2012年3月22日木曜日

健康だより 第22号

今回の「健康だより」は、ロコモティブシンドロームの二回目です。 重症度のお話と「ロコチェック」の7項目の意味するところの解説です。 

オガクリ広場の仲間達は、院内に掲げられている写真パネルの作品です。 朝日の昇る入江の情景と優雅な舞(神楽)のワンシーンで、見るものの心に余韻を残してくれます ネ

2012年3月19日月曜日

健體康心

読み方は「けんたいこうしん」となる。

「健康」という言葉の語源をたどると、中国の古典『易経』にみることができると、今日行われた福島町史研究会の本年度の第一回例会の講師を務めた池田龍夫さんの解説です。 心身ともの健康を意味しているということです。

ここで、WHO(世界保健機構)の健康についての定義を紹介します。
「単に体が病気ではないということだけでなく、精神的にも社会的にも良好な状態」となっています。 

健康についての考え方はいつの時代、どこの国でも共通するものなんです ネ

2012年3月13日火曜日

雪かきとACS発症

「向日葵の会」田辺圭子
米国での話ですが、雪かきでACS(急性冠症候群)を起こすという都市伝説があり、心臓関連学会がウェブサイトで警告しているその引用文献を見ると、たった一件または2件の事例に基づくものであったそうです。

クイーンズ大学キングストン総合病院のA.Baranchuk教授は、この事例だけでは雪かきの潜在的リスクのエビデンスとしては不十分なため、500例を後ろ向きに検討する大規模研究を行いました。 その結果、35例(7%)で雪かき中に症状が発現したことが明らかになったそうです。

教授によれば「これは膨大な数であり、医学において7%はかなりの割合と言える。 さらに雪かき中に症状が出現したことを報告しなかっただろう患者を見逃している可能性を考えれば、この数は倍加しうるだろう」とも述べています。

さらに、ACS発症リスクの高い患者の特徴としては、①男性であり②若年性冠動脈疾患の家族歴 を挙げています。

一方、日本ではどうでしょうか? 今年のような雪の多い年に、心臓疾患(狭心症、心筋梗塞など)で救急搬送された患者さんは多かったでしょうか?

ここの事例では、多かっただろうという印象を持つが、果たして多かったか否かは救急隊の出動などがどうだったかだけでなく、後ろ向きでいいが大規模試験を行いエビデンスを持たなければならないでしょう ネ

2012年3月12日月曜日

TPPとは

「なご美会」熊谷正春
環太平洋連携協定(TPP)は太平洋を囲む9カ国が参加を表明していて、日本も参加に向けて今や関係各国と事前協議に入っている。 参加国は「関税の撤廃」「参加国のさまざまなルールや仕組みの統一」を目指すことになります。 参加国はベトナム、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、チリ、ペルー、そしてブルネイの9か国です。

道新の日曜版に、「私たちの暮らしはTPPでどうなるの? が よくわかる」というJAグループ北海道の新聞一面の大きさの広告が載っていました。 三題の質問を上げていて、そのひとつに「医療費は高くなるの? 安くなるの?」という疑問に答える形をとって説明しています。

答えは、医療費は高くなるです。 公的保険を持っている日本は、医薬品や医療機器の価格規制をしています。 が、このことをアメリカは透明性に欠けると言い、TPPに参加すればそれを取り払えと要求してくるでしょう。 そうなると医療機器や医薬品価格は高騰するだろうから患者負担は増し、受診抑制が進み、健康水準の低下が心配されることになり、結局は保険財政が悪化し、十分な医療が提供できなくなる可能性がでてくると考えられます。

さらに、混合診療(保険診療と自由診療の医療サービスを併用すること)や株式会社の参入なども解禁になれば、受ける医療は国民に平等であるという国民皆保険制度が崩壊してしまう可能性も出てきますということです。 医療が自由化や競争化されていってもあなたは安心ですか? と逆に問返していました。

しかし反面で、がん患者らにとっては、薬品の使用許可がまだ下りていないが治療に有効だという新薬を一日でも早く使えるという混合診療が解禁になれば大きな救いになるという事実も見逃せません。 海外(アメリカ)で行われている医療を自由に受けたいという気持ちもわからない訳ではありません・・・。


この問題は、情報を国民の皆さんともっともっと共有し、議論していかなければならないと思います ヨ

2012年3月11日日曜日

3.11から1年

「なご美会」熊谷正春
道新の3.9付け朝刊の生活面に「変わる社会的弱者支援」という特別企画記事が載っていた。

東日本大震災により介護・看護が必要になる被災高齢者や障害者がいるだろうから、訪問看護の充実にもなるだろうという意図で厚労省は昨年4月に特例措置として人員一人でも開設できる訪問看護ステーションを認めました。 

本来の「訪問看護ステーション」は要員が常勤換算で2.5人必要とされています。 介護分野のケアマネジャーだけでなく、医療分野の医師の指示にも基づいたケアも行われるのが特徴なので、介護と医療の橋渡し役も担うというたいへん重要な仕事をしているのです。

新聞に紹介された一人訪問看護ステーションは、福島第一原発のある警戒区域から相当離れている福島市内の「まごころサービス福島」で、佐藤かつ代さんという66歳の看護師さんがスタッフです。 人員一人でいいので、事務所は自宅、電話も自宅用で十分で、開設にお金がかからないメリットが大きかったと言います。

ところが、実際は開設が進んでいないようです。 福島県では福島市に新たに一軒と飯舘村に一軒開設されることになったが、申請しても留保されるんだそうです。 仙台市、気仙沼市、石巻市、一の関市など20近い市町村で申請したものの一カ所も認可されていません。 「前例がない」 「従来あるステーションで十分」などが理由だそうです。 

今回の特例が当初2月末までという期限だったものを7カ月延長して9月末までとされたが、「延長は今回限り」とあくまでも例外的措置という姿勢を国は崩していないため、安定したサービスが望めないということも背景にあるようですが、佐藤さんのステーションの訪問看護対象者は今のところ二人だけです。 

NPO法人まごころサービス福島センター(福島市)の理事長の須田弘子さん(67)は、「今まさに介護や医療の手を求める被災者がいて、一人ステーションはその声に応えるために必要です。 行政は支援を求める人の側に立って判断して欲しい」と訴えていると記事は結んでいます。


さて、医療過疎地域でも慢性的な医師不足から医療のみならず介護にも十分に医師の手が回らないため、看護師がその役割の一端を担わなければならない事態が生じます。 診療時間内の訪問看護は、診療所の看護師が往診看護を行えるが、時間外や遠方の患者の場合などは診療所の看護師だけでは不十分な事態もあります。 

そんな時などは、訪問看護ステーションが地域に存在してくれると医療側も患者自体も助かることになります。 一人診療所医師の場合は、特に有用ですし、北海道のように地域が広域に及ぶ診療圏の場合は本当に有難いと感じます。

ところが、人員要件が2.5人では、地方の看護師不足の現状を考えると到底無理な話だと気づきます。 移動距離が長いというハンデが北海道にあります。 採算が合わないステーションでは、かりに一人の看護師が退職すると自動的に廃業に追い込まれることになるのです。 もったいない話なんですが・・・。

しかし、かりに今被災地の三県が特例で許可されている「一人訪問看護ステーション」制度が北海道の特に医療過疎地域に導入されるならば多大な恩恵が得られるものと確信します。 看護師免許を持っている人は田舎にも結構いるんです。 離れた部落(地区)毎に居るものです。 その地区の看護を必要とする患者だけ看るということになれば、それ程多くの患者を看るということにはならないので一人だけでも十分な訪問看護が可能です!

恩恵は患者さんばかりではなく、一人医師の診療所にももたらされるものですから、まずは道知事に一考していただきたいと思いますが、いかがでしょう カ

2012年3月9日金曜日

ナイター議会

「なご美会」大津令子
今日から福島町議会が開催され、夕方6時から「ナイター議会」がライブ中継されています。 5人(全議員11名)の議員の個人質問がインターネットを介して傍聴できます。 とても良いシステムだと思います。

昨年の3・11の東日本大震災の教訓を生かすべく、当町の防災の現状と課題などについての質問が目立ちました。 一年前の大震災では津波の被害が海岸線で起きたため、当町も同様な被害が起きないだろうかという懸念がありますが、ここ福島町は地形的な理由からか大きな津波被害は今までなかったようです。 

わたしが小学3年生の時のチリ地震による影響が一番記憶に残っているものでしょうか。 その日はすばらしく天気のいい日で、今まで海の中で見えなかった前浜の磯岩や港の海底の土がすっかり顔をだして魚や海藻など手づかみ状態というところまで海水が引いてしまったのです。 海の底を下駄を鳴らして歩くなんてモーゼ「海割り」のような光景だったと、後で家族から聞きました。 

ところが、一度引いた海水は、次に元の海面にまでもどるわけですが、その時のスピードが恐ろしく早いと大きな波となって、元の海面の何倍もの高さにまでなって襲ってきます。 それが大津波です。 本当に予期せぬ水の威力が全てを飲み込んでしまいます。 何度もTVでみる3・11の津波の映像が目に焼き付いて離れません・・・。 

ここ福島町は「海底トンネル」で青森の三厩と繋がってもいますので、地震そのものもあったら大変なことになります。 幸い、「オガクリ」も建っている館崎という地域は、その名のとうり岩盤のしっかりした岬の地になるので、その下の海底を掘ったトンネルは強固な岩盤に守られていると思います。 

そうした地震・津波被害の少ない福島町を東京でもPRしようとアンテナショップをだし、大いに売り出したいと思いません カ

2012年3月8日木曜日

なでしこの花

「なご美会」熊谷正春
「なでしこジャパン」の選手たちは、昨年の女子W杯優勝ですっかり自信をつけてしまったようです。

ポルトガルのビラモウラで行われている女子の国際大会「アルガルベ・カップ」で、なでしこジャパンは決勝でドイツ相手によくも善戦してくれたものだと感心します。 前半の早い時間帯に立て続けに2ゴールを奪われた時は、チームの柱の澤選手も出場していないから、もうダメかなという気持ちになって観ていました。 

ところが、かえって2ゴールを決められたあとからは、ドイツが後ろに引き始めたのか、日本のパス回しが上手く行き始めたのか、いづれにしてもゲームの展開が面白くなった。 それまでFWにボールがなかなか通らなかったものが、一瞬のパスが川澄選手にわたり、落ち着いて彼女が蹴ったボールはゴールポストを揺らした。 とても綺麗なシュートシーンでした。

その後、良く攻めて同点にしたことは、彼女らの自信に繋がるものです。 2-3と後半のタイムアップ寸前に勝ち越され、万事休すと諦めたにもかかわらず、永里がキーパーとの混戦の中から同点ゴールを決めた。 最後まであきらめないという闘志が選手一人一人を動かしたものだろうか。 準優勝の結果はロンドンオリンピックにつながる成績で、彼女らは胸を張って帰国して欲しいと思います。

今回の大会はスポーツ観戦の醍醐味を味わったすばらしいゲームだった ネ

2012年3月4日日曜日

15歳のジャンプ

「なご美会」熊谷正春
今、女子のジャンプ競技が熱い。
山形市でノルディックスキー・ジャンプ女子のワールドカップ(W杯)蔵王大会が行われており、その第11戦で上川中学3年生の高梨沙羅さんが初めて優勝し、表彰台の真ん中に立った。

日本勢の女子W杯制覇は初めてで、15歳4か月というのも男子を含めても最年少優勝ということです。  おめでとう!

TVニュースでのインタビューを観ていると、その受け答えがハキハキした言葉遣いで的を得た話し方にも感心しました。 ゴルフ界の石川遼も若年にもかかわらず、的確なインタビューをしていたことを想い出します。  よく一芸に秀でた者は人物も良くできていると言われますが、彼女もまさにそのとうりだと感服しました ヨ

2012年3月2日金曜日

大滝のお不動様

大滝不動社(明治23年館道策刻)
昨日のブログで掲載した「吉岡港真景」は、正確には『渡島國松前郡吉岡港真景』となっていて、たいへん貴重な情報も載っています。 明治23年の12月31日現在の吉岡村の村勢です。 

戸数230戸、人口1433人。 村立小学校は1カ所、村立病院も1カ所、三等郵便局も1つなど主だった公共施設をはじめ、商店や湯屋、理髪床の数も記載されています。 

そして、同年の1月から12月までに吉岡港に出入りした船舶の数も載っています。 小蒸気船380艘、風帆船8艘、日本形五百石以上10艘、同じく五百石以下300艘などと印刷もされています。 

当時の吉岡村内の景勝地のひとつという意味でしょうか、不動之瀧(大滝不動社)の絵も描かれています。 『福島町史』の郷土の伝説の項に解説されているところによると、この大滝のお不動様は霊験あらたかで、村に火災や地震等がある場合、信者の人達に霊夢をもって知らせ、信ずる人への降福繁昌を与え、さらには大滝の水は目に効くということで有名で、目薬水として遠近から汲みに来る人も多く、今も函館方面からの参詣者も絶えないのだそうです。

このお不動様は浄土宗海福寺の管理に属していて、毎年5月28日9月28日の春と秋の二回例大祭が行われています。 宵宮の夜は多くの講中の人達が泊まり込んでお祈りをし、加護を求めているそうです。 一度お参りしてみません カ

2012年3月1日木曜日

吉岡港真景

吉岡港真景 函館 館道策刻
いよいよ弥生三月です。 
今年も何だかとっても月日が早く過ぎていくように感じられます。 

早いと言っても、そこに暮らす人々の日々の生活の営みに繋がりがあるわけで、ここ「オガクリ」のある福島町の吉岡地区も江戸時代から明治へと年代がかわっていっても街並みはしっかり保たれていました。 


紀行者の文章で、当時の模様はわかりますが、絵や写真ですと一目瞭然です。 その当時の絵の入った額が吉岡にある浄土宗海福寺の壁にかかっていました。 上の絵が明治23年の頃の吉岡村です。 この絵を基に当時の様子を調べてしましょう カ