昨日の日曜日、福島町史研究会は待望の「歴史探訪ツアー」を行いました。
行く先は、江差・上の国町で、江差町では石橋藤雄先生に解説をお願いして、檜山群役所・姥神大神宮・開陽丸と案内していただきました。
群役所では、「日本外史」などを残した儒学者の頼山陽の子息(三男)の頼三樹三郎(らい みきさぶろう)が江差に滞在中、持病の「疥癬」に悩まされていたところ、地元江差の医師本田譚先生の手当てにより完治したことを喜び、奥州平泉の藤原氏が中尊寺に奉納した経典の一部をお礼として贈ったものが展示されていました。
「紺紙金字一切経」(こんしきんじいっさいきょう)は、紺色の紙に金字で三行書かれた経典で、奥州藤原氏の初代清衡のものと思われていたが、調査研究の結果、三代の秀衡のものだったという経緯も詳しく説明して頂きました。 国宝級の経文の一部とのことでした。
「安政の大獄」で処刑された頼三樹三郎は、その奉納経典をどこから手に入れたかは分からないらしいのです。
分からないと言えば、本田医師はどういう薬を使って三樹三郎の病を治したかです。
「疥癬(かいせん)」はダニの一種のヒゼンダニが皮膚に寄生しておこる皮膚感染症で、今でも難治性で、たいへん厄介な病気です。
古代バビロニアの時代から知られていて、数千年の歴史があり、ナポレオン時代の戦争でも疥癬の流行がフランス軍の戦意を失わせたことは有名なくらいで、肖像画のナポレオンが胸に手を入れているのは、疥癬で痒いためだという話もあるくらいです。
そんな難病を完治させたわけですから、三樹三郎でなくとも最大級のお礼の気持ちを表したいと思うことでしょう ネ