町始め多くの道内の地域では、お盆の時期なら就職した新成人達も帰省するので、夏の時期に「成人式」を行なうところが多くなっています。 福島町の場合は、いつの頃からでしょうか?

今年の新成人は47名です。 その内、30名が午後6時から福島大神宮に集まって神主のお祓いを受け、成人となった誓いを述べ、御神酒をいただきました。  成人としての自覚をいっそう強くしたものと思います。

それに先立つ新しい催しとして、道内では初めて「新成人の胃検診」としてピロリ菌感染検福島町医歯会北海道大学の協力を得て行ないました。 今日は検査の説明とアンケートだけでしたが、反応はまずまずでした。 若年からのピロリ菌除菌が将来の胃がんの予防に繋がるということから「胃がん撲滅キャンペーン」の一環として行なうものです。 

明日の実施が待ち遠しいです ネ


2012年7月26日木曜日

熱波

「み」のサインはオガクリ院長です
今日は、今年の夏一番の暑さで、ここ道南でも30度を超える真夏日でした。 

それでも今日の仕事場(オガクリ)では、エアコンを運転しませんでした。 昨年までなら、とっくに使っていた家電製品を動かさないで、職員は勿論、そして患者さんたちにも協力をして頂いてます。 節電のため、計画停電が実施されないように願って・・・です。 

ちょうどオガクリは国道228号線に沿って建っているため、計画停電のエリア内に位置しています。 近くに消防署のポンプ車の倉庫があったり、町の吉岡分室があるのだが、バッチリ停電計画内に入っている。


ただ、身体の具合の思わしくない方々には、他にもっといい方法があるか明日以降考えてみましょう。


それにしても暑い日でありました ネ

2012年7月20日金曜日

函館港の花火

「なご美会」池田さん
先日の15日は「海の日」でした。 その制定記念として函館新聞社が函館港の緑の島から花火を打ち上げる花火大会を行ないました。

当日は、良い天気にも恵まれ、風もあまりなく絶好の花火の日と思われました。 夜の7時45分から始まった催しは、たくさんの人出で賑わい、仕掛け花火や大輪の花火が揚がるたびに子どもから大人まで黄色い歓声が上がっていました。 

ビデオを持ちだして、フィナーレの場面を映像化し、ユーチューブに投稿してみました。 アクセスしてみてください。

「函館港 花火大会 ~海の日制定記念~ Fireworks at Hakodate 2012」


花火を観るには浴衣姿が本当によく似合います ネ

2012年7月14日土曜日

夷酋列像がやってくる

2度目の里帰りの時のポスター
「チロップ館」に展示中
今月の23日に、フランス・ブサンソン美術館所蔵の『夷酋列像』がはるばる海を越えて松前に里帰りします。 


江戸後期の松前藩の家老であった蠣崎波響が、「メナシ・クナシリの戦い」で反乱の終息に貢献した蝦夷の長らをねぎらう為に松前に招いた時に描いた12枚の絵が素晴らしい出来栄えだったため、波響の絵師としての名声が一気に高まったと言われており、その絵の内11枚がブサンソンで発見され、今回が3度目の来道です。

そこで以前、宇江佐真理さんの『桜花を見た』という小説について書いたわたしの小文があったので載せてみます。




宇江佐真理『桜花を見た』を読んで

             福島町史研究会   小笠原実

宇江佐真理さんの著「桜花を見た」を知人から借りて読んだ。 本の題名は「さくらをみた」となっている。 初版が2004年だから、本を手にして読むまでに随分と年数がかかったものだ。

宇江佐さんは、函館市出身で、私と同じ高校の一年先輩の女流作家です。 道新の夕刊に、不定期のようだが投稿記事(ウェザーリポート)を書いている。 作家の山本一力さんらと親交のあることなど、身の回りに起きたその時々の事柄を書き寄せており、最近では自分の小説「雷桜」が映画になるまでのエピソードや試写会の模様などを載せていた。 映画「雷桜」は今TVでも盛んに宣伝している話題作だ。

さて、表題の本『桜花を見た』は、江戸時代の実在の人物をモデルに書いた五つの中編を載せている。 その中でも『夷酋列像』と題した作品を是非読みたいと、数年前から切望していて、やっとその希がかなった。 

この作品の主人公は、松前藩家老の蠣崎波響(かきざきはきょう)という人物で、キーとなる登場人物は、松前道広(松前藩9代藩主)と大原左金吾(丸山応挙一門の絵師で、雅号は呑響、墨斎)だ。 歴史的出来事のキーワードは、「メナシ・クナシリの戦い(寛政元年1789)」、「松前藩の陸奥の国梁川 への移封 (文化4年1807)」、「松前藩の蝦夷地復領(文政4年1821)」と、私は考えて読了したが、波響の妻となる「かな江」の存在もこの物語に大きな厚みを持たせる結果となっていると思われる。

波響(1763~1826)の母は、松前藩8代藩主資広の側室の自正院文子(和歌の雅号は松前文子)で、彼女の実家は、江戸の長倉屋という松前藩御用達の呉服屋であった。 波響は松前藩9代藩主道広の腹ちがいの弟として子どもの頃から画才を認められ、江戸で絵(長崎画)の勉強をし、その後丸山応挙派の文人・画人と交流を持ち、丸山派の画風として有名になる数多くの作品を世に送り出した。 

波響(広年)が藩政に携わっていた頃、歴史的な出来事として、和人たちの横暴さに耐えかねて寛政元年(1789)に蝦夷人が蜂起した「メナシ・クナシリの戦い」(寛政蝦夷騒動)が起ったが、その鎮圧のために同胞の蝦夷の長老(乙名)達が松前藩に味方し、反乱した蝦夷の降伏に力をかしてくれた。 鎮圧成立を祝って、協力してくれた蝦夷の長老ら80余名を松前城下に招いた時、彼らの身なりが貧しかったので、藩庫に保管されていた蝦夷錦(えぞにしき)の衣装を着せて藩主道広に謁見させた。 

その時の蝦夷の長老ら12人の様子を絵に画いたのが「夷酋列像」です。 波響が一年に及ぶ月日をかけて完成させた作品は、道広はもとより多くの人々に驚きをもって受け入れられた。 つまり絶賛された「画」は、京にまで紹介され 119代光格天皇の天覧も叶い、国中に波響の名声が広まったというわけだ。 

ただこの時、宇江佐さんは、まだ波響の妻となっていない許婚の「かな江」に、「同じ仲間なら、手柄のあった蝦夷はどうして蜂起した蝦夷の命乞いをしなかったのだろう」と言わせている。 勿論そのことは波響を苛立たせるだけだが、12人の列像の中で唯一の女性であるツキノエの妻チキリアシカイには「わたしは一族の長の妻であり・・・いざという時は、長に代って敵と闘わなければならない・・・その敵が息子であっても娘であっても事情は同じです。 この度のことも息子だけを助けるという訳には行きませんでした」と、語らせている。 
チキリアシカイの息子セツハヤフは人質であり、生贄であり、息子の命を以て贖われた収束でもあり、翡翠の耳飾りと首飾りをさせ、こげ茶の蝦夷錦を着せた彼女の表情はこの世のものとも思えぬほど堅い。 もし粉本(下絵)があるならチキリアシカイのものは是非見てみたいものだ。
ここまでが波響の人生のトントン拍子な「楽」の時代であったと言えるのではないだろうか。

波響の人生で「列像」を描いていた頃から、松前藩は蝦夷地へ頻繁に南下してくるロシア国の脅威に脅かされることとなり、そのために藩主をすでに退いていた道広であったが、10代藩主章広の外交相談役として、以前江戸藩邸で風山流の兵学を講義されたことのある大原左金吾(呑響)を京都から招聘し、その外交対策にあたらせようとした。 
実際、ロシアやイギリス船が頻繁に蝦夷地の近海に近づいてくるため、その対応に大変苦慮し始めていたのだった。 すでに波響の人生での「苦難」の時代が始まっていたと言える。

道広に乞われて松前に来たはずの大原呑響(どんきょう)であったが、ロシアの南下政策に対する道広の施策の無さや傲慢さに、またイギリス船の蝦夷地虻田入港をめぐって松前藩の政策に不満を持ち、ついに逃げるように松前を去ってしまった。 彼は江戸へ向かう途中の水戸で、彰考館総裁の立原翠軒(たちはらすいけん)に会い、松前藩の現状を訴えた。  
翠軒は「墨斎奇談」を著して、幕府に対し松前藩(道広)は外夷内通の意志ありと述べたことから、一連の呑響の行動は松前藩の上知(あげち)の原因をつくったと言われるようになった。

文化4年3月、江戸城から使者が松前に到着し、松前藩の九千石降格と 「陸奥の国伊達郡梁川への移封」が伝えられた。 藩の財政から考えて、約400名の藩士のうち、士分66名・医師4名・足軽70名の士籍を削って梁川に移封することになった。 寄合席から執政に昇格した波響は、いっきに藩の重責を担うこととなってしまったのだ。

その後の波響の半生は、松前藩の復領が叶えられることが自らの使命と考え、そのための資金造りに精をだすことになる。 「夷酋列像」の作者としての彼の名声は、国中の誰もが知っているから、彼の描く「絵画」は、おそらく高額で取引されたことだろう。 波響の絵の代金は、復領を頼む為の賄賂(わいろ)として、将軍家斉の父である一橋治済と側用人の水野出羽守忠成(みずのでわのかみただあきら)の二人に遣われたそうだ。

とうとうそうした波響の十年以上に及ぶ努力の甲斐があって、文政4年12月7日「松前藩の復領」が幕府から発表された。 側用人から老中の座に就いた忠成が幕閣の重職らの了解を得ないで、独断で決めてしまった措置です。 
復領後の波響は、家督を息子の広伴に譲り、文字通り絵三昧の日々を送った。 松前画壇なるものを形成し、後世に伝わる優れた絵師を輩出させたが、波響は復領から5年後の文政9年6月に63歳で没した。

天覧が叶うほどの画才を持った絵師が、売り絵のための「絵」を描いて、自ら執政をしている藩の窮地を救ったという「芸は身を助ける」式の簡単な話ではすまされません。

波響に、妻かな江は無学な女で絵などわかりもしないと言わせる一方で、波響の絵の一番の贔屓者は母上であると息子広伴に言わせ、「かな江が妻でなければ今日の広年はない」と感謝する気持ちをさらりと波響に語らせた宇江佐さんは、この本の最後で「松前応挙と呼ばれ、『夷酋列像』で人々の耳目を集めた波響こと蠣崎将監広年は、その画業もさることながら、一藩の怒涛のごとき運命を自らの才覚で乗り切った能吏でもあった」と結んでいる。 




以上が、『桜花を見た』を読んで感じたことでした。 宇江佐さんの道新夕刊のコラムは終了してしまいました。 エッセイにも読んで楽しい内容がいっぱい詰まっています ヨ

2012年7月13日金曜日

ABCリスク検診


今年の5月に行なわれた「特定健診」の際に、同時に「ABCリスク検診」も行ないました。  その結果は、以前のブログにも載せていますが、ピロリ菌の除菌をした後の群別を載せていなかったので、改めて男女別の結果と合わせて残しておきます。

A群  154人のうち27人の受診者が除菌成功例EA)でした。
B群  66人のうち7人が除菌をうけていたが失敗だった。 男性3、女性4
C群  92人のうち3人が除菌失敗例でした。 男性2、女性1

したがって、今回の集計は                 
                男性   女性
A群   127(39%)   40    87
EA群   27( 8%)   12    15
B群    66(20%)   23    43
C群    92(28%)   32    60
D群    16( 5%)    6    10
となります。

EA群は、除菌が成功するまではピロリ菌が胃の中に生息していたわけだから、「胃がん検診」という観点からはB群に相当として「がん検診」のフォローをしていかなければなりません。

今後は、EA/B/C/D群の胃カメラでの精密検査が必要で、その結果によって来年度以降の検診のフォローの仕方が決まってきます。 効率の良い、体にやさしい検診になっていくことを願っています ヨ

2012年7月11日水曜日

パンダのこと

何に見えます?
「なご美会」熊谷さん
24年ぶりに東京の上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたというニュースが流れたのはは6日前だったと思います。 7歳のジャイアントパンダ・シンシンが生んだのは雄のパンダで、名前がどうなるかなどとマスコミでも騒がれ始める動きがあっただけに、今日の昼のNHK・TVの臨時ニュースには参った。 今朝の8時30分に赤ちゃんパンダが亡くなったというニュースだったからです。

さて、今日の道新夕刊の「今日の話題」にコラムニストの高山昌行さんが北京に駐在していた2008年当時の記者会見での出来事を、今回のパンダの赤ちゃん誕生に触れながら記事にしています。 

現在、日本と中国との間には、さまざまな懸案問題があり、すべてが良好な関係だとは言えませんが、少なくとも日中国交正常化(1972年)を記念して上野動物園に始めて贈られたパンダは両国間の友好の証しでもありました。

今回も、パンダの貸与がきっかけで赤ちゃんパンダが生まれましたので、友好ムードはいやが上にも高かっただけに・・・今朝のニュースには参った。 

パンダの事については北海道出身の有名人が詳しく、黒柳徹子さんや安住アナウンサー等です。 特に、安住アナウンサーは、パンダの名付けの名前を当てるのを得意としていて、「今回の赤ちゃんパンダの名前はこれだ!」という名前を科学的にすでに引き出していたそうです。 

こうなった以上、その名前を公表してくれるでしょうか?  安住さん ヨ


2012年7月10日火曜日

チロップとは?


昔懐かしの時計やカメラにフィギュアと熊谷さん
以前も「チロップ館」のことは載せましたが、久しぶりに訪れてみると、蒐集して置いてあるものなどはすっかり多彩になっていました。 お年寄りの人達が訪れてくれると、若かった頃のことを鮮明に想い出し、認知についても良い効果があるのではないだろうか・・・?

非薬物療法として、回想法、音楽・絵画・園芸療法などあるが、まさにそれらのことをほとんど体現できるのが「チロップ館」であるともいえます。 本当に是非見に来て、タイムスリップしてください ネ

2012年7月9日月曜日

健康だより第23号

久々の『オガクリ健康だより』です。 

今回は、ロコモの最終回として鍛えるべき筋肉の個所を考え、2つの運動を紹介しています。 開眼片脚立ちスクワットです。

どちらもコツさえつかめば無理なくできる運動ですから継続が大事なことです。


「オガクリ広場の仲間たち」は、このブログの絵手紙にも協力して頂いている福島町の絵手紙の『なご美会』の登場です。

先日、その代表者の熊谷正春さんにお話を伺い、会員数や2年前から続けている75歳以上の患者さんへの「絵手紙通信」のはじまりの経緯などを寄稿していただきましたので載せています。

『チロップ館』のことについては、以前のブログにも取り上げているので記憶に残っている読者もいることと思います。 その時よりも最近の『チロップ館』には素晴らしい品物が所狭しと集められています。 

どうぞ是非お尋ね下さい。 きっと皆さんを懐かしい時代へと導いてくれることでしょう ネ

2012年7月8日日曜日

自然治癒力

「西洋医学の父」と呼ばれる古代ギリシャ時代の医師ヒポクラテスによれば、人の病気を治す基本的な力は、各々に内在している「自然治癒力」だと述べています。 そして、医師の仕事はその「力」を引き出したり、補足したりすることだとも言っています。 

勿論、すでに病気になった患者の治療は医療の手を借りるわけだが、日常の健康維持は本人自らすべきで、医者は助言者でいいんだという話です。 

もっともなことで、こうした考えは岩手医科大学の名誉教授で医学史の研究で有名で、ヒポクラテス研究の第一人者でもある石渡隆司先生も「胃や腸の健全化は、人間の存在の根幹で『腹が決まれば』という言葉があるが、それはまず自分の胃腸が安定していることだ」と説明しています。

超高齢化社会の到来を前に、社会保障費の急増する今だからこそ、「食」を通じた健康管理が大切だとして、「人々が自分の健康維持を丸ごと医療に委ねるようになると、医療費は際限なく膨張し、やがては医療費と介護費で国の経済は破綻する。 そこから起こる悲劇は極めて明らかだ」と断言しています。 

長年にわたり医学史を研究してきた学者の箴言(しんげん)は意味深いものがある・・・ということです。 

さて、4月からスタートしてドラマ部門の視聴率が断然トップなNHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』のなかでも、町医者として好演している坂田医院の世良公則先生は、主人公の梅ちゃん先生(堀北真希)「医者はただ傍に居るだけでいいんだよ・・・」という言葉をかけていました。 

その言葉の持つ意味を悟った梅ちゃん先生は、大学病院を辞め、戦後まもなくの医者の少ない東京の蒲田地区で開業する決意をし、実現するところまでが先週の話でした。 これからドラマがどう展開していくのか興味深々というわけで、朝の時間のやり繰りに困っている毎日です ネ




2012年7月5日木曜日

ヒッグス粒子

「向日葵の会」圭子さん
世紀の大発見とか金メダルに相当する発見とか、昨日からの科学関係のニュースでは大騒ぎな話題が「ヒッグス粒子」のことです。

宇宙の成り立ちや銀河系の誕生の解明に役立つとか説明を聞いても今ひとつピンときませんが・・・。

1964年イギリスピーター・ヒッグスさんがその存在を予言した素粒子で、私たちの身の周りも含め、すべての宇宙空間を満たしていて、もしこの素粒子が存在しなければ宇宙を構成するすべての星や生命が生まれてこないことになることから「神の粒子」ともよばれているそうです。


ヒッグス粒子の担う大きな役割は、物質に「重さ」を与えることです。 

宇宙誕生の時の大爆発で生み出された大量の素粒子は、その際自由に飛び回っていたが、たくさんのヒッグス粒子にぶつかることで動きづらくなり、やがて物質を構成していったと物理学の分野では考えられていて、その動きにくさが質量そのものだとしています。

ヒッグス粒子はパーティー会場にも例えられるそうです。 会場の大勢の人たちがヒッグス粒子で、その人波の中を人気アイドルが通り過ぎようとすると、たちまち多くの人にまとわりつかれて動きづらくなってしまいので、この動きづらさが「質量・重さ」だと言うのです。

宇宙は17の素粒子から成り立つという現代物理の標準理論からすると、今までクォークレプトンなど16の素粒子が実験で確認されていましたから、今回の99.9999%の確率で確認されたヒッグス粒子は最後のひとつだということです。 日本からは東大の先生方など数多く参加し、実験していたそうです。

さて今年は、今月28日からイギリス「オリンピック」が開催されます。 1964年は、アジアで初めて東京でオリンピックが行われた年です。 何となく因縁めいたものを感じるのはわたしだけでしょう カ



2012年7月1日日曜日

節電

「なご美会」池田さん
今朝の新聞の折り込みにビックリしました。 今月から始まる”節電と計画停電”の日程表が入っていたからです。

節電については7%という数字を覚悟していたものの、計画停電については左程気にしていなかった自分が情けなかった。 昨年、関東地域で大々的に実施され、それに関するトラブルなどをニュースで見ていたものだが、はたしてその計画が北海道でも行なわれると知って、改めて電力不足のことを真剣に考えねば・・・と思っている。

先月開催された道医師会の会議でも道からの担当者が来て「節電と計画停電」についての説明があったが、その時はまだ計画の予定段階ということで在宅患者で人工呼吸器や在宅酸素を使用している実態調査をした結果等を説明したという段階でした。 

その後、地域の保健所からの電気機器を使用している在宅患者のアンケート調査があり、そうした調査を踏まえて今回の停電計画の発表となったようです。

渡島地域の病院・診療所などは函館を中心に存在しているのが実情で、計画停電はそうした病院のある地域を除いて実施されるようです。 ですから、函館市はほぼ全域が計画外になるでしょうし、木古内町、松前町もj計画外です。

となると、福島町計画内に入っていますから、停電が実施されれば診療はできないという事態になります。 診療所でも検査から会計事務処理まで全てコンピューターの時代ですから、停電になるとお手上げ状態になってしまいます。


あーあー、何と言うことでしょうか。 私たちの日常生活はほぼ全てが電気無しでは成り立たなくなっているんですね。 今からでも遅くないと思いますから真剣にエネルギー政策のことを考えねばならないです ネ

2012年6月30日土曜日

介護認定

アイリス
介護保険制度2000年に導入されてから要介護認定者がどのくらい増加したかと言いますと、初年度が256万人でしたから10年目の2010年には506万人になりました。 10年でほぼ倍増という事です。

第一号被保険者数(65歳以上)は2910万人で、このうち要介護認定者の割合は16.9%です。 あとの8割強の方々は認定されていないということは介護申請をしていない、サービスを利用していないということです。 自立している、健康寿命が高いという人達が多いということで大変結構なことです。

その一方で、口からの食事ができなくなった患者の腹部に小さな穴をあけ、流動食や水分を胃に直接送り込む「胃ろう」という方法がここ10年ほどの間に急に普及してしまいました。 管理が比較的簡単で、いらなくなったら(経口摂取ができるようなったら)閉じてしまえる便利さがあるため、在宅介護などでも広く使われてきていたのです。

しかし、胃ろうという方法については、患者に苦痛を与えるとか、穏やかな最期を妨げる場合がある(虐待ではないか? など)として医療関係者ばかりでなく患者家族などからも疑問の声が上がっていました。

そうしたなかで今回、日本老年医学会は高齢者の終末期医療における胃ろうなどの「人口栄養」について、開始する際は慎重に検討し差し控えや中止も選択肢とするという新たなガイドラインを公表しました。

単に延命効果が得られるだけでなく、本人の人生をより豊かにするものだろうか・・・などを勘案した導入時の選択決定が大切であるということです ネ


2012年6月29日金曜日

新幹線

「なご美会」池田さん
北海道新幹線の札幌までの延伸が今日認可された。 工期は24年と長い。 

完成までに建設業を中心に18万人の雇用増と全産業で2兆5400億円経済波及効果が見込まれるため低迷する道内経済に強烈なカンフル剤になるだろうという道経連の2006年の試算があります。

昨年全線開通した九州新幹線鹿児島ルートの効果は、九州の消費推計額で前年度から約2500億円増えたという実績があることから、さきの道経連の試算も妥当性を物語っていると考えられています。

ただ、並行在来線問題と道の巨額な財政負担が重くのしかかってくるわけで喜んでばかりもいられないのでは・・・とも言われています。 また、今から約24年後の開業というのは、生きながらえていられるだろうかという思いもあります。

さらに、駅名の「新函館」「北斗函館」かの決着は2015年の新青森と函館間の開業までにつけなければなりません。 こっちの方がもっぱらの課題でしょうか ネ


2012年6月28日木曜日

道警柔道

「なご美会」池田さん
27日の道新夕刊に、その記事は載っている。 地域を守る力で「一本!」という大城道雄記者の記事です。

「北海道警察柔道大会」は毎年行なわれている。 小規模警察署(39人以下の署員)の部は第3部で、今年は25チームが出場し、札幌市の北海道立総合体育センター「きたえーる」今月の21日に行なわれました。 3人一組の団体戦トーナメントで、昨年優勝している松前署はシード権を与えられ、2回戦からの対戦となりました。

決勝戦は池田署との対戦となり、先鋒と大将がそれぞれ一本勝ちをして大会2連覇を達成しました。 松前署としては初の快挙で、署長は「期待はしていたが・・・地域を守る警察官の力強さを再確認した」というコメントを大城記者に語ったそうです。 


健康管理医という私の立場からも「おめでとうございます!」と団体の4人のメンバーを本当に讃えたいです ネ 




消費増税

「向日葵の会」花田冨
今年の「母の日」5月13日の新聞に『消費増税 本格論議へ』という見出しの記事が載っている。 関連法案国会審議がスタートというサブタイトルが付いている。

1978年大平正芳内閣の時に一般消費税構想が初めて本格的に検討された。 石油ショックに端を発した財政赤字の解消策として大型関節税を考えたが自民党の身内からと世論の反発が予想以上に強く、結局撤回せざるを得なかった。

それから10年後竹下登内閣になって消費税法が成立し、翌89年税率3%の消費税が導入された。

消費税が今の5%に引き上げられたのは、94年村山富市内閣で税制改革法ができ、97年橋本龍太郎内閣の時でした。

今までの消費税に関する一連の改革は、すべては自民党(社会党の村山富市が首相の時も自民党と連立内閣だった)が政権を取っている時に行なっていることです。 当然ですが・・・。

ですから、昨日衆議院を通過した消費増税の法案は政権交代によって民主党になっての大きな改革法案でした。 そこには今まで増税を主張してきている野党自民党の姿もあった。 2015年までに段階的に増税し10%まで上げると予定している。

政権交代の時の民主党のマニュフェストでは、鳩山代表が今後4年間は消費税を変えないと明言していたはずだった ガ

2012年6月26日火曜日

ABCリスク検診

「向日葵の会」伊藤昌子
5月25日に第一報した自治体による道内初の「ABCリスク検診」は、今年の特定健診の時に同時に行なったので結局328名の受診者がありました。 男性113人女性215人
A群 154(47%
B群  66(20%
C群  92(28%
D群  16( 5%
という結果です。

今後は、明日から町内の健康福祉センターなどで保健師が結果を受診者に説明する予定です。 特にB、C、D群という結果のでた受診者の方々は画像検査(胃内視鏡)を受けて頂きたいと思います。

そして、A群というピロリ菌感染をしていない方達は、胃がんのリスクが低いとは言え、全く胃がんにならないとは言えないというのが最近の集積結果のようです。 何%かは言えませんが胃がん患者がいます。

今後は斑会議などで多くの研究がなされるでしょうし、当町のA群のフォローアップもそれだけ大事になってくるという事です。 忙しくなってきそうです ネ