2010年12月30日木曜日

健康だより 第16号

今回の「健康だより」は、(骨折しない、寝たきりにならない)というお話です。

骨粗鬆症になっている高齢者は、ちょっとした転倒でも簡単に骨折しやすく、特に“太ももの付け根”がその原因となることが多いのです。 大腿骨頚部骨折というものです。 

最近では、体力的に問題がなければ80才以上の高齢者でも手術することが多くなり、リハビリ後は日常生活が自立できる人もみられるようになりました。

と言っても、転倒し骨折しないことが一番です ネ




良いお年をお迎えください。

2010年12月23日木曜日

天皇誕生日

[なご美会」熊谷正春
今日は、「東京タワー完成の日」の記念日でもあります。 1958年の今日、東京港区芝公園に高さ333mの世界一高いタワーが正式オープンしたのです。 フランスのパリ・エッフェル塔より21m高かった。 

東京全域に電波を送るには380mの高さが必要とされていたそうですが、風の影響が心配されたため、その影響を受けずに関東地方のエリアを全部カバー出来るぎりぎりの高さが333mで、偶然「3」が続く数字になったそうです。

さて、今日の「祝日」ですが、以前は各家の玄関に「日の丸」の国旗を掲げていたものですが、最近はほとんどお目にかかれなくなってしまいました。 当町でも、数軒の家だけかと思いますが・・・。

今上天皇(明仁)はお元気に喜寿を迎えられております。 年間の御公務の回数はかなり多いようです ガ 

2010年12月22日水曜日

おたより

「オガクリ」

2010年12月21日火曜日

打留美ッ手

「オガクリ診察室」にて
ある患者さんと約束したことの実行です。

「日ハム」の大ファンを自称する K.Yさんが秋頃来院した折、“「日ハム」のユニフォームを着て、応援プラカードを持ってくるから写真を撮ってくれますか”と言われたことがありました。 わたしは即座に“いいですよ”と答えていました。

患者さんが元気になってくれれば良いと思ったし、ひょっとして実行しないのではとも思ったものだから、すっかり忘れていました。

ところが、今日写真のスタイルで診察室へ現れた彼女は、“写真お願いします”と笑顔で挨拶します。

すぐに何枚かのポーズの写真を撮って、パソコンプリンターから現像できるので、彼女は大喜びです。 打留美ッ手とは、ダルビッシュ投手のことですが、その他にも有名選手の何人かのプラカードを持参してました。 帽子にもたくさんの選手のバッチを付けていて、とっても重そうです。

ここ道南の福島町からでも野球シーズンになると、個人や何人かのファンが一緒になって、札幌ドームへ応援に出かけるんです。 やっぱり地元のチームを勝たせたいという一念からなんです。 地元の応援があってのプロチームです ネ

2010年12月19日日曜日

日曜当番日

松前「向日葵の会」

2010年12月18日土曜日

アニサキス

中央の腫れた胃粘膜に虫
始めて医療画像を載せます。

今朝お腹が痛いと「オガクリ」に受診した方の「胃カメラ(胃内視鏡)」の写真です。  昨夜イカの刺身を食べたと話したので、もしや“虫”が刺さったのではないかと、急遽胃カメラを行いました。  すると案の定、胃の真ん中あたりの粘膜が幾重にも腫れていて、その腫れた粘膜のひだの一部にやや白色透明な細長いひも状の虫(アニサキス虫)を確認しました(写真-上)


刺さった虫を摘む
胃粘膜に刺さったその虫を生検かんしで摘まんでみると、摘まれた虫は、生きているので丸まって見えています(写真-中)




不思議なことに、刺さった虫を取り去った後の胃粘膜は、まもなくすっかり腫れが引けてしまっています(写真-下)

激しい腹痛ばかりでなく、何となくモヤモヤした胃の不快感という表現をする人もめずらしくありません。 また、じんま疹のようなかゆみを伴った胃痛を訴えて受診する人もおります。
虫を取り去った胃粘膜 

アニサキス(学名:Anisakis simplex, A. physeteris, Pseudoterranova decipiens)の成虫は本来、クジライルカなど海棲哺乳類の胃に寄生し、その虫卵は糞便とともに海中へ排出されます。 海中で孵化した第2期幼虫は中間宿主であるオキアミに摂取され第2期から第3期幼虫となり、待機宿主のサバやイカなどで生きています。 それを再びクジラらが摂取するサイクル(食物連鎖)を自然界は形成しています。


ヒトがこれら待機宿主の魚介類を生で食べるても、そこに寄生している幼虫は成虫にはなれず、幼虫が胃壁(胃アニサキス症)や腸(腸アニサキス症)に穿入して、激しい腹痛をおこすのです。 


魚を食する土地ならどこでも存在する病気で、わが国でも多くみられる寄生虫症のひとつです。  私も、一度この虫にあたったことがあります。 夕食に食べた手巻き寿司のネタに虫がいたようで、翌日の明け方、胃のあたりが妙に不快な感じと吐き気がして目が覚めました。 激痛ではなかったが、状況から判断して「アニサキス」と直感し、あいにく旅行中だったので胃カメラはできなく、ある事をして虫退治をしました。


この「ある事」とは大変簡単で、有効な手段なんです。 機会があれば、ゆっくり教えましょう カ 




2010年12月16日木曜日

年の瀬

ヴーヴ・クリコ社のヴィンテージ・ロゼ2002
昨夜は、大変な大雪と寒波で、今年一番の冬将軍の到来でした。 車はノロノロ運転で、夏場なら1時間の距離の処も、20~30分も多く掛かり、交通渋滞を助長するばかりです。

会合の後の二次会は、みんなと打ち解けてワイワイガヤガヤと楽しいものです。 まして、気の合った仲間同士なら時間の経つのも忘れて語り、歌い合うものです。 お気に入りの“曲”がかかれば、マイクを持つ手も軽く感じます。

年の瀬だからこそ、いろんな想いが交錯して、今年1年に感謝の気持ちをあらわすものです。 

クリスマスプレゼントを筆頭にこの時期何かと嬉しいことが多いものです ネ

2010年12月15日水曜日

川の流れのように


「なご美会」前田洋子
今夜は渡島医師会の月例の「常任理事会」の日でした。 会議が終わってから、師走ということで常任理事に顧問にも参加して頂き、ある鮨屋で懇親会が行われました。

会場となった小上がりの部屋の壁に大きな額が掛けられているのにビックリしました。 畳み半分ほどもある大きさだからです。 「秋元康」の署名入りで、花押もあります。 

「知らず知らず 歩いてきた細く長いこの道 振り返れば 遥か遠く・・・」と書かれている文章を読むことができるではありませんか。 

美空ひばりが生前、最後に出したシングル盤の“川の流れのように”の名曲の歌詞です。  曲は1989年1月11日に発売され、その年の6月24日に美空さんが52歳で亡くなっていますから、平成という年号が始まって半年余りしか経っていなかったのです。 シングル盤は没後150万枚を売り上げたそうです。  
“川”とは秋元さんがアメリカのニューヨークに滞在中に自宅から見えたイーストリバーのことで、そこを眺めながら作詞したんだそうです。 

さて、何故その店に「秋元康」の額があるのか、店主に聞いてみたいものです。 何らかの事情があるのだろうか? 単に購入しただけなのか、あるいは店にお客として来店した際に画きあげたものなのか経緯が大変気に掛かります ネ

2010年12月14日火曜日

函館消化器病懇談会

「なご美会」竹下弘子
昨夜の国道は、雪も積もっておらず車が走りやすかったこともあって、久しぶりに講演会に出席出来た。 ただ、夏場と違って日の入りの早いこの時期は仕事帰りのトラックや帰宅を急ぐ車など、時間帯が丁度かちあうためか妙に道路が混雑して、函館に出るまでにいつもより30分以上も多く掛かります。

そんな状況にもかかわらず、今日の講演は是非聴いてみたい内容でした。 北海道大学病院の光学医療診療部部長で臨床教授の加藤元嗣先生による「ピロリ菌と胃がん検診」という大変興味ある話だったからです。

予想どうり、話の後段で「ABC方式の胃ガン検診」の重要性を、東京都足立区の例を挙げてスライド説明してくれました。 「ABC方式」は、胃のピロリ菌感染の有無と血中ペプシノーゲン濃度のⅠ/Ⅱ比の組み合わせから、胃ガン発生頻度をA/B/C/Dの4群にわけて、頻度の高い群からより丁寧に検診計画を立てていくというものです。 

従って、毎年レントゲン検査や胃内視鏡をしなくてもいい群も区分けされるので、検診者にも利点があり、コスト的にも節約されるわけです。 しかも、この[ABC方式」による早期の胃がん発見率は、レントゲンや内視鏡検診単独による時寄り高いという成果もあります。

こうした効率の良い検診モデルがあるわけですから、当町も早く導入して欲しいものです ネ

2010年12月11日土曜日

ある同級生

「なご美会」大津令子
今日、ある同級生の送別会をした。

中学・高校と一緒だった同級生です。 外国航路の船長をしていた彼は、定年を迎え、第二の人生行路に旅だつのです。 

各々の港には、大型船の出入の際、水先案内をする係官(*がいるそうです。 それには国家試験を受けなければならないそうで、来年の募集人員は31名と言ってました。 例年その2~3倍の受験者がいるというので、ある意味“超狭き門”と言えるでしょう。 

これからの健闘を祈って、中学時代の同級生7人が「もつ鍋」を囲んでの団らんとなった。 当然話は、昔の中学生時代のことから今現在の内容まで、行ったり来たりめまぐるしく変わり、みんなひとつの話題に集中することとなった。 

そして来る1月29日は、神社に参拝し、その後同期会を設ける計画(小学校時代の恩師を招待する)も話しあった。 今年の8月に続いての再会を楽しみにワイワイガヤガヤ・・・となったのは当然です。

最後は久しぶりに打ったわたしのソバを会場に持ち込んで、店のおかみさんに湯でてもらい、美味しく頂いた。


ところで、旅立つ同級生のところには犬が一匹いるので、引っ越しのために犬の輸送代を調べたところ、東京までの航空運賃は少なくても15万円掛かると言われたそうです。 とても高いということで、フェリーで東京(実際は大洗港まで)まで犬と一緒に行くことに決めたらしいんです。 犬のフェリー運賃はたったの2000円です。 

きっと楽しい船旅が出来ることでしょう ネ

( * 3000t以上の船長経験を5年以上と現職水先人2名の推薦が受験資格。
合格率は司法試験より低く、日本一難しい国家試験。
年収は、東京や横浜などなら軽く3000万円は超える。
国家的功労者として勲章(勲四等)の他、国土交通大臣賞などが確定。
今現在日本に700数名ほどしかいない超スペシャリストである。【あるブログより】 )

2010年12月9日木曜日

匂いと物忘れ

「なご美会」池田龍夫
今年の夏は記録的な猛暑で、各地で熱中症の被害を受けたお年寄りがでました。 入院こそしなかったものの、何となく身体の調子が悪いと訴えて来院する方も随分と多くみられました。

その頃、ある研究成果が鳥取大学の神保太樹さん(生体制御学)らのグループから発表されました。 物忘れなどの症状が極めて少ない「早期のアルツハイマー病」を、ニオイの検査で見分ける手法を開発したというものです。

材木・メントール・墨汁・バラ・家庭用ガス・ミカン・にんにく・練乳・香水・蒸れた靴下・ヒノキ・カレーの12種類のニオイを検査に用いました。

12種類のうち5種類以下しか嗅ぎわけられなかった人を「異常あり」として判定すると、アルツハイマー病の診断の簡易テストとして使われている「長谷川式(HDS-R)」テストが30点満点中24点以上で、認知症と判定できない極早期の患者でも85%に臭覚異常が見つかったそうです。


海外に較べて日本の病院には画像診断の医療機器(CTMRIなど)が過剰と言われるくらい採用・設備されています。 小さな診療所にも設置されており、いつでもどこでも画像診断の恩恵を受けることができるのも日本の医療制度です。 が、早期の認知症患者の診断は、やはり専門医にしかできず、難しいことです。


この臭覚検査がもっと精度を増せば、多くの国民や医療機関が恩恵を受けることでしょう。 


さて、12種類のニオイの内、もっとも嫌なニオイはと聞かれれば、あなたは何と答えるでしょうか?
わたしは勿論「蒸れた靴下」と即座に言います ガ

2010年12月8日水曜日

北限の海女

海女と言えば、すぐ三浦友和と山口百恵の映画「潮騒」の場面を想い出す年代です。

最近、「オガクリ」に「北限の海女と呼ばれている患者(I.Y)さんが診察にみえました。

前浜の「蝦夷アワビ」
今の時期は最高の味
今年9月16日のNHK放送の「おはよう日本」の特集で、『“潜り続ける”75歳の海女と題した放送がありました。 その主人公です。 松前町で15歳の時から60年間海女として海に潜っていて、彼女の母も海女だと言います。 夫が船の上で命綱をしっかり持ってコンブ漁をしていましたが、数年前に他界し現在は息子さんがをその跡を継いでくれているそうです。 

だが、海女の仕事は体力的にも大変なためか、現在ではたった一人の海女になってしまいました。

来年は喜寿を迎える年齢となってみれば、いつまで現役として活躍できるのだろうか? という不安もあるのも確かでしょうが、一年でも永く海に潜っていられるようにと祈っています ヨ

2010年12月5日日曜日

黄昏のビギン

松前「向日葵の会」花田冨
永六輔と中村八大のヒットメーカーコンビによる「黄昏のビギン」の歌で、クリスマスディナーショーが始まった。

会場は各テーブルが満席状態で、熱気も手伝ってか非常に盛り上がっていた。 一曲毎に大きな拍手が鳴り止まず、客席は大満足の一時間だった。 


「黄昏のビギン」は、初め水原弘が歌っていたが、その後ちあきなおみが歌って再ヒットし、TVコマーシャルの挿入歌にも使われ、馴染み深い曲だ。  演歌歌手の石川さゆりもカバー曲として着物姿でピアノ演奏で歌っている動画を見た事がある。 それも又とてもいい雰囲気だった。

ワインを飲みながらの演奏会を心ゆくまで堪能した ヨ

2010年12月1日水曜日

H22の師走

今日から「師走」です。
なんと月日の経つことの早いことか!



今年一年の想い出などを書きだすことはしませんが、それでもこれはという事柄は自然と眼前に現れるように感じられます。 例えば、ホールインワンなど
・・・です。

今月中に少しづつ取り上げるかも知れません ネ

2010年11月30日火曜日

誕生日

先日28日の日曜日、函館市のサンリフレ函館「ほっかいどう学」の実践講座が行われました。
「道民カレッジ」という連携講座のひとつで、道内の各圏域で本道の歴史や文化を学習テーマとして講座を開いているもので、道南圏は函館でおこなわれたというわけです。 

今年は、「龍馬伝」という大河ドラマの影響でしょうか、合田一道さんによる「龍馬が描いた夢・北海道」がテーマ講演となっています。  実践講座は、各圏域の講師によって各々の地域での話題の歴史や文化内容が取り上げらています。

函館では、木下寿実夫さんの「二股口の戦い」と斎藤裕志さんの「道南の医療史」という内容で行われました。 わたしは後者の話を是非とも聞きたいと思っていたが、その日曜日は月一回の救急の日曜当番日に当たっていたため、諦めていました。


ところが、その講演の内容のあらましをT.O君からのメールで教えてもらうことができました。 要点が簡潔に要領良くまとめられていると思うので、そのまま紹介します。

今日がT.O君の誕生日です。 おめでとう ダネ

2010年11月28日日曜日

博古知今

松前町は「博古知今(はくこちこん)」という言葉を大切にしています。 

と、松前町長は「松前藩物語」の中で述べています。 いにしえにひろく今を知るということです。

2010年11月25日木曜日

今年の町史研究会

昭和7年青木郭公(椅子上)を囲んで





「暁雲」第2号

「福島俳壇と青木郭公」と題して、当会の副会長の金沢秀一さんが月例の研究発表を行った。                                                    
「暁雲」は、北海タイムスなどの新聞俳句の選者を長年していた青木郭公(かっこう)が大正15年11月に創刊した俳句雑誌で、福島町の当時の俳壇の「暁雲」への入会は昭和3年の4月号の時からです。                                          
昭和初期の頃の福島町の俳壇は、俳句結社「松花会」をつくっていたが、それに飽き足らずに、昭和3年大津禅良、金沢青柿、工藤碧水ら7名で「暁吟社」をつくった。  ですから、青木郭公を迎えた昭和7年頃は、「暁吟社」にとって黄金時代を迎えようとしていました。   

金沢青柿さんは金沢副会長の父で、「暁雲」誌上たびたび話題となった句を投稿していた。

金はないが鯡玉あり米貸せといふ
女一日三十銭の春出面
春財布底まで見せて渡しけり
人に渡した家の桜見て通る
救助米買ふ親類のまわた金
米びつに米一俵明ける妻よ子よ


これらは全て金沢青柿が昭和7年から10年頃に詠んだ句です。 当時の生活の厳しさを十二分に表現した内容になっています。                                 
昭和43年、「暁吟社」は創立40周年を迎え、会の代表の大津禅良さんは勲五等瑞宝章を授与されました。 一主催が40年という歴史を持つ俳句団体は当時の北海道に二つとなかったからです。 本当に素晴らしいことです ネ                               


2010年11月24日水曜日

ゴローニンと松前(1)

講義する桑原教授
先日、「松前町史に親しむ会」の木村会長さんから、札幌大学の桑原真人教授が松前町で「ゴローニン事件とその背景」と題する講演をする予定になっているからどうですか?というお誘いの手紙が舞い込んできた。

もう数年前になりますが、松前町の歴史の同好の方々や福島町史研究会の顧問をしておられる永田富智先生と一緒に「大館・小館からゴローニンが幽閉されたバッコ沢一帯」を探訪したことがあった。 それ以来のことなので、今回の講演には是非出席したいと思っていました。 今日会場に着くと、もうすでに多くの町民が集まっていて、予定したイスが足りなくなり追加する程でした。

桑原先生は松前町史の一部を担当されており、近現代史・北方史研究を得意とされている経済学者でもあると紹介され、大学の講義と同じようにレジュメに沿って少し早口な語り口調で話が進みました。

桑原教授資料
ゴローニン事件(1811;文化8年)は、第一次幕領期(1799;寛政11年~1821;文政4年)に起きてるが、なぜロシアの探検家が国後島で幕府役人と会見中に捕縛されなければならなかったのか、その原因・誘因を遡って歴史検索してみる必要がありますから、桑原先生は江戸幕府の蝦夷地直轄の背景から話を始めました。 

1700年代半ば頃から、南千島・蝦夷島周辺に「唐船」(ロシア船のこと)が接近するようになった。 
1778(安永7年)ロシアのナタリア号が根室近辺に来、翌年松前藩上乗役新井田大八が厚岸で応接するという外交事案があった。 この一件は鎖国をしている日本国にとって外交上重大なことであるのに、松前藩は幕府へ報告していなかった。 
その後も、ロシア船がたびたび蝦夷島へ近づいてくることがあったようで、1783(天明3年)工藤平助が『赤蝦夷風説考』を著して北方の危機を訴えるような状況になり、関心が松前藩の蝦夷地統治に集まってくるようになっていた。

そうした中、松平定信が老中田沼意次の後、老中筆頭となり、「寛政の改革」始めたのは天明7年(1787)のことです。

その2年後の1789(寛政元年)にクナシリ・メナシのアイヌの蜂起が起こり(寛政蝦夷の乱)、松前藩はその対応に困ったが、幸いにも穏健なアイヌ長老の理解を得て早期解決し、その副産物として家老蠣崎波響「夷酋列像」が描かれることになりました。 災い転じて・・・でしょうか。

しかし、1792(寛政4年)9月、ロシア遣日使節アダム=ラクスマンがシベリア総督の修好を求める書簡を持参し、日本人漂流民・大黒屋光太夫を同伴して根室に来航するということがおき、いよいよ外交の転換期となる事態をむかえるのでした。 続く 

2010年11月16日火曜日

63連勝

福島「なご美会」熊谷正春
横綱白鳳の連勝記録が止まった。 
初日の相撲内容からすると、誰もがこのまま勝ち進み、名横綱双葉山の連勝記録を楽々と抜いてしまうだろうと思っていた。 

ところが、二日目の取り組みの力相撲の結果、63連勝でストップしてしまった。 双葉山の69連勝にはとどかなかった。 

双葉山関は1936年春場所の7日目から白星を重ね、1939年の春場所3日目まで連勝街道まっしぐらだった。 当時は、年4場所だったりしたので、3年間負け知らずということです。 その間の精神状態を考えると、尋常ではなかったろうと思われます。 本当に、真の大横綱と言えるでしょう。



ただ、現在の年6場所も、また大変だろうと考えられます。 体調管理を上手くしないと、ケガなどしていると十分治らないまま、翌場所を迎えなければならなくなり、かえって連勝が困難だと言うことにもなります。 

53連勝をあっさり抜かれた時の国民栄誉賞授与者の千代の富士は、白鳳の記録更新を素直に祝福していました。 千代の富士は、約半年間連勝を続けていたことになるわけだが、彼だからこそ白鳳の気持ちをよく分かるのではないだろうか。

わたしの子供の頃は、世の中で強いもの有名な物と言えば、「巨人・大鵬・卵焼き」とよく言われたものですが、その名横綱大鵬ですら45連勝でしたから・・・。

横綱白鳳は、モンゴル出身ですが、彼の相撲道に寄せる「こころ」はもうすっかり日本人です ネ

2010年11月15日月曜日

世界糖尿病デー

福島「なご美会」の展示
昨日は、「パチンコの日」でした。 


ギャンブルはやらないので、パチンコも30年以上前のレバーを親指で押し弾く方式しか知らない。 だから、昨日は「世界糖尿病デー」でもあったという話をしなければならない。 


11月14日は、インスリンを発見したカナダ人医師、フレデリック・バンティングの誕生日でした。 もともと国際糖尿病連合とWHO(世界保健機関)が実施していた記念日であったが、2006年12月の国連総会で「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、この日を「世界糖尿病デー」とし、国連の記念日と定められました。


現在、糖尿病数は、その予備軍と言われる人も含めると2000万人以上にもなります。 生活習慣病の中でも、その恐ろしい合併症(失明、四肢・指の切断、尿毒症など)のことを考えると、真っ先に治したい病気と言えます。


「~デー」という記念日は、病気の知識を深め、それに関する生活習慣を改めてもらう絶好の機会となるわけで、おおいにPRすべきことです。 飽食の時代への反省にもなることでしょう。


さて、昨日はもうふたつ行事がありました。 
松前・清部郵便局の展示
ひとつは、福島町の「文化祭」です。 先日は、松前町の文化祭のレポートを書いたが、福島町のものも同じような内容の発表・作品の出品でした。 絵手紙についての展示があったので、写真を載せます。 福島「なご美会」と清部郵便局の絵手紙サークルのもので、なかなか良い作品が見られました。


もうひとつは、「福島ゴルフ愛好会」のラストコールとその後の納会でした。 ゴルフは、上磯アンビックスでおこなわれた。 朝は思いがけなく晴れていて、最高の出だしだった。 インコースからのスタートでは、スコアメークに困ることが多いのだが、昨日は何故か調子よかった。  だが、15番ホールでは、案の定2打めのボールが谷底へ消えていった。 16番から18番の途中まではゲリラ豪雨のために合羽を着ることになったものの、その後は天候も回復して今シーズンを飾るにふさわしいラストコールになった。 


「五十肩」に悩まされ、寒さと一時の雨にあたったことを考えると、OUT44、IN47というグロススコアはまずまずの出来でなかったのではないかと思っている。 


納会は、例によってペーパーゴルフにラッキー賞抽選などでおおいに盛り上がった ネ

2010年11月13日土曜日

半年後

春の桜の時期の「繪」から、半年も経つと、右の写真のような落ち葉の季節になっていた。 は、春と秋の二度、「花見(葉っぱ見)」の演出をしてくれる。 どちらの見物も良いもんだが、人によっては好き嫌いが有るかも知れません ネ  (オガクリの向かい側のメモリアルパークへ上る坂道の桜並木)

2010年11月11日木曜日

介護の日

今日は、11月11日なので、「いい日いい日」と読んで、2008年から、「介護の日」と名づけられています。

福島「なご美会」の絵手紙サークルのみなさんが、「オガクリ」に通院している患者さんの誕生日に合わせて「健康 絵手紙」を送ってくれています。 一年間送り続けていますが、まだ一部の患者さんだけにしか郵送できていません。 仕事の合間に画く絵手紙なので、なかなか大変なようです。

ハガキを受け取った患者さんからは、お礼のはがきや手紙が送られてきます。  「なご美会」のみなさんのハガキに書かれた言葉にも励まされ勇気をもらっているようです。 

みなさんを応援しています ヨ


福島「なご美会」からの「健康絵手紙」

2010年11月10日水曜日

レインボー

出勤時に見た虹
今朝は、朝から小雨が降り、時に大粒の雨となったりの不安定な天気で、午後から往診日だと言うのに、大変だな―と思いながら白符地区あたりを病院へ向けて車を走らせていると、
フロントガラスの向こうに「虹」が現れた。

持っていたカメラでパチリと1枚いただきました。 今日は、良い1日になることでしょうかと思わずには居られません。

インフルエンザの予防接種のため、松前町や福島町の施設を午後から訪問しました。

今年は、もうすでに「A香港型」が札幌などで流行し、小学校の学級閉鎖などの報告もあることから、早めの予防接種が望まれます。 今年のインフルエンザの予防接種は、「A香港型・B型」の従来の型に昨年流行した「新型」を加えた三価のワクチンなので、一度の注射で済むことが特徴です。 本当に早めの接種が望ましい ヨ

2010年11月9日火曜日

四つ葉のクローバー

クローバーの話は、色々想い出もあるところだが、最近の道新の「いずみ」欄にこういう話が掲載されていました。

患者さんから頂く
投稿者は乳がんを患って苦しい闘病生活を余儀なくされていた主婦です。 その彼女のところへ、近所の主婦から摘んできたばかりの数本の「四つ葉のクローバー」をプレゼントされました。 病気見舞いなら、もっと他の物もあったろうに野草の贈り物でした。 

でも、投稿者はとても感謝しました。 送り主の主婦には、障害者の子供がいるにもかかわらず、夫と三人で、笑い声の絶えない家庭を築いていたからです。 自分も辛いはずなのに、「幸福の贈り物」を届けてくれたことに勇気を貰ったようだと感じたそうです。 長かった抗がん剤治療も一段落し、結果も良好でした。


「いずみ」欄の投稿には、いつも琴線にふれる話が紹介されます。 

そうした一日の始まりは、気持ち良くスタート出来るんです ヨ

2010年11月8日月曜日

南北海道駅伝競走大会(結果)

一般男子
昨日は、風は少し吹いていたものの、11月初旬としては暖かで、小春日和というところだったでしょうか。

恒例の駅伝競走では、毎年注目している「木古内恵心園」チームが42チーム中40位という順位に上げてきました。 日頃から入居者(お年寄り)のお世話をしながら練習に励み、ひとつづつ順位を伸ばしていることに感心しています。 
来年以降も是非参加して下さい。

さて、一般男子の部(42チーム)と一般女子の部(19チーム)の成績を紹介します。 
男子は1位が「第18普通科連隊A」チームで、4連覇の偉業達成です。




一般女子
女子は1位が「札幌医科大学」で、初優勝です。 2位は「東京理科大学A」でタイム差はナント29秒でした。 ゴール寸前までデットヒートが続き、きっと面白いレースだったでしょう。 
わたしは丁度その頃、6区間の一般男子の救護班の車の中でしたが・・・。

走り終わった後は、福島ライオンズが提供する「ちゃんこ鍋」や肉まん・あんまんで、疲れた身体へエネルギー補給をしていただきました。 また、来年も福島へ来て下さい ネ

2010年11月6日土曜日

28回南北海道駅伝競走大会

今年の駅伝ポスターもできあがり、いよいよ明日が本番です。 今年も139という多くの参加チームがあり、熱戦が繰り広げられると思います。 

今夜は出場選手の歓迎の意味で恒例となっている「南北海道駅伝競走大会交流会」が、当町福祉センターで午後6時から行われます。 懇親の後、協賛店から提供された品の抽選会も行われる予定で、熱戦前夜のホットしたひと時を過ごしてもらいます。

例年どうり私は救護班として、6区間のコースの最後尾の走者について伴走することになっています。  楽しんで走って下さい ネ
今年の駅伝ポスター

2010年11月4日木曜日

文化の日

作日は「文化の日」でした。
福島町は町の発展に寄与した個人・団体の『福島町表彰式』を午前10時から福祉センターで行いました。
功労者5名、顕功者1名の表彰の他に、感謝状贈呈が1個人3団体(福島小学校児童会を含む)に贈られました。

会場には、町内の主だった方々が出席されていて、お祝いをして下さいました。 
わたしの場合は、「学校医として20年以上にわたって学校保健の向上に尽力してきている」という理由から功労者の対象になったようです。

健康に気をつけてやってこれたからの結果だと思いますから、家族に感謝しなければなりません ネ
福島小学校児童会のみなさん




2010年11月2日火曜日

感謝

感謝してます! みなさんに!

福島「なご美会」熊谷正春

2010年11月1日月曜日

霜月

今日から11月となります。 本当に早いもので今年もあと2カ月となってしまいました。 


先月は、待望の「富士山」を真近に拝むことが出来ました。 ロープウェイが山頂に近づくにつれ、富士山の頂から裾野へと展開が拡がって見えた時は、思わず歓声と拍手が起きました。 


欲を言えば、頂きに冠雪をいただいていれば最高でしたが・・・。  その富士の雄姿も1時間もすると、山頂が雲に隠れてしまい見えなくなってしまいましたから、眺められただけでもラッキーと言わなければなりません。


 さて、このブログもH20年11月2日スタートしたので、満2年を迎え、3年目に入ります。 よく続けられているな~と、自分でも感心しています。 


その時の最初の記事は「第26回南北海道駅伝競走大会」を書いたと思いますが、今年も来週の日曜日に町内の国道・道道を舞台に選手達がたすきをリレーして行われます。


さて、今年のシンガリ(最後尾)は、どこのチームでしょうか ナ

2010年10月31日日曜日

糖尿病講演会

今日の午後、日曜日ですが町福祉センターに大勢の聴衆を集めて「糖尿病講演会」が行われました。 北海道健康づくり財団渡島保健所と当町が主催となり、渡島医師会も後援に一役かいました。

講師の先生方は、函館市の高橋清仁クリニックの院長、函館中央病院の石井正孝健康管理副センター長と渡邊看護師長さん、安野管理栄養士さんの4名です。 スライドの話の内容は、やさしく・解りやすくまとめて説明してあり、2時間の講演時間がアッと言う間にすぎてしまった感じでした。

糖尿病は年々増え続け、予備軍も含めると2千万人を超す勢いという状況で、生活習慣病の中でも特に厳しく注意・指導がなされなければならないものです。

日常生活で気をつけること、食事のことの他に糖尿病の怖い合併症の話まで、全部まとめて一遍に聞いて勉強できる機会は中々ありませんから、今日の講演企画は本当に良かったと思います。
講演準備をする高橋先生


さて、夜の「NHK特集」は、認知症の話題を放送してました。 最近では、認知症に対する認識も大分変って来て、治る・症状の改善するケースも増えてきているそうです。 

なかでも、アルツハイマー型認知症では、血圧や糖尿(病)のコントロールをすることによって、症状が改善するという研究結果が出始めて患者家族の介護の軽減に繋がっている、という放送内容でした。 少しは希望が持てるということでしょう。

本日の講演やNHK特集でも強調されたことですが、改めて「生活習慣の是正が病気の進行を遅らせる」という事実があることを忘れてはなりません。 その意味でも、今日会場に来て下さった方々が、今日の講演の内容を友人・家族に話してあげることが町民みんなの健康意識を高め、予防にもおおいに努めてくれるものと信じています ヨ


文化祭

まつまえ「向日葵の会」
まつまえ「向日葵の会」
まつまえ「向日葵の会」
10月最後の日曜日、松前町で「第37回 松前町文化祭」が町民総合センターで行われていましたので、行ってみました。

じつは、「向日葵の会」の絵手紙コーナーに、わたしの作品をだしていたからです。 
行ってみると、体育館いっぱいに作品が展示されていました。 どれも力作・傑作ばかりと感動です。 

来月は、福島町でも13日・14日の両日文化祭が行われる予定です。 みなさんの努力の成果が発表されることでしょう ネ

(すばらしい盆栽の出品もありました。 後日、載せます。)
大橋政義さんの作品
まつまえ「向日葵の会」の会員

2010年10月30日土曜日

箱館奉行所

丁度3ヵ月前の7月29日に「箱館奉行所」の復元がなり、一般市民に公開されました。 
140年の時を超えて再現されたことになります。

鎖国を続けていた日本は、安政元年(1854)の日米和親条約によって箱館と下田を開港した。 当初、箱館山の麓に幕府の役所として箱館奉行所を置いていたが、防備に問題があると言う理由で、幕府は港から遠く離れた亀田の地に奉行所を建てることになった。 
設計を蘭学者の武田斐三郎に依頼したところ、星型五角形の形をした西洋式の土塁を考案したため、「五稜郭」と呼ばれるようになった。

安政4年(1857)に五稜郭の築造が始まり、7年の歳月をかけて完成されました。 が、時代は風雲急を告げ、江戸幕府から明治政府へと政権が変わったため、箱館奉行所の役目も終わり、完成から7年後の明治4年(1871)に開拓使によって解体されてしまった。

今回復元された奉行所は、全国から宮大工を集め、4年の歳月をかけて完成されたもので、室内を見て回ると足元の畳みがポッカポカの床暖が効いていて、今のひんやりする季節にはとても気持ちが良いもんです。 オープン50日目にして、10万人の入場者を集めたというのも、日本人は歴史好きだからでしょうか。

今日一緒に奉行所を見学した友人は、高校の同級生で約25年ぶりに再会したT.F君です。 埼玉県からひょっこり函館へ出かけてきたと、昨夜突然電話があった。 びっくりするやらなにやらだったが、でも今日再会し、お互いの友情を確認でき、しかも早く見たいと思っていた復元奉行所をくまなく見れたことにも大変満足している。 

彼の息子さんが、来週の土曜日に結婚する予定です。 花嫁の父ではないので、感激の号泣はないとは思うが、両家の代表挨拶が彼を少々悩ますことになるのでしょう カ

2010年10月27日水曜日

パウル君

ドイツの水族館で飼われていた、あの「タコ」が死んだ。 
名前は「パウル」、2歳9カ月の寿命だった。 

今年の6月11日から7月11日まで、南アフリカ共和国で南半球では初めての「2010FIFAワールドカップ」が行われた。 第19回目のW杯サッカー大会で、日本は戦前の予想に反して、予選を勝ち抜き決勝トーナメントまで進出し、南米パラグアイにPK戦(5対3)の末に敗退するという惜しい試合を経験した。 それによって一躍岡田監督の人気がおおいに高まり、「岡ちゃん」人気にも火がついた。 

今大会で注目度No.1は、誰が何と言っても占いするタコの「パウル君」でした。 自国のドイツの試合は、予選・決勝リーグの6戦とも「勝ち」の選択をしすべて当たった。 期待は決勝戦に勝ち進んだドイツとスペイン戦の占いに集まった。

決勝戦の「パウル君」の占いの答えは、「スペインの勝ち」という結果をだした。 自国のドイツという占い結果を出さなかったため、一時生命の危険に曝されることとなったパウル君だが、実際の試合は1-0でスペインが勝ったため、予想が的中した「パウル君」人気は最高潮に達しました。

結局、7戦を予想し全て正解という快挙を成し遂げたのです。 

何か仕掛けがあるのか、何らかの科学的な理由があるのかも知れませんが、何も詮索しなくともいいのではないだろうか。 理由が解らないことがかえって色々想像されて良いでしょう ネ

2010年10月26日火曜日

ラストコール

「なご美会」竹下弘子
福島グリーンクラブ(ゴルフクラブ)」の今年最後の例会が、今月24日の日曜日に大沼国際カントリークラブ(C.C)で行われた。 晴れの天気でしたが、風が強く、会員選手達を悩ませましたものの、雨に降られなかっただけでも良かった。 

シーズン終盤ですから、スコアの良い人とそうでない人の差が大きく出てしまいます。 春からシッカリ体力をつけ、ラウンドしてきた人は調子が良かったようです。 日曜ゴルファーですから、前半のスコアが良くっても、休憩後の後半には、練習の程度によって差が大きくでてきます。 私も、最終ホールで、10打をたたく大トラブルを起こしてしまいました。 ホールインワンをした年だったが、その後五十肩の痛みに悩まされて、ラウンド数が少なかったことが響いていると思います・・・。 

夜は、町内の飲食店に場所を移して、表彰式と懇親をかねた納会を行いました。 恒例の「ペーパーゴルフ」では、大いに盛り上がり、会員が持ちよったラッキー賞のくじ引きに一喜一憂し、遅くまで笑い声が絶えませんでした。 

来年も良いゴルフが出来ますよう、体力を付けなきゃ ネ

2010年10月22日金曜日

一勝の重み

松前「向日葵会」


今日の一勝は大きい。                                      やっとの思いで勝ちを拾うことが出きたと言うべきか。 崖っぷちの巨人には、応援するファンも毎日がハラハラどきどきだ。 スリリングなクライマックスシリーズ(CS)と言える。  出来るだけしっかりがんばって欲しいものだ。  原ジャイアンツ ヨ         
                                






2010年10月20日水曜日

セリーグCS

「なご美会」熊谷正春
プロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)は、結局「千葉マリーンズ」のロッテがシリーズの逆転劇でチャンピオンとなった。 「福岡ソフトバンク・フォークス」に競り勝ち、日本シリーズへの切符を手にしました。

「フォークス」は、王監督が指揮をとっている時の「福岡ダイエー・フォークス」時代の1999年に、リーグ・チャンピオンも、日本一にもなっている。 さらにリーグ優勝2連覇をした2000年は、セ・リーグ覇者の長島監督率いる読売巨人との一騎打ちとなり、「O・N]の日本シリーズ決戦と言われ、大いに盛り上がったものだ。 戦績は、王監督には残念だが、2連勝のあと4連敗し、長島監督の勝利でシリーズは終わった。

その後、現在の「福岡ソフトバンク・フォークス」となり、王監督のあと秋山監督がチームをまとめ、2010年度のリーグ優勝をした。 が、はじめにも書いたように「千葉マリーンズ」の西村監督(一年目)に逆転負けをしてしまった。

さて、今夜のセ・リーグのCSは、どんな結果となるかし ラ

2010年10月19日火曜日

海外旅行

今日は「海外旅行の日」という記念日です。


遠(10)くへ行く(19)の語呂合わせだそうで、海外旅行の楽しみ方などについて考える一日です。


ただ考えるのではなく、旅行するなら円高が続いている、今がチャンスでしょう  カ