2011年10月12日水曜日

函館北斗ライオンズの50周年

函館市芸術ホールで開かれた「函館北斗ライオンズクラブ(LC) 50周年記念大会」は、開会の挨拶と共に上がった緞帳(どんちょう)の向こうのステージには、荒唐無稽さんという講談師が座っていました。 それから約10分間、北斗LCの歴史やら活動などを事細かく講釈しました。 今までに無い展開に呆気に取られたと言うのが本音でした。

その後の流れは、どこのLCでも周年行事の時に行うスタイルの式典で幕を閉じましたが、今日は何かが起こるのかな~という予感がしつつ、芸術ホールを後にしました。

懇親会は6時から五島軒という老舗のレストランで行われました。 ただし、配られた参加者名簿には「晩餐会」という言葉を使っていたので、「ここでも通常の懇親と違うのか?」と思いつつ会場へ入りました。

五島軒で一番大きな会場の正面の壁には、LC創立時の全会員が揃った集合写真の拡大したものが貼られていました。 さぞ高価なんだろうな~と感心するばかりです。 そう言えばLCのチャターメンバーには「函館新聞}の経営者の名前もみられ、親子三大がメンバーだと式典の中でも紹介されていたっけなどと思いだしていました。


テーブルに着くと、コースメニューはロシア式という挨拶が総料理長からありました。 函館はロシアとの交流が緊密にあったことから、特に五島軒でもオープンの頃にメニューとして出していたロシア風の料理を用意したという話です。 

アトラクションは、「歌劇」と合唱で、もちろんロシア風の出し物にこだわって準備してくれたようです。 何と手の込んだ記念周年行事だろうと感じました。 他のLCでは、マネのできない趣向です。

もう一つは、「合唱」です。 もちろんロシア民謡の曲がメインです。
司会者が曲の始まりに「グラスを傾けながら、耳の方も舞台の歌に傾けて下さい」とお願いしていました。 会話があちこちで大盛り上がりなので、会場が騒々しいのが困りましたが・・・。

その後は、LCの姉妹クラブや友好クラブからの挨拶などがあって晩餐会はさらに盛り上がっていきました。 ただ、千葉県香取市から来られた友好クラブの砂原LCの地区名誉顧問N氏の挨拶のなかで、1カ所気になったところがあったので、僭越とは思いましたが名刺交換させていただきました。

砂原と聞いてピンときた人は、とっても歴史に強い人です。 伊能忠敬が18歳で婿養子となった伊能家のあった村が現在の香取市砂原です。 『大日本沿海與地全図』という正確な日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は、50歳の時に息子に家督を譲って自分の好きな暦天文学を納めるために江戸へ出たが、それまでの砂原では商人としてかなりの才覚を発揮し、伊能家の再興をし、砂原での役職(名主)をつとめたなどの記録があることから、1919年に香取市は砂原公園に銅像を建立し栄誉をたたえました。 その砂原のLCが、函館北斗LCと友好クラブ提携を結んでいるのは、おそらく伊能忠敬が蝦夷地で最初に測量を開始したのは函館だからという理由のようです。


福島町吉岡の公園にある
伊能忠敬蝦夷地上陸の地の記
そして、蝦夷地にはじめて上陸したところも函館と思っている人も多くいるらしいので、そこだけは譲れないと考えて名刺を交換した際、「伊能忠敬が蝦夷地へ上陸したのは吉岡がはじめです」とN氏に話しました。 歴史上の事実ですから、しかも忠敬の出身地の砂原からの人たちだから言わせていただきました。 


24時間テレビの企画
吉岡という地名は、今後みなさんの記憶の中にとどまっていってくれるでしょうか? 江戸時代、津軽の三厩などから蝦夷地をめざして津軽海峡を渡ってくると、季節毎による津軽海峡の潮の流れは変わり場合によっては目的地の松前などに到着しないで、吉岡という港に着くことも多かったようです。 


今でも、泳いで津軽海峡を渡ろうという企画が時々あって、2年程まえの「24時間テレビ 愛は地球を救う」で海峡をリレー水泳で泳ぎ切ろうという番組では8人の泳者が交互に泳いで津軽半島の小泊岬を出発して、福島町(吉岡)に到着したということがありました。 


ですからすこしは吉岡という地名を記憶に留めておいてください ネ