2011年10月27日木曜日

ドラフト会議

「なご美会」熊谷正春
今年の「ドラフト会議」の目玉は何人かはいるが、大学生では東海大学の菅野智之選手も超ビックな候補の一人です。 

前日までは、伯父さん(巨人軍監督原辰則)のいるジャイアンツが一年前からドラフト指名することを公言していたので、すんなり決まるのかと思っていたところ、自宅への帰りの車の中で聴いたラジオでは、「交渉権は日ハムが獲得しました」という内容でした。

過去に何度もドラマが生まれているドラフト会議です。 今年の行方は今のところまだ誰にもわかりません。 今夜のスポーツ番組でドラフトされた全選手が出揃うでしょう。 その時のコメントがどういうものか注目されます。 今は、ここまでにしておきます・・・。  (午後6時05分)

さて、夜の11時を過ぎてのTVスポーツ番組は、今夜行われたドラフト会議の話題一色です。 菅野選手のインタビューでは、やはり予想どうりの会場風景でした。 それぞれの思いが合致する場合は素直に喜べるのでしょうが、そうでない場合はどうしても波乱が起きるのでしょうか・・・。 がんばれ菅野君。

今週土曜日から始まるクライマックス・シリーズ(CS)では、ジャイアンツはセ・リーグの日本シリーズの挑戦権をかけてまずヤクルトと対戦します。 シリーズを勝ち上がってどうしても東京ドームで日本シリーズを戦って欲しいと望みます。 

そしてプロ野球の更なる発展のため、現在の選手達はいいパフォーマンスをして欲しいです ネ

2011年10月26日水曜日

ある研修会から

今週の24日の月曜日に北海道医師会主催の「うつ病・自殺予防研修会」が、函館のロワジールホテルで行われました。 雨の激しく降る中、6時30分開会に間に合わせて福島町を出発することは少々大変でした。

会場は、ほぼ満席になっていたがプロジェクターの調子が悪く、開始時間が少し遅れて始まりました。 座長は地元函館市医師会理事の三上昭廣先生がつとめ、講師は道医師会産業保健活動推進委員会委員の松原良次先生が行いました。 松原先生は、精神疾患の分野においては第一人者で、講演回数も多く、今日のお話も「立て板に水」という塩梅の進行でした。

日本の『うつ病』の有病率は、一生の間15人に一人(6.5%)、一年の間50人に一人(2.2%)だそうです。 

『うつ病』の症状9つにまとめられますが(右の絵)、“抑うつ気分”“興味または喜びの喪失”の両方に該当する症状を有する場合は、スクリーニングとしては90% うつ病』だと言えるそうです。

よく言われることは、うつ病などの精神疾患患者の増加は、経済状況と反比例するということです。 失業率が高くなると有病率が増えるということです。 悩みが多くなれば・・・。



さて、今朝の道新に載っていた記事は、私たち医師にとって注意しておくべき事例となることでしょう。 大阪地検の判例ですが、自律神経失調症だった男性が医師から「病気やない、甘えなんや」「薬を飲まずに頑張れ」などと力を込めて言われたことについて、「安易な激励や、自助努力を促すような言動で病状が悪化する危険性を避ける注意義務に違反した」と述べ、医師の発言と患者の病状悪化の間に因果関係があると認めました。 違法と見なされ、530万円の損害賠償訴訟に対して、60万円の支払いを命じたという囲み記事でした。

ある先輩から「医師は言葉に始まり、言葉に終わる」という名言を迷言(?)と思っていた時もあったが、今回の新聞記事をみればその意味がよくわかりました ネ

2011年10月24日月曜日

グリーンクラブのラストコール

夜の部;懇親会
雨の覚悟をした今日のゴルフでしたが、どういうめぐりあわせか時々少しの雨は降ったもののまずまずの天候でした。 今日一日儲けたという気持ちです。

4月から始まったゴルフシーズンももう終わりです。 会員32名の処、26名が参加をして競技(日中及び夜の部)が行われました。 日中の部のゴルフは、昨日の雨の影響もあって、フェアウエイでもぬかるみもあるため、思うようにボールが飛ばずスコアーも今一つです。 スコアーが悪いときまって天候などのせいにするものです・・・。

とにかく、今シーズンのゴルフは終わりです。 来季に向けてオフシーズンを如何に過ごすかが課題でしょう。 
夜の部のペーパーゴルフ

夜の部は、一転活気に満ちあふれた会になり、三人づつの団体戦では優勝の組はネット59というスコアーでした。 その後、ラッキー賞の抽選が行われ、今年のゴルフを総決算していました。

ところで、59というスコアは、プロゴルフの世界でも極めて珍しいものです。 1999年のアメリカPGAで、デビット・デュバルというゴルファーが世界最小ストローク(59)記録タイを出した場面をTVで観たことがあります。 当時のPGAの牽引者は勿論タイガー・ウッズで、彼に対抗できて彼のゴルフを破るかと言われていたのがデビットでした。 

ところが、その年のうちに急に調子を崩しスランプに陥ってしまい、あれよあれよという間に世界ランキングトップから滑り落ちてしまい、PGAの試合で予選通過もできない程に変わってしまいました。 その原因について、いろいろ言われていますが、代表的なものが結婚間近とまで言われていた女性との破局が大きな理由とされているそうです。 ゴルフは技術以上に精神力を必要とされるスポーツですから、このことが大きな影響を与えたと言われています。

タイガー・ウッズも離婚問題があってから、まったくのスランプに陥っていますから ネ

2011年10月22日土曜日

COPD

講演資料;喫煙者が治療をしないと65歳から
息切れがはじまり、死にいたる。
「慢性閉塞性肺疾患」という名前が本邦名です。 全国に500万人以上いると言われてますが、実際に診断されている患者さんは約23万人くらいだそうで、氷山の一角にすぎないらしいんです。
今夜(実際は昨夜)、函館市内のホテルで行われた講演会で、KKR札幌医療センター呼吸器科の福家(ふけ)聡 先生の話です。

せき・たん・息切れが臨床症状で、タバコ喫煙歴のある人が罹る病気です。 年齢がすすむにつれ、二次感染を起こし、呼吸困難のため救急外来へ運ばれるケースも珍しくありません。 

喘息と違う点は、喘息の場合、発作がコントロールされれば、気道閉そくが治り、症状の出現も無くなり、日常生活に不自由はなくなりますが、COPDの場合は、症状が安定化したと思っても、気道(細気管支)の狭窄は完全には改善されず進行性なので、酸素吸入を必要とする場合がおこります。 不可逆性なのです。

ですから、タバコ煙を主とする有害物質の吸収につながる「タバコ喫煙」を止めさせる必要があります。 生活習慣病としてのCOPDを何としても早期に発見し、早期に治療にもっていければ、その人の後半生は違ったものとなることでしょう。 息苦しさの無い、穏やかな人生です。

「ディスカバリーCOPD」という取り組みが全国で行われています。 早く氷山を溶かしてあげたいものです ネ

2011年10月21日金曜日

小曽根真コンサートin函館

函館公演でのプログラム表紙
日付が変わったので、昨夜、函館市民会館で「小曽根真とNo Name  Horses」のジャズコンサートが行われました。

今月の15日、東京葛飾からスタートし、19日札幌、20日函館、23日浜松・・・11月3日神奈川県海老名市まで、全国9カ所のコンサートツアーが開催されます。 

今回のツアーは『ラプソディー・イン・ブルー』がメインテーマとして取り上げられ、小曽根真の迫力あるピアノ演奏が目玉です。 前半は、スタンダードのジャズ曲とオリジナル曲を数曲演奏してくれた。 ノリの良いものから、しっとりしたブルース調のものまで、彼らは何でも弾けちゃうようです。

会場は、前の方が全席満員だが、二階より後方は空き席があちこちに見られました。 でも、結構年配の方々も多く、ジャズに興味のある高齢者も多いのが文化都市・函館を物語っているように思われました。 

カーテンコールも二度・三度あって、ノリの良い曲をアンコール演奏してくれました。 感激した聴衆は、最後はスタンディング・オーベーションをし、拍手拍手のうちに終わりました。 身体がかってに動き、手拍子をしながらの約二時間半の公演は短く感じられました。 

出来れば何らかの飲み物も欲しかったです ネ

2011年10月19日水曜日

ある新聞記事

今日の「函館新聞」に市立函館病院の木村純院長の記事が載っていました。 500人もの聴衆が集まった健康セミナーで、「がん予防ーピロリ菌の除菌で胃がんを防ぐ」と題して講演をしたという内容です。

木村先生は、9月に行われた「健康フェスティバル」の特別講演の講師として、今年福島町でもお話をして下さいました。 「がんで命を失わないために」と題した講演で、ピロリ菌と胃がんの関連についてもお話され、『ABC検診』という血液で行える検診のあることも紹介して下さいました。 

同日の健康フェスティバルで実施した『ABC検診』の結果は、A群57%、B群23%、C群20% でした。 この結果は、高崎市で行われた検診結果とほぼ同じと考えていいでしょう(A群49%、B群27%、C群20%)。   A群(ピロリ菌感染の無い人達)以外の人たちの胃精査ならびにピロリ菌の除菌が必要になるということです。

この結果をもとに、今後の「胃がん検診」をいかに考えていくかと言うことになります。 できれば、町の福祉グループの検診担当部門と懇談できればと考えています ヨ

2011年10月17日月曜日

第4回歴史講座

今夕6時30分から「第4回歴史講座」が行われました。 小雨が降っていたが出席者の集まりは良く、開講の随分前から会場のトンネル記念館はほぼ満員の入場者でした。 

教育委員会が主催し、町史研究会の会員の中から講師をお願いするというかたちで年4回の「講座」が年度初めから計画されていました。 今日がその最後の4回目でした。 会員の小松孝夫さん(もと町職員)が「福島町現代小史」と題して、福島町商店街と街並みの変貌、戦時・戦後の生活と子ども達などとサブタイトルを付けて発表して下さいました。

発表者の小松さん
商店街と街並みの変貌では、明治・大正・昭和にわたっての古い建物と現在の新しい建物を写真を駆使して比べて見せてくれたため、年配の参加者たちから様々な声があがっていました。 自分の子供の頃や若かりし頃の写真ですから、懐かしさも手伝って思わず出た声なのでしょう。 「ワー」とか「そうそう」とか、「あすこは覚えているよ」とか「あの写真屋が永田さんだね」とか・・・、記憶を呼び覚ます映像に見惚れていました。 探せばもっともっと古い写真はあるだろうから、年代やジャンル毎にまとめてみるのも面白いかも知れません。 今後が愉しみです。



「テエタ」の表紙を飾った
福島町館崎遺跡の「岩偶」
さて、福島町の歴史は、縄文時代にまで遡ります。 最近、新聞記事を賑わすある報道がありました。 三年前から発掘している福島町の「館崎遺跡」から、国内最大級ではないだろうか(?)と思われる巨大「岩偶(がんぐう)」(長さ37cm)が見つかったからです。 造られた年代は縄文時代前期と言いますから、約5000年も前のものなんです。 

簡単に五千年前といってもピンときませんが、黄河文明BC(紀元前)3500年ですから、ほぼ同じ頃と言うことになるのです。 ですが、中国ではすでに農耕がはじまり、土器もきれいに彩色されたものが使われだしていました。 

その後の研究の結果、最近では単に黄河文明と言わず、黄河・長江文明または採陶文化などともいわれるらしいです。 「黄河」とだけ単独で使う人は、古い年代の人だけのようです・・・ネ。

2011年10月12日水曜日

函館北斗ライオンズの50周年

函館市芸術ホールで開かれた「函館北斗ライオンズクラブ(LC) 50周年記念大会」は、開会の挨拶と共に上がった緞帳(どんちょう)の向こうのステージには、荒唐無稽さんという講談師が座っていました。 それから約10分間、北斗LCの歴史やら活動などを事細かく講釈しました。 今までに無い展開に呆気に取られたと言うのが本音でした。

その後の流れは、どこのLCでも周年行事の時に行うスタイルの式典で幕を閉じましたが、今日は何かが起こるのかな~という予感がしつつ、芸術ホールを後にしました。

懇親会は6時から五島軒という老舗のレストランで行われました。 ただし、配られた参加者名簿には「晩餐会」という言葉を使っていたので、「ここでも通常の懇親と違うのか?」と思いつつ会場へ入りました。

五島軒で一番大きな会場の正面の壁には、LC創立時の全会員が揃った集合写真の拡大したものが貼られていました。 さぞ高価なんだろうな~と感心するばかりです。 そう言えばLCのチャターメンバーには「函館新聞}の経営者の名前もみられ、親子三大がメンバーだと式典の中でも紹介されていたっけなどと思いだしていました。


テーブルに着くと、コースメニューはロシア式という挨拶が総料理長からありました。 函館はロシアとの交流が緊密にあったことから、特に五島軒でもオープンの頃にメニューとして出していたロシア風の料理を用意したという話です。 

アトラクションは、「歌劇」と合唱で、もちろんロシア風の出し物にこだわって準備してくれたようです。 何と手の込んだ記念周年行事だろうと感じました。 他のLCでは、マネのできない趣向です。

もう一つは、「合唱」です。 もちろんロシア民謡の曲がメインです。
司会者が曲の始まりに「グラスを傾けながら、耳の方も舞台の歌に傾けて下さい」とお願いしていました。 会話があちこちで大盛り上がりなので、会場が騒々しいのが困りましたが・・・。

その後は、LCの姉妹クラブや友好クラブからの挨拶などがあって晩餐会はさらに盛り上がっていきました。 ただ、千葉県香取市から来られた友好クラブの砂原LCの地区名誉顧問N氏の挨拶のなかで、1カ所気になったところがあったので、僭越とは思いましたが名刺交換させていただきました。

砂原と聞いてピンときた人は、とっても歴史に強い人です。 伊能忠敬が18歳で婿養子となった伊能家のあった村が現在の香取市砂原です。 『大日本沿海與地全図』という正確な日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は、50歳の時に息子に家督を譲って自分の好きな暦天文学を納めるために江戸へ出たが、それまでの砂原では商人としてかなりの才覚を発揮し、伊能家の再興をし、砂原での役職(名主)をつとめたなどの記録があることから、1919年に香取市は砂原公園に銅像を建立し栄誉をたたえました。 その砂原のLCが、函館北斗LCと友好クラブ提携を結んでいるのは、おそらく伊能忠敬が蝦夷地で最初に測量を開始したのは函館だからという理由のようです。


福島町吉岡の公園にある
伊能忠敬蝦夷地上陸の地の記
そして、蝦夷地にはじめて上陸したところも函館と思っている人も多くいるらしいので、そこだけは譲れないと考えて名刺を交換した際、「伊能忠敬が蝦夷地へ上陸したのは吉岡がはじめです」とN氏に話しました。 歴史上の事実ですから、しかも忠敬の出身地の砂原からの人たちだから言わせていただきました。 


24時間テレビの企画
吉岡という地名は、今後みなさんの記憶の中にとどまっていってくれるでしょうか? 江戸時代、津軽の三厩などから蝦夷地をめざして津軽海峡を渡ってくると、季節毎による津軽海峡の潮の流れは変わり場合によっては目的地の松前などに到着しないで、吉岡という港に着くことも多かったようです。 


今でも、泳いで津軽海峡を渡ろうという企画が時々あって、2年程まえの「24時間テレビ 愛は地球を救う」で海峡をリレー水泳で泳ぎ切ろうという番組では8人の泳者が交互に泳いで津軽半島の小泊岬を出発して、福島町(吉岡)に到着したということがありました。 


ですからすこしは吉岡という地名を記憶に留めておいてください ネ

2011年10月9日日曜日

頭の良いカラス

今日は、「函館ドクターズ」ラストコールが北海道カントリークラブ大沼コースで行われました。 連休の中日なので、出場するかどうか迷ったあげく結局参加しました。 

抜けるような青空となった午前8時頃、クラブハウス横のパッティング練習場での出来事です。 朝買ったばかりのカラーボールオレンジ色で、パットを打ちはじめたら、直ちに何処からともなく1羽のカラスが飛んできて、そのボールをくわえ始めたのです。 「こら~」と声を出す間もなく、スーと飛んでいってしまった。 何と言うことでしょう! 

今までもボールを獲られたことはあったが、すべてコース内でプレイしている時のことで、今日のような事態は初めてのことです。 

もう一度、気を取り直してカラーボール(オレンジ)をパッティングしました。 すると、またスーと飛んできたカラスが、そのボールをくわえて持ち去ってしまいました。 2個ともです。 ああ~、何と言うことでしょう!!

今日のゴルフは出だしからケチが付いてしまったので、最悪を覚悟しなければ・・・と思いました。 

プレーが始まってからは、「ま~何とかなるさ」と言い聞かせながらリラックスを心掛けてラウンドしました。 そのうちにやっと身体もほぐれティーショットも安定しだした頃に、今回無理しても参加することになった「いわくつき」のホール(H)へとさしかかりました。 

3ヵ月程前のあるゴルフコンペにさかのぼります。 年一回の「北海道ドクターズゴルフ大会」が函館地区の当番で、この大沼コースで行われました。 わたしも参加したんですが、結果はひどいものでした。 アウトの16番Hで池に3発ボールを落としたためです。 ですからラストコールの今回、何としてでもそのリベンジをしたいと思い出場を決意したのです。

今日の16番Hは、3打目を池のやや右手前に置くことに成功し、残り150ヤードの池越えの4打目は7番アイアンで打った。 ボールは低くでて、グリーン右横のガードバンカーにつかまった。 ちょっとあごのある難しいバンカーショットとなったが、上手く打つことができて、ピンの左奥1.5メートルにつけることができた。 5オンです。 パットは、下りのスライスラインです。 速いグリーンだから、パットはカップからボール1個半づらしてうった。 ボールは、旨い事スライスし、カップへ向かったと思ったら、スーと吸い込まれてくれた。 

ワンパットの6打(ボギー)ですから、わたしにとっては上出来です。 リベンジできたと言っていいと思います。 課題を克服してのホールアウトでした。 今日の天候と同伴者に感謝です。 ただ、からすだけは許せませんが・・・。


もう、20年以上も前の話ですが、福島町のNさんというゴルフ好きの人が、大沼国際カントリーゴルフ場でプレーをしていたら、やはりカラスにニューボールを持って行かれたというトラブルが発生したそうです。 当時のボールは大変貴重で高価だったと思うのですが、プレー終了後にフロントへ苦情を言ったそうです。 「ここのゴルフ場では、カラスを飼っているのか?」と詰め寄ったらしい。 Nさんは恰幅の良い人だら、さぞかし迫力があっただろうと想像できます。 結局、支配人はボールを何個か渡してその場を納めたという話があって、今もゴルフ仲間の中では懐かしい想いで話となっています。

勿論、今日の出来事については、わたしは何も言いませんでした。 言っても「カラスの勝手でしょう」と笑われるだけでしょう。 カラスがくわえて持っていくボールは“ニュー“に限られているようです。
カラスは色彩はわかるのか?  調べてみなければならないでしょう。

何日か前の道新新聞にカラスが道路にクルミなどの堅いものをわざと置いておいて、車にひかれさせて細かく砕き、そのあと食べに舞い降りてくる決定的な瞬間を連続で撮った投稿写真を載せていました。 

ですから、カラスはとっても頭のいい鳥なんです。 朝のゴミステーションでも悪戦苦闘する住民たちの困惑した場面がしばしば見られますよ ネ

2011年10月2日日曜日

あられ(霰)

庭のマンホールの付近に
今朝8時ころ(あられ)が降った。 時間にして数分間だったが、戦争映画でよく聞く機関銃の連射している音にも似ていて、ちょっと怖い思いもした。

霰と(ひょう)は、その大きさ(直径)が5ミリを境に区別しているようだ。 積乱雲の雲からできた氷の粒は、パタパタという音で家の屋根を鳴らし、地面に降り注ぐ。 雷の音を伴うことも多く、今朝の霰の時も遠くから稲光とともに聞こえていた。 

霰を使った言葉に「感謝 感激 雨あられ」という、非常に感謝した気持ちを表す時に用いる熟語があります。 窮地を救われたりしたら、おもわず口をついてでてくる言葉で、よく使われます。

とても語呂合わせのいい発音になります。 もともとは、戦時中に日本軍の優勢な戦況を報じる新聞の見出しに使われた「乱射 乱撃 雨霰」をもじった言葉から由来しているらしいのですが・・・。

神無月の今月、どうにか天候に恵まれるんだろうか。 秋の収穫に影響が出なければいいのだが ネ

2011年10月1日土曜日

道立近代美術館がやってきた

学芸員 光岡幸治さn
今日から神無月です。 そして、今日から五日間「道立近代美術館コレクション(北海道美術の精華)」が福祉センターで開催されています。

9月16日から10月23日まで、道内5カ所の市町村で行われる『移動美術館』の3番目の町として、絵画・彫刻など40作品が展示されます。 普段からなかなか本物の美術品にお目にかかれない地方のわたしたちにとって、今回の催しは最高の贈り物です。  特に、子ども達にとっては、“ウォー”と声が出るほどの感激になってくれればいいなと思います。

林竹治郎「朝の祈り」のスライド
初日の今日の午後からは、主任学芸員の光岡幸治さんによる「美術鑑賞解説講座」が開催され、部屋に入りきれないくらいの町内外の人たちが訪れました。


林竹治郎『朝の祈り』の解説から始まり、約1時間少し早口ながら、詳しく分かりやすく話してくれました。 スライドに映し出される画像は、実は本物よりも色彩がとても鮮やかで、思わず声を上げてしまいそうな作品が多かった。 国松登『星月夜』中村善策『秋の散歩道』等など、色彩豊かで大満足です。

国松登(1907-1994)の「星月夜」は1991年のもので、象の頭は左を向いている。 1992年に同じ題名で描かれた象は、右を向いていて、クジラも描かれているらしい。 札幌に行けば見られるわけだ。 彼は函館生まれ、小樽育ちだと解説文に書かれている。 

小樽と言えば、中村善作が生まれた街です。 彼は、明治34(1901)にうまれ、安井曾太郎にも師事し一水会の会員ともなって活躍した。 70歳の時に描いた「秋の散歩道」は、北海道美の遺産にもなっており、北海道医師会の月間雑誌「北海道医報」第1080号(H20.9.1)の表紙を飾ったことがあって、ちょっとだけ記憶していました。

今回の40作品の合計金額はいかほどだろうか? と、町役場の係りの人に訊ねたところ、判らない・・・そうだ。 盗難防止のため寝ずの番をするつもりだと話してくれた。  とてもご苦労なことだ。

まあ~、芸術の秋とはよく言ったものです ネ