2011年5月24日火曜日

がん予防町民対策会議

「健康宣言」する菊地君
昨日は、当町の「がん予防町民対策会議」が昨年に引き続いて、町福祉センター集会室で行われました。 「がん」が死因に占める率は当町でも1位だからです。

渡島保健所からも参加をしていただき、「全道のがん対策」について話してもらいました。  今年は「大腸がん」についての講話があった後、町内の吉岡小学校6年生の菊地春紀君が「健康宣言」をして終了しました。

それにつけても、H21年度の「がん受診率」を全道で見てみると、「胃がん」と「大腸がん」いづれも増毛町がトップで、50%を超えるものもあります。 国が目標としている「50%」をクリアしていることに驚きです。 どんな対策があるのでしょう カ

2011年5月21日土曜日

ライオンズ年次大会

毎年、今の時期に「ライオンズクラブ年次大会」が行われます。 
その時のガバナーの所属するキャビネットの所在地で開催されるのが恒例で、今年はガバナーは黒松内町の茂尾ライオンですが、倶知安町で行われます。

わたしの属する「331C地区」は、北海道を小樽苫小牧・日高地方を結ぶラインで区切る道南側地域になります。 従って、今までの年次大会開催は、函館市・小樽市・苫小牧市・室蘭市などの地方都市が候補地に上がることが普通でした。

今年は、そうした「市」での開催ではなく、「黒松内」を中心に倶知安町・ニセコ・小樽地区などの合同体でキャビネットを構成して実行します。 

今日、明日の大会が注目されます ネ    (5・21 7AM)

2011年5月16日月曜日

歴史探訪

昨日の日曜日、福島町史研究会は待望の「歴史探訪ツアー」を行いました。 
行く先は、江差・上の国町で、江差町では石橋藤雄先生に解説をお願いして、檜山群役所・姥神大神宮・開陽丸と案内していただきました。

群役所では、「日本外史」などを残した儒学者の頼山陽の子息(三男)の頼三樹三郎(らい みきさぶろう)が江差に滞在中、持病の「疥癬」に悩まされていたところ、地元江差の医師本田譚先生の手当てにより完治したことを喜び、奥州平泉の藤原氏が中尊寺に奉納した経典の一部をお礼として贈ったものが展示されていました。 

「紺紙金字一切経」(こんしきんじいっさいきょう)は、紺色の紙に金字で三行書かれた経典で、奥州藤原氏の初代清衡のものと思われていたが、調査研究の結果、三代の秀衡のものだったという経緯も詳しく説明して頂きました。 国宝級の経文の一部とのことでした。

「安政の大獄」で処刑された頼三樹三郎は、その奉納経典をどこから手に入れたかは分からないらしいのです。

分からないと言えば、本田医師はどういう薬を使って三樹三郎の病を治したかです。

「疥癬(かいせん)」はダニの一種のヒゼンダニが皮膚に寄生しておこる皮膚感染症で、今でも難治性で、たいへん厄介な病気です。 

古代バビロニアの時代から知られていて、数千年の歴史があり、ナポレオン時代の戦争でも疥癬の流行がフランス軍の戦意を失わせたことは有名なくらいで、肖像画のナポレオンが胸に手を入れているのは、疥癬で痒いためだという話もあるくらいです。

そんな難病を完治させたわけですから、三樹三郎でなくとも最大級のお礼の気持ちを表したいと思うことでしょう ネ

2011年5月5日木曜日

こどもの日

今日の東京ドームは、昨夜の巨人のさよならゲームのあとを受けて、緊迫した第三戦目を迎えていました。 巨人の小笠原道大選手が2000本安打達成にあと1本と迫っていることと、阪神先発の岩田投手の今季初勝利がかかる一戦でもあるからです。 
さらに、巨人のルーキー沢村投手のドーム初先発と、盛りだくさんの内容でもあったからです。

結果は、2-1で阪神の勝利に終わり、岩田投手が初勝利し、小笠原選手がちょうど2000本安打を達成してくれました。 プロ野球人として、「名球会」への仲間入りのできる資格を手に入れれる記録だから、誰でもできると言うものでもありません。 TV解説者で、自身も「名球会」入りをしている元中日の立浪さんが「1500本あたりまでは、なんとか打つ人が多いんだが、その後はケガや年齢によってレギュラー争いに残れないで引退していく人の方が多いんです」と話していました。 

ですから、「健康」で長く現役を続けられたプロ野球人だけが勝ち取る勲章のようなものでしょうか。

ところで、プロの野球選手だからといって、すべての選手が何らのハンディも持っていないという訳ではありません。 今日先発した岩田投手は、実は糖尿病(1型)という過酷なハンディを背負いながらプロの道に進んだ選手です。 17歳の高校生の時に発症したが、懸命な努力を積み重ねて、プロ野球選手になるという「夢」を勝ち取りました。 

岩田投手は毎日インスリン注射を打ちながらの野球人生ですが、しっかりと野球に取り組んでいる自分の姿を見てもらうことによって、同じ病気で闘病生活している子供たちを少しでも励ましていきたいとIWATA PROJECT 21を今回立ち上げました。 腕に巻いたラバーバンドが、その勇気のしるしです。 夢をあきらめないというメッセージをマウンドからおくり続けた今日の試合は、昨年肘の手術のあと一勝もできなかっただけに、本当にうれしい一勝でした。 完全復活を告げる勝利でもありました。

わたしは長島選手時代からの巨人ファンですから、今日の岩田投手の勝利は巨人ファンにとっては最悪のシナリオでした。 が、糖尿病の子供たちにとっては漫画冊子「岩田稔物語」などの糖尿病関連グッツと共に患者支援活動の励みにもなり、大いに勇気付けられる結果だったと思います ヨ


2011年5月4日水曜日

町民ゴルフ

M&S コンビによる楽しい懇親会風景
今日(5月3日)は、毎年恒例の「町民ゴルフ」の日です。
天気は、今のところ晴れです。 このまま続いてくれるでしょう。
今年の大会は、震災への「チャリティーゴルフ大会」として行います。
それでは、がんばって行ってきます(5:15AM)。

大会は43名の参加者で、和気あいあい楽しく行われました。 スタート時点では、少し肌寒かったものの、ラウンドが始まってしまうと、フェアウエイばかりを歩くわけではないから、間もなく汗ばむほどに暑くなってプレーしてました。 

結果並びに表彰式そして懇親は、地元町内に帰ってきてから行われました。 優勝者は、71のアンダースコアで昨年に続きT.Mさんでした。 12回を数える大会の内、彼の優勝回数は5~6回になります。 すごいと言うほかないです・・・。  ちなみに私は、25位のとび賞でした。

さて、表彰式とラッキー賞の当たる懇親会では、商品をゲットするたびにチャリーティ募金箱に寄付をしていただき、総額6万円以上集まりました。 参加者の気持ちのこもった募金ですから、額の多寡ではないと思います。 一日も早い復旧を願い、東北地方の震災被害地へ贈らせていただきます。 

また、今回もこの大会開催に多くの協賛を頂きました。 皆様に本当に感謝です ネ

2011年5月1日日曜日

桜の通り抜け

天神坂から見た「松前夫婦桜」の夜桜
今日から「皐月」です。

春の訪れの遅い北国にも、やっと桜の便りが聞かれる頃になりました。 

となり街の松前では、先月29日に「松前さくらまつり」のオープンをしました。 松前の桜は、その種類の多さでは随一と言われています。 冬桜や早咲き桜に始まり、遅咲きまでと言うと、約1カ月間さくらの花見ができます。 元松前町の小学校教師だった浅利政俊さんが、桜の保存や育種に携わって、一躍松前の「桜」が有名になりました。 

その浅利さんが、大阪の造幣局の「桜の通り抜け」に関係していたことは、今朝の道新日曜版の「旅」の紙面で知りました。

大阪造幣局は明治4年(1871)に明治政府が貨幣制度の立て直しを図るため、水利が良い天満の大川に設立されました。 そのあたりは、江戸時代から桜の名所であったらしく、局員だけの花見ではもったいないということで、一般の人々にも花見を開放したのが「通り抜け」の始まりだそうですから、もう約130年も続いている花見行事なんです。 

ところが、大気汚染や戦災などに会い、桜木が枯れる事態となり、特に1960年代になると深刻な大気汚染に悩まされるようになりました。 

その話を聞いた浅利先生が、「接ぎ木で空気のいい北海道に移植して貴重な品種を守れないか」と考え、道産子で初めて五輪金メダルをとった陸上三段跳びの南部忠平さんに相談したそうです。

南部さんは、即座に快諾してくれ、門外不出だった19品種が大阪から松前に贈られ、返礼として浅利さんは自ら開発した14品種を贈呈し、通り抜けに北の桜が定着したんだそうです。 

「通り抜け」は、わずか600メートル足らずですが、128種もの桜が個性を競っているそうです。 

桜守の浅利さんは現在80歳の高齢で、七飯町に住んでおられます。 松前の「桜」は今年も多くの観光客の目を楽しませてくれることでしょう ネ