今夕6時30分から
「第4回歴史講座」が行われました。 小雨が降っていたが出席者の集まりは良く、開講の随分前から会場のトンネル記念館はほぼ満員の入場者でした。
教育委員会が主催し、町史研究会の会員の中から講師をお願いするというかたちで年4回の「講座」が年度初めから計画されていました。 今日がその最後の4回目でした。 会員の小松孝夫さん(もと町職員)が
「福島町現代小史」と題して、福島町商店街と街並みの変貌、戦時・戦後の生活と子ども達などとサブタイトルを付けて発表して下さいました。
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発表者の小松さん |
商店街と街並みの変貌では、明治・大正・昭和にわたっての古い建物と現在の新しい建物を写真を駆使して比べて見せてくれたため、年配の参加者たちから様々な声があがっていました。 自分の子供の頃や若かりし頃の写真ですから、懐かしさも手伝って思わず出た声なのでしょう。 「ワー」とか「そうそう」とか、「あすこは覚えているよ」とか「あの写真屋が永田さんだね」とか・・・、記憶を呼び覚ます映像に見惚れていました。 探せばもっともっと古い写真はあるだろうから、年代やジャンル毎にまとめてみるのも面白いかも知れません。 今後が愉しみです。
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「テエタ」の表紙を飾った
福島町館崎遺跡の「岩偶」 |
さて、福島町の歴史は、縄文時代にまで遡ります。 最近、新聞記事を賑わすある報道がありました。 三年前から発掘している福島町の
「館崎遺跡」から、国内最大級ではないだろうか(?)と思われる巨大
「岩偶(がんぐう)」(長さ
37cm)が見つかったからです。 造られた年代は
縄文時代前期と言いますから、
約5000年も前のものなんです。
簡単に五千年前といってもピンときませんが、
黄河文明が
BC(紀元前)
3500年ですから、ほぼ同じ頃と言うことになるのです。 ですが、中国ではすでに農耕がはじまり、土器もきれいに彩色されたものが使われだしていました。
その後の研究の結果、最近では単に黄河文明と言わず、
黄河・長江文明または
採陶文化などともいわれるらしいです。 「黄河」とだけ単独で使う人は、古い年代の人だけのようです・・・ネ。