2010年5月29日土曜日

想い出のサクラ


5/29(土)
 今年の桜は、昨年と違って鳥の被害はほとんどなかったものの、寒さ続きで開花が随分と遅くなってしまいました。

 そのため、ちょうど今頃が遅咲きの桜が満開となり、あちこちで花見の会が開かれているようです。

 「オガクリ」の待合室から見えるメモリアルパークへ登っていく坂道の「サクラ」も今が盛りと咲き誇っています。 桜の苗木が移植されてから、もう何年になるでしょうか・・・。

 当時、松前町の患者さんで、自宅の広い庭に何本もの桜の木を植えている方が来院いていました。 ライオンズクラブの会員として知り合いになり、松前町の郷土史家の永田富智先生が主催する「歴史探訪」にも参加して、一緒に下北半島を巡った想い出もあります。  その方が、待合室に座って窓の外を見上げると殺風気な坂道だけが見えているので、桜の木を植えることにしませんかという提案をしてくれました。  実は、わたしも何か物足りない風景だと感じていたものですから、二つ返事でお願いしました。

 その「サクラ」が、今満開なんです。 苗木も今では立派な「木」に成長し、オガクリを見守ってくれているようです。   その方(Tさん)は、白いりっぱな口髭が自慢で、眼鏡の奥の優しい眼ざしが今でも忘れられません ネ 


2010年5月27日木曜日

熊谷草と敦盛草

5/27(木)


北海道では、今の時期写真のような「熊谷草」が平地でも咲いています。 

源平合戦が行われていた当時、馬に乗った武者は後ろからの弓矢攻撃を防ぐため、母衣(ほろ)という風船のようなものを背負って戦っていたが、その姿に似たような花を付けているので「熊谷草」と名付けられたようです。

白をベースに紫の模様が付いたようなクマガイソウに対して、赤紫色の花で白の模様がつけられた母衣状の花は「敦盛草」と呼ばれています。 


もちろん二つの花の由来は、「平家物語」の敦盛の最期の話にちなんでいるようです。  
神戸の「一の谷の合戦」で敗北した平家を追っていった源氏の武将、熊谷次郎直実は自分の息子と同じ年頃の平家の若武者の一人の首を討ち取らざるを得なくなって実行したが、その後若武者の霊を弔うために、出家してしまいます。 その若武者が、平清盛の弟経盛の末子で無官大夫といわれた敦盛です。 琵琶の音色が物悲しく奏でる「敦盛」のくだりです。 その時敦盛は満15歳です。

敦盛自身は、横笛の名手で、その時の戦場にも「青葉の笛」を所持しているくらいでした。 直実が沖に逃げようとする敦盛を呼び止めたところ、揉み合いになって馬から二人は落ちて、その時「名乗らずとも首を取って・・・」という名セリフがうまれ、後世の人々の感涙を誘っているのです。

クマガイソウとアツモリソウは、知ってか知らずか何事もなかったように美しく咲き誇っています。 人々はそこに何を見ているのでしょう カ

2010年5月25日火曜日

松前絵手紙 向日葵の会


5/25(火)
 松前の絵手紙の会「向日葵の会」が、今年で10周年を迎えたそうです。 

 函館市にお住まいの北出喜代彦さんを講師にお願いし、毎月第2日曜日に例会を開いています。 その時のスナップ写真をお借りしましたので、掲載しておきます。  会員のみなさん、真剣に北出先生のお話を聞いております。

 これからも、こころに残るいろんな作品を描き、わたしたちを元気づけてください ネ
 

2010年5月24日月曜日

歴史探訪ー2


5/24(月)

 昨日まで、東北の「円空仏」を拝観するために津軽半島の松前街道をレンタカーでドライブしてました。

 三厩村の義経寺、平舘村(外ヶ浜町)の福昌寺・平舘神社、蓬田村の正法院、そして青森市油川の浄満寺の四カ所に、寛文6~7年(1666~1667)ころ円空さんが津軽を行脚した時に作像した小坐像の「円空仏」が安置されてあります。  

 義経寺の奥の院に安置されてある円空仏は、33年に一度ご開帳されると言う事で、拝観することはできなかったが、境内の土産物店の牧野さんに色々と話を聞くことができました。  明治26年が第一回目のご開帳で、平成12年に第五回目のご開帳があったばかりだということです。 次のご開帳が23年後ですから、どうなりますでしょうか?  三厩の円空仏(青森県重要文化財)は、写真で見るかぎり福島の有形文化財のそれとほぼ同じ様式の作りをしている観世音菩薩です。  
 
 蓮華座と岩座の二重台座の上に、定印をした手に蓮鉢を載せ、納衣の腕のところに深い切れ込みをもたせた胴体で、高い螺髪に細目の微笑みを浮かべた満月顔の様式は、蝦夷地行脚の後半に完成させた手法で、福島(礼髭村、吉岡村)で二体作像したものと、ほぼ同じものを松前街道の起点となる三厩でも作像していたことになるわけです。 そのご円空さんは、松前街道の三カ所に立ちよって小坐像を作ってから弘前方面へ向かったものと推定されています。 

 今回の探訪では、油川の浄満寺で思いもかけずに円空仏の拝観を許されました。 そこに安置されてあるのは、蓮鉢を持たず、螺髪も低い如来さまでした。  やはり県の有形文化財に指定されていますが、今までの円空仏の写真集には載っていなかったものなので、拝観出来たことは大きな収穫でした。 上の写真が浄満寺の円空作の釈迦牟尼如来坐像です。  礼を言って寺を辞す時、和尚さんは穏やかな笑顔で送ってくれました。 

 次の歴史探訪がとても愉しみになってきました ネ

 

2010年5月22日土曜日

少年野球大会

5/22(土)

 今日、福島ライオンズクラブ創立40周年を記念して開催される渡島西部4町の少年野球チームによる「西南4町交流少年野球大会」が当町で行われます。

 松前と福島が2チームづつ、木古内と知内が各1チームづつの計6チームによるトーナメント戦で行う予定なので、二日間での勝負となります。  選手はもちろん、応援する家族も二日間はしっかりとがんばることでしょう。 

  天候にも恵まれるようですから、がんばって ネ 

2010年5月21日金曜日

歴史探訪‐1

5/21(金)
 何年か前から「円空仏」に関心をもって、像を見たり関連本を読んだりしてきている。 

 明日、青森の今別町へ行き、「円空仏」を保存しているというお宅を訪ねる予定になっています。  寛文年間(1666~1667)、円空は東北・北海道(蝦夷)を作仏行脚しています。 福島と津軽海峡を挟んで向かい側の青森県三厩にも、福島の円空仏(右写真)と同じ様相の像があります。 三厩の「義経寺」というお寺に安置されていて、33年毎に像が拝観(開帳)できると言われてます。


 三厩は、青函トンネルの建設基地だったことから、友好関係にあり、交流も盛んにありました。 私の医学部時代に安保(あぼ)という三厩出身の同級生がおりました。 都会の札幌で生粋の「浜コトバ(津軽弁)」を聞いたので、はじめはビックリしました。 卒業後は小児科の道に進み、青森県立病院に勤務していると同期会で話にでることがあります。

 彼のお兄さんが、『免疫革命』など一般の方々にも分かるように免疫に関する本を多数書いている安保徹さんです。 東北人特有のがんばりで、免疫の一分野をリードし続けています ネ
 

2010年5月20日木曜日

健康だより 第13号

5/20(木)
 今回は、“老化は予防できる”と題してのサブタイトルで記事をまとめました。

 高齢者を知ろう(3)は、老化の元となる「活性酸素」を除去する働きをする、「抗酸化剤」として、いくつか紹介しています。 ビタミン類からポリフェノールなど、最近の健康志向のみなさんには馴染みのあるコトバが多いと思います。

 ガンのはなしは、肺がん(1)とは、発症する部位から肺門型(中心型)と肺野型の二つの型に区別して考えられます。 そこに発生する組織型と病気の初期からでる症状の違い、そしてタバコとの関係の深さなど、ふたつの特徴が意外とよく見えてきます。 

 肺がんは、けっして検診向きのがんとは言いませんが、二つの型をよく理解してくれれば早期発見のてがかりを捉まえることができるかもしれません ネ



2010年5月19日水曜日

ボクシング記念日

5/19(水)

 1952年の今日、白井義男さんが世界フライ級チャンピオンのダド・マリノに判定勝ちして、日本初のボクシング世界チャンピオンになったことを記念して設けられたものです。 

 会長はガッツ石松さんで、副に具志堅用高さんがなりました。 テレビ記者会見での二人は、漫談のような掛け合い話をして大いに笑いを取っていました。 プロ野球の「名球会」のようなものを目指して結成されたそうです。


 さて、1952年と言えば、松本清張『ある「小倉日記」伝』が芥川賞を受賞した年でもあります。 
 また、誕生日については、坂本龍一、三浦友和、さだまさし、堺正幸、吉幾三など超有名人に混じって河島英五が4・23に生まれています。 

 彼が、どういう理由から「円空仏」を求めて1981年に「東北・北海道のバイクツアー」を企画実行したのか、是非調べてみたいと思っています。 3000キロの長旅だったそうです。


 おっとっと、4月からのNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』で名わき役として良い味を出している松坂慶子さんを忘れてはなりません。  彼女の「愛の水中歌」という歌謡曲を知っている人は、相当の年配か歌好きということでしょう ガ


2010年5月17日月曜日

ライオンズ年次大会(Part2)













5/16(日)
 本日、年次大会の式典が函館の市民会館大ホールで行われ、その時のスナップ写真を載せておきます。 

 わがクラブにとっては、推薦したボランティア・サークル『ひまわりの会』ライオニズム大賞(団体部門)を授与したことです。 10年以上に渡って高齢者へのボランティア活動や町内の歌壇の整備を継続して行ってきていることが評価されたものです。 会員の内4名の方が式典に行ってくれました。

 次期キャビネットは、黒松内町の茂尾ライオンがガバナーとなり、倶知安町で年次大会を行う予定となりました。 L茂尾ガバナーのスローガンは『チェンジにチャレンジ』と決まって、実質明日からキャビネット運営を始める構想だという話でした。  函館、小樽、室蘭以外の開催地は静内に次いで二番目ということです。  地方キャビネットが成立するか否かは今後のライオンズ全体の運営にも関わってくることです。 応援してやらねばならない。


 式典終了後、チャーターバスは五稜郭公園の桜見物ができるような道順を選んで福島への帰路についてくれました。 ジンギスカンがとっても美味しいような日曜日の昼下がりでした ヨ 

 

2010年5月15日土曜日

ライオンズ年次大会

5/15(土)

 青木ガバナーによる「331C地区の年次大会」が、今夜函館で開幕されます。 

 北海道を3地区に分割して、その各々で今年の大会を行います。 キャビネットがこの一年間取り組んできた案件を総括し、次年度へとバトンタッチするセレモニーでもあるわけで、明日の本大会に向けた懇親会が今夜開かれます。

 福島LCは、二つのアワード(表彰)を授与される予定です。 さらに、福島町内で長年活躍してきているボランティアの『ひまわりの会』が、わたし達の推薦でライオニズム大賞を受けることになっています。
 
 くわしくは、明日の日記に予定しておきます ネ

2010年5月14日金曜日

白楊花見会


5/14(金)

 今年の「花見会」を、松前町の矢野旅館で行いました。  

 白楊会とは、函館中部高校の卒業生の集まりで、松前と福島町に在住のOB&OGの会です。 現在、40数名の対象者がおります。 

 活動として、今年度『白楊文庫』という図書の寄贈を計画し、松前と福島の両町の図書館(室)へ10数冊づつ贈りました。 今後10年間を目標に継続事業として行う予定です。 青少年ばかりでなく、広く町民の方々にも利用していただけるような文庫になってくれればいいなと思います。

 さて、今年のさくらの開花は、ウソの被害はなかったものの、気温が低いせいで予定より遅い開花となってしまいました。  が、今日の桜はすばらしいものでした。
 その種類たるや、いくつあるのか・・・とにかく松前のさくらは すばらしい” の一語につきます。 

 その昔、浅利先生が「南殿」桜の苗を植えた当時の小学校の生徒さんが、今白楊会の会員となって松前町で暮らしているということを考えても、植樹という事業は人間の寿命を超えた、各世代に渡っての遠大なものであると改めて感じました。 八重桜の別名は「南殿桜(なでんざくら)」と言うそうです。 この名前の由来は、京都御所の南庭に自生していたことから付けられたと言いますから、松前にもピッタリな桜だと思います。


 それにつけても、日高吾朗という人物は懐の深い、「礼」を重んじるすばらしい方だと言うことを、松前町のMさんから教えられました。   今年の「日高吾朗ディナーショウ」(12月5日、日曜日)へ出かけましょう、というメッセージもいただきました。  すてきな「お話と食事の夕べ」を楽しみに行きません カ 

(写真は、南殿の盆栽と、白楊会文庫で購入した図書の一冊)
 

2010年5月11日火曜日

「健康フェス」実行委員会

5/11(火)
 今年の「第11回 健康フェスティバル」の実行委員会が、今夜町の庁舎で行われ、今年のメインテーマが「早寝、早起き、朝ごはん」と決まった。 

 昨年の健康フェスは、NHKの公開番組と重なった企画だったため、午前中だけの内容に終わってしまいました。 講師を招いての講演も出来なかったので、全体的にちょっと消化不良気味でした。 
 また、何かしら予定どうりいかなく、反省点もいくつか指摘されました。 

 毎回、そうした改善点をあげて、次に繋がる企画を行ってきた経緯もありますので、今年も10回目までの段階からワンステップ上の内容を目指して行うつもりです。 

 今年のメインテーマに合わせて、実際に小学校の生徒さん方に生活習慣の体験をしてもらおうと考えています。 その体験報告などを、健康フェスでしてもらうことで、子どもと親・大人が経験を共有することができ、そこに会話がうまれ、生活習慣の見直しに繋がっていけたら・・・と、考えています。

 あらゆる機会をつかって、『いきいき健康ふくしま21』の推進のためのPRをしていかなければなりません ネ

2010年5月10日月曜日

あくまき(2)

5/10(月)
 「あくまき」の作り方は、一晩 灰汁(あく)に漬けたもち米を竹皮に包んで縛り、6時間ほど煮込むと出来上がります。 アルカリ性が強くて、雑菌が繁殖しにくく、日持ちがするため、安土桃山時代の武将の島津義弘の軍勢が兵糧として戦に持参したことでも有名だそうです。 鹿児島を中心に、宮崎や熊本の一部にも家庭料理として伝わったが、最近は自宅ではあまり作らなくなってきたそうです。
 
 "カツオをいぶすのに使った樫の灰が最適です”と、30年前から鹿児島で製造を始めた「梅木商店」では、隣町の枕崎市まで灰を調達に出かけるほどがんばっているそうです。 きな粉や黒砂糖を振りかけて食べると、灰汁の渋みや苦味が強く、独特の味わいとなります。 
 が、その苦味なども「古里を思い出させる味」であるとして、郷里を離れた人々にも人気が高いと言います。
 わたしも今回初めて食べる機会があったのですが、「うまいよ~」とはなかなか言えませんでしたが・・・、ごちそうさまでした ヨ~
 

2010年5月9日日曜日

おんな相撲

5/9(日)
 「北海道女だけの相撲大会」が正式名称で、福島町観光協会が主催して今年で満二十年目を迎えました。 
 
 今年は、62人の女性力士が体当たりの熱戦を繰り広げ、「おでぶ山」が二年ぶり四度目の優勝をして、賞金10万円と副賞に航空券やじゅうたんや福島町の特産品など、抱えきれないほどの商品を獲得して幕をとじました。 

 20回目の記念大会でもあるため「少女の部」も設けられ、その元気な取り組みに、やんやの声援が飛んでいたそうです。


 20年前とは、ちょうど「オガクリ」がオープンした年でもあります。 
 また、町おこしの小さな波 が静かに立ち始めた年でもありました。   
 今振り返ってみると・・・です ネ

2010年5月7日金曜日

あくまき(1)

5/7(金)

 端午の節句で想い出す食べものとして、柏餅か粽(ちまき)かで日本は大きく二分されるそうです。 関東は柏餅で、粽は関西地方出身者が多いらしいですね。

 
 柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、これを「子供が産まれるまで親は死なない」=「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」=「子孫繁栄」という意味を持たせて用いているそうです。

 柏餅というお菓子が日本の歴史に登場したのは、徳川九代将軍の家重~十代将軍の家治の頃だと言われています。 その理由は俳句の季語を記した書物「拝諧初学抄/齋藤徳元」(1641年)には五月の季語として「柏餅」が記載されていないのに対して、1661~1673年頃に成立した「酒餅論」には「柏餅」が季語として紹介されているからだと考えられています。

 柏餅が日本のオリジナルな祝い餅である一方、粽は中国の行事とセットで日本へ伝わってきた習慣だと言います。 餅団子を茅(ちがや)の葉で包んだものを粽と言いますが、粽には「難を避ける」という縁起的な意味もあるのだそうです。  これは中国の故事からきているので、紹介します。


   『 昔、中国が戦国時代だった頃に楚国という国があって、
屈原(くつげん)という人がいました。    賢人だった屈原は、楚国の王の乱行ぶりに我慢ができず、ある日、王を諌めようと忠告しまし     た。 しかし、それは王の逆鱗にふれてしまい、屈原は江南の地へ流刑されてしまいます。 そし    て屈原は王を慕いながら、泪羅(ベキラ)川へ身を投げてしまったのです。 
    里の人々は屈原を哀れんで、毎年、屈原の命日の五月五日に、竹づつに米を入れたものを川   の水に流し、屈原の霊を弔っていたのです。
    ところが漢の時代に、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。 
    幽霊曰く、「里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く    前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまいます。 だから、今度からは蛟龍が苦手にして    いる楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい」と言ったと言います。
    里の者は、「あいわかった」と承知し、 以来、楝樹の葉で米を包み五色の糸で縛ったものを川    へ流すことにしたので、無事に屈原の元へ供物が届くようになったそうで、 めでたし、めでたし 』


という内容です。

 北海道の場合、五月の節句は「ベこ餅」が有名です。 東北の一部でも「べこ餅」を喜んで食べるそうです。 なぜ「べこ餅」と言うかは、いろいろな説があるらしいんです。 
 まずどれが「べこ餅」かと言うと、『白砂糖と黒砂糖の二種類の種を作りダンダラに混じて小判型に作り蒸したもので、白と褐色の縞模様にしたもの』とあります。〈『松前福山の行事と餅類』(昭和21年)より〉

 したがって、白黒の色合いから考えられる「ホルスタイン説」、まだら模様の「べっ甲説」、牛がふせた姿の「和牛説」と、いったいどれが本当なのか、またはもっと別の由来があるのかも分かりません。
 
 さらに、下北地方の大畑や日本海側の鰺ヶ沢や青森の浅虫などでは、「くじらもち」と呼ばれる「べこ餅」もあります。 同じものと考えていいのか迷うばかりです。 
  
 一方、道南の江差町、上ノ国町、松前町、八雲町などでは、木型に入れて作る北海道式のべこもちを、「かたこもち」または「かたもち」とよぶ地域があります。  木型には、長方形の材に1個だけのものと、羽子板のように持ち手が着いていて、1枚に2個、3個とくり抜いてあるものがあります。 また、形も木の葉だけでなく、たけのこ、扇、菊、ウサギ、カメなどさまざまです。 もともと家庭で作るお菓子なので、道南などでは明治から各々の家に伝わっている型や、古い菓子店では代々使い継がれている型のものが多いようです。

 いずれにしても、牛でも舌でもなく、お米の粉だから、米粉(べいこ)もちとなって、それがいつしか「べこ餅」に変わったのではないでしょうか。 確かにべこ餅の材料はかたちの違う下北でも北海道でもすべて米の粉なんです。 
 
 はるか遠く海を渡って伝えられた「くじらもち」と「かたこもち」は、その両方の流れが北海道で出会い、溶けあって「北海道式ベこ餅」となったのではないでしょうか。

 べこ餅、くじらもち、かたこもちは、どれも故郷で愛され続けるお菓子です。

 それらが長い年月を経て互いに重なり合い、深く影響し合っているのでしょう。

 次に、今日の本題の「あくまき」については、南の鹿児島地方で端午の節句の時期に食べられる「餅」だそうですが、日を改めて記載します。

2010年5月6日木曜日

杉原輝雄プロ

5/6(木)
 ゴールデンウィーク開けですが、今日もゴルフの話です。 何としても、杉原輝雄プロの話題を記録しておかなければなりません。

 愛知県の名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース「第51回 中日クラウン」と言えば、世界最小スコアー(58)を記録した石川遼ばかりが注目されていましたが、じつはもう一人大事なプレーヤがおりました。 

 杉原プロも今大会で、「同一大会の連続出場記録51回」世界記録を樹立しました。 成績は、一日目111人中109位(7オーバー)、二日目15オーバーで同じく109位でした。 予選落ちです。

 ところが、二日目の11番のパー4で、第二打目を直接カップインさせるイーグルを取ったそうです。  72歳のゴルフのドンは、「残り140ヤードがアゲインストだったから6番アイアンで打った」というボールがスルスルとカップに吸い込まれ、周りの観客から大きな拍手喝采をもらい、彼らをおおいに魅了したそうです。

 ちなみに青木功も出場していましたが、3オーバーだったため、一打及ばず予選落ちとなっています(62位タイ)。

 さて、杉原さんが凄いのはゴルフばかりではありません。 前立腺がんに罹ってもう何年にもなりますが、生涯現役のプレーヤーでありたいと願って、厳しく辛い闘病生活を送ってきているからです。 そこまでして「ゴルフの現役プレーヤー」にこだわる理由は何なんでしょうか? ゴルフの魅力って・・・何なんでしょうか? きっと奥の深いスポーツなのでしょう。

 ある人は、「人生の歩み」に似ていると言うのですが、いかがでしょう カ

2010年5月5日水曜日

こどもの日

5/5(水)
 今日もゴルフの話です。 このゴールデンウィークの期間中に国内外で二人の若者の日本人ゴルファーが優勝というおめでたいニュースが新聞に躍りました。

 ひとりは、国内でも51回目を数える「中日クラウン」という準メジャーのゴルフ大会で、信じられないような逆転優勝をした石川遼プロです。

 二人目は、その翌日メキシコで行われていたアメリカのLPGA(ロレーナ・オチョワの引退試合でもあった)の大会で、今季3勝目を挙げた宮里藍プロです。

 石川プロは、最終日トップと6打差あった位置からスタートして、あがって見ればなんと58というパー70のラウンドでの世界最小スコアでした。 まさに"怪物”と言っても良いでしょう。 今まで、タイガー、バロステレス、ニクラウスなど世界のそうそうたるゴルフプレーヤが参戦したことのある有名な大会に、世界新というおまけまで付けて優勝するなんて、やっぱり「なにかを持っている」若者です。 恐れ入りました。

 一方、宮里は小学生の時に出会ってからずっと憧れていて、プロになってからも何かとゴルフでの多くのことを学んできたオチョアの引退最終試合だったため、何としてもオチョアに恩返しをしたいと望んだ試合だったそうです。 TVのスポーツニュースの画面からは、アップダウンと傾斜のあるそうとう難しいコースのようにみえ、みまさんアプローチに大変苦労しているように感じました。 それでも優勝スコアーが19アンダーということで、4日間の女子の大会としては良かった方なんでしょうか。

 宮里プロにすれば、優勝したことでオチョアに恩返しが本当にできたのでしょう、二人並んでの涙の会見がすべてを物語っているように思えます。  ただ、オチョアの引退理由は、3人の子供を持つ男性と昨年結婚したため、家庭に入って「母親」をするということです。 女子プロの選手の場合、「結婚と仕事」という問題は常に付きまとうことですが、日本の女子プロでも両立させている方がいるので、出来ないことはないと思うのだが・・・。

 さて、そんないろいろなドラマがつまったゴルフ、今年も健康管理のゴルフをがんばります ヨ


 

2010年5月4日火曜日

カタクリの花

5/4(火)
 春の遅い北国にもやっと「カタクリ」の花が咲き始めました。 紅紫色の花が一面に咲き誇っている群生箇所が町内にあります。 また、山の小路の脇に数本ずつ咲いている場所もあります。 

 自然の残っている証拠だといいますが、昨年そこに一本の白い花のカタクリを見つけることができました。 カタクリは多年草のユリ科の植物だから、その白い花のカタクリは毎年同じ所に見つけることが出来ます。 

 カタクリは、花が咲くまでに7~8年かかるといわれ、9年目でやっと花が開いたという記録もあります。

 カタクリの花言葉は、「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」です。 さっそく花を見に出かけません カ?

第11回 町民ゴルフ大会

5/4(火)
 昨日は、晴れの天気だったが強風のなかでの「町民ゴルフ大会」となった。 11回目を迎えた大会は、新しい方も参加して年々大きなものとなってきています。

 優勝はダブルペリア方式でハンディキャップを決めたため、オフィシャルハンディがシングルのH.T さんが20.4のハンディをもらって楽々の勝利でした。 H.Tさんは、わたしのゴルフの師匠でもあります。 

 今回11回大会に合わせて、「11回記念賞」を設けたんですが、その賞もなんとH.Tさんの奥さん(H.H)が獲得し、二人とも大喜びでした。 ちなみにわたしは33位と残念な結果でしたが、それだけみなさんの実力がアップしてきたという証拠でもあり、うれしい限りです。

 町内に戻ってからの懇親会は、元巨人軍の広野さんも加わり和やかな、大きな笑い声の絶えないものとなって、疲れた体に心地いいものとなりました。 ラッキー賞を二度も当たった運の良い人もいるもんだ。

 また来年の12回目も会いましょうと誓って、閉会となりました。 お疲れ様でした ネ~ 

2010年5月2日日曜日

今年のゴールデンウィークのゴルフ

5/2(日)
 天気は晴れ。 
 約束していた友人と「ゴルフ」です。 
 『オガクリ日記』は、ゴルフ好きの町医者がブログしていることになっているから、たまにはラウンド模様などを書いておかなくては・・・。

 きょうのラウンドは広野功(ひろのいさお)という元プロ野球選手の方と一緒でした。 広野さんは1966年に中日へ入団し、のち巨人でも活躍していたので、よく知っている年配の人もいると思います。 忘れてならないのは逆転サヨナラ満塁本塁打」2本打ったのはプロ野球の2008年シーズン終了時点で、広野さんただ一人だけであるという事実です。

 そして、1974年10月14日長嶋茂雄の引退試合となった巨人対中日最終戦(ダブルヘッダー第2試合)に中日の5番・一塁手としてフル出場しました。 これが広野さんにとっても現役の最終試合となったそうです。 現在は野球解説者としても活躍されています。

 広野さんのゴルフスタイルは、ビュンビュン振り回すというよりは、方向重視で距離はそんなに問題にしないタイプです。 それでも上がってみればパープレーという内容で、結局前半のハーフは36のパープレーです。 バーデーなしのまさしくオール「パープレー」でした。 

 明日は、福島町の『町民ゴルフ大会』が、大沼国際カントリークラブで行われます。 広野さんも参加されるので、またすばらしいプレーが見られることでしょう。

 良い天気になりますように、てるてる坊主です ネ

2010年5月1日土曜日

皐月晴れ

5/1(土)

 今年も、なんだかんだと言ってみてもフルスピードで時が流れています。 

 今月もまた良い月でありますように! ゴルフが上達しますように ネ