2011年1月30日日曜日

サッカー・アジア杯(4)

まだ、眠い。 
でも、気分は壮快というところです。

今大会の決勝戦に臨んだサッカー「ジャパンの戦士」は、FIFAランキング上位のオーストラリアチームを(1-0)で撃破したのだから、夜中にもかかわらず応援のし甲斐があったというものです。 だが、延長に持ち込まれての戦いだったから、結局120分のTV観戦となってしまい、寝不足です。

昨年の南アでの「Wカップサッカー」からですが、日本チームは逆境にたたされた試合ほど、チームが一丸となって、相手を倒す意気込みを発しているように思っていました。 先発と控え選手の“和”が旨い具合に出来あがり、途中起用の選手がその期待に応える働きをすることも多かったように感じていました。 まさしく昨日の深夜の決勝戦でも、その場面が見られました。 

延長の前半途中から先発のFW前田に代って起用された李忠成選手が、MF長友からあがったボールを左足でボレーシュートをしてゴールネットを激しく揺らしました。 待望の一点が入った瞬間でした。 それまでオーストラリアに攻め込まれていただけに、歓喜の声をあげてしまった。

成長と団結をスローガンにしたザッケローニ監督は、イタリア出身でセリエAリーグでもクラブチームを優勝に導いたことがある名将です。 サッカーの試合では、いったん試合が始まってしまったら、監督の采配はそう大事ではないのだろうと漠然と考えていたが、昨夜の試合でその考えがおお間違いだということを知らされました。 

試合が膠着状態に陥り、しかもオーストラリアに攻め込まれる場面の多かった後半11分に、MF藤本に換えて長身のDF岩政を投入すると、試合の流れがビックリするほど変わり、日本選手が相手ゴールへ攻め込むチャンスが増えました。 再三、長友らのサイド攻撃が増えて、延長での劇的なゴールへと繋がっていったのでした。 監督はまさに数々の修羅場を経験してきた名将だと、改めて感じました。

リーダーの正しい決断がチームを勝利に導いたということでしょう ネ

2011年1月28日金曜日

福島町医歯会

「なご美会」熊谷正春
今年度の「福島町医歯会」の総会を今夜行った。 会員4人の小さな会ですが、12年前から町と協働で「健康フェスティバル」を継続開催していることが会員の誇りです。

当時は、救急の日に合わせて、消防署の救急担当者らとも協議し、町と三者間の会として発足した。 数年はその形式で行っていたが、集客などで苦労することも多く、いわゆるマンネリ化にもなり、打開策を考えていたところ、町内のいろいろな団体に声掛けをして実行委員会を組織しようということになり、第7回から現在の形態になった。 メインテーマを掲げ、講演をし、健康関連の話題を提供し、来場者の検診も行うことになった。 

また、「いきいき健康福島21」という福島町独自のプロジェクトを計画し、実行に入っている。 5ヶ年の計画事業で、昨年その途中経過の検証を行ったが、なかなか実行は難しいところもあります。 毎年、検証をし、実行されているか否かをみんなで把握する必要があります。 

そういった活動をしているわたし達の会ですから、今後も会員力を合わせてやっていこうと確認し合いました。 勿論、総会の後は、懇親に努め、会場を移動してマイクごしに“美声”を披露しあう場面もありました ネ

2011年1月27日木曜日

サッカー・アジア杯(3)

「なご美会」熊谷正春
昨夜の興奮を書き遺しておかなければなりません。 宿敵の韓国チームとの準決勝戦は、戦前から壮絶な戦いが予想されはしたものの、ああまで試合がこじれるとは思いませんでした。 

前半と後半では、日本チームの動きがかなり変わってしまったのは、ハーフタイムで韓国チームが戦略を練り直してきたからだろう。 後半の日本は自陣エリアで守備を強いられる時間が多かったように感じられ、選手の足の動き、運動量が落ちているかなという印象で試合を見ていた。 

結局、延長に持ち込まれたが、運よく早い時間帯でPK(ペナルティキック)を得て、今や日本チームのエースストライカーとなっている本田(圭)がキックの権利を得た。 誰もが、難なくゴールネットを揺らしてくれるものと安心して見ていたところ、蹴ったボールはキーパーに阻止されてしまい、万事休すと思ったその瞬間、後方から猛然とラッシュした途中出場の磯貝が、こぼれ球をゴール内に押し込んでくれた。 そのシーンのビデオを何度見ても、磯貝選手以外の誰も走りだしておらず、改めて彼の基本に忠実なプレーに感心するばかりです。 

ところで、勝利を確信した延長の最後の最後で同点ゴールを奪われ、PK戦にもつれ込まれたことは、因縁のある韓国戦だったからだろうか。 
見せ場は完全にゴールキーパーの川島が独り占めしてしまった格好だ。 勿論彼の好セーブは試合を決めたわけだから、本当にすばらしいと素直に喜んで納得します。 

決勝戦はオーストラリアと30日の午前0時キックオフで始まる予定だ。 今回のアジア杯での日本チームは、各試合で活躍する選手が入れ替わり、各々新しいヒーローが誕生しています。 きっと決勝戦でも同じような展開となり、ニューヒーローのインタビューで興奮することでしょう ネ

2011年1月25日火曜日

ピロリ菌と胃がん(7)

浅香正博 著
そろそろ「胃がん検診」について考えてみましょう。 北大教授の浅香正博先生『胃の病気とピロリ菌 ー胃がんを防ぐためにという単行本(中公新書)を最近出版しました。 23日の道新日曜版の図書コーナーにも先生の写真入りで本が紹介されています。

その中で、胃がん検診は、日本だけで行われているかなり特殊な検診だそうで、欧米諸国では胃がんの発生率が低いため、そもそも検診の必要性がないと言います。

2004年にカナダで「世界消化器病会議」が行われた時の発表では、欧米を含む他の国の5年生存率は20%前後なのに対し、わが国だけが60%に達していたそうです。 浅香先生は、その理由として、わが国の胃がん検診システムが有効に機能していて、早期胃がんを発見できていると説明したそうです。 

だが、実際は検診のみで優れた5年生存率が得られたという訳ではなく、器用な消化器内科医・病理医・優秀な外科医らの存在も大きいと考えられます。 

さらに胃がん検診を費用対効果で見ると、40歳代では一人の胃がんを見つけるのに約100万円かかると言われ、50歳代では50万円に下がり、60歳代以降は10万円になると言われています。 40歳代の10分の一に減少した訳で、その点からだけ言えば、胃がん検診は60歳代から行うのが最も適していると論じています。 

しかし、その胃がん検診の受診率は10%前後と低迷しており、現在の方法(胃のバリウム検査)での検診では50%代まで受診率を上昇させることは困難だと思われます。 感度の点や被ばく量の事も考慮をすればそろそろ検診の発想の転換を図る時期にきていると先生は力説しています。

より良い胃がん検診法を導入する時期に達していると考えられます ネ
(次回は、検診法について)

2011年1月23日日曜日

サッカー・アジア杯(2)

昨日の対カタール戦は見ごたえのある素晴らしい試合だった。 先取点をカタールに取られるアウェーゲームは、相当苦しいものになるだろうと懸念していたが、はたしてその通りの展開となり、ヒヤヒヤものでした。

日本の一点目は、香川を起点に本田のパスを岡崎が“うら”をとってワンタッチでロブを上げた。 そのままでもゆっくりとゴールへボールが吸い込まれると思っていたら、何と香川が猛然とラッシュしてゴールに詰めてきて、ヘッドでボールを確実にネットへ押し込んだシーンへとつながった。 

昨年、ヨーロッパリーグで活躍し、そのリーグでのMVPにも選ばれているところから、今回のアジア杯でも大いに期待されながら予選リーグでは無得点に終わった香川選手にとって、昨日の試合は決意するものがあったのでしょう。  

その気持ちは、後半早々に失点し、一人退場というハンデの中でも集中を切らさずに、鮮やかな二点目をゲットし、さらに勝ち越し点となる三点目も、香川がゴール前に積極的にドリブル突破したことによってうまれたこぼれ球を伊野波が確実にゴールネットに押し込んだ結果へとむすびついた。

ハラハラドキドキの試合内容だったが、「若いジャパンの戦士」が大いに逞しく見えたし、何と言っても香川がゴールを決めたことが、今後のベスト4の試合に弾みがつくことは間違いありません ネ

2011年1月21日金曜日

お年玉

今月5日道新朝刊の當瀬規嗣札幌医大教授の『生きるしくみ』(215)は、“お年玉”と題して、動物の報酬系の話を書いていました。

動物(もちろん人間も含めて)は、何か自分に利益のある事・物などがある時、自然とワクワクした状態になり、脳では快感を生み出す報酬系と言われる部分がはたらいていることが分かっています。 

小さい頃から、お正月になれば“お年玉”をもらえるという期待感ができあがり、気持ち良くお正月を迎えるために掃除もいとわずにやり、結果として“お年玉”をゲットすることになるという訳です。 

これに限らず、何か頑張ったら報酬がもらえると分かれば、人は困難を乗り越えるものです。 が、報酬目当てに何かしても上手くいかないもので、報酬を期待するあまりだめなものなんでしょう。 難しいものです・・・。


脳MRI画像(赤サークルが側座核)
さて、この脳内報酬系の中心はどこかと言えば、「側座核」という直径2ミリの小さなもので、「やる気の脳」とも呼ばれる部分です。 脳のある部位から「なにか始めよう」という指令を受けると、側座核は扁桃核や海馬と相談しあいながら、それが好きなことであるか否かを判断し、やる気を出すかどうか決めるのです。

また、側座核は性的刺激やある種の薬物(麻薬やアルコールなど)によって引き起こされる「ハイ」な感覚とも関連していることも分かっています。 覚せい剤など依存性を有する薬剤の大部分はドパミン賦活作用を持っていることから、報酬系はドパミン神経系ともいわれている。

報酬系の働きは、学習や環境への適応においても重要な役割を果たしています。 「褒めて育てる」という子育て論は、CTやMRIがこれ程までに進歩・発展しなかった昔から、誰かれとなく言われていた名言です ネ

2011年1月20日木曜日

ピロリ菌と胃がん(6)

「向日葵会」早瀬信子
前回の(5)報では、ピロリ菌を感染させたスナネズミにMNU(Nメチルニトロソウレア)という発がん物質を投与することで、胃がんができることを説明しましたが、今回は疫学調査の結果をお話します。

呉共済病院に勤務していた上村直実先生らが1500例余りの胃疾患患者を8年間、年一回の内視鏡検査をしたところ、ピロリ菌陽性者から3%の胃がん患者が発見されたのに対し、ピロリ菌陰性者からは1例の胃がんの発症もなかった。 この事実が医学の分野では最も権威のある雑誌のひとつである『New Eng. J.Med.』に発表されるや否や、世界的な反響を呼び、世界各国のガイドライン作成に大きな影響を与えたそうです。

同じ頃、九州大学から男性においてピロリ菌陽性者は陰性者の約3倍胃がんを発症したという発表があった。 これは、高血圧について長期間疫学研究している久山町研究のデータだったのです。

これら“胃がんとピロリ菌感染の関係”を世界に先駆けて発表したのは、いずれも日本からです。 なんと素晴らしいことでしょう。

ピロリ菌による胃がんの発生メカニズムには2つの考え方があります。 1つは、ピロリ菌自身には発がんの働きはなく、菌の感染によって胃粘膜が慢性萎縮性胃炎をおこし、それが何らかの作用でガン化していくというものと、2つ目はピロリ菌自身が発がん促進物質として影響をもつというものです。

詳細は省きますが、北海道大学の畠山昌則先生(現 東京大学)らは、ピロリ菌が胃粘膜に接着すると、菌体からCagA蛋白が胃細胞に注入され、細胞の情報伝達に関わる酵素の活性を亢進させることを発見した。 胃細胞に増殖因子と同様の刺激を与えている(発がん機構に関連)ことが示唆されたことになるそうで、『サイエンス』という科学の世界ではもっとも権威のある雑誌に掲載され、国際的な評価を得ました。 

この分野では、その後もガン化を巡る発表がなされているが、日本人の研究者が一歩リードしてしている。 頼もしい限りです ネ
(次回は、胃がん検診について)

2011年1月18日火曜日

サッカー・アジア杯(1)

「向日葵の会」田口祥子
昨夜は夜10時からテレビに釘付けだった。 日本チームの鮮やかな、完全な勝利に大満足です。

予選B組の第3試合で、日本はサウジアラビアと対戦した。 今回のサウジはすでに2敗と絶不調の状態とは言え、底力のあるチームだから、何とか試合開始早々から先取点をと願っていたところ、本当に取ってしまったのだから岡崎選手はスゴイ! 遠藤選手からのボールが、ちょうど “うら” をねらって走りこんだ岡崎選手へ、ドンピシャに入り、右足でファーと上げたボールがサウジのゴール内に吸い込まれ先取点となった。 まさに最高のテクニックを披露してくれたものだ。 

その後、彼はハットトリックという得点ラッシュを演出してくれた。 たいした控え選手で、日本チームの層の厚さを実証してくれた。 

そしてもうひとつ嬉しいことは、フォワードの前田選手が2得点してくれたことだ。 過去2試合に先発し、チャンスがありながら、ミスが多く得点できなかった。 だから今夜の結果は彼にとってばかりでなく、日本チームにとっても待ちに待った結果だったと思います。

「5-0」という結果は、何度も見れるゲームではありません。 

決勝ブロックでは、A組2位の地元開催国のカタールと、今週21日に対戦する。 

その前に、サウジに勝利してB組1位通過した喜びをじっくり味わいたいと思います ヨ

2011年1月16日日曜日

認知症講習会

図-1
今日「平成22年度第1回かかりつけ医認知症対応力向上研修会」が函館市のサン・リフレ函館で午前10時から行われた。

高齢社会をむかえ、認知症患者がますます増え続けることが予想され、特に85歳以上では4人に1人の割合で認知症になると言われていることから、早期発見・早期対応が重要であり、一層「かかりつけ医」の活躍が期待されるところなのです。 認知症の診断、治療・ケア・連携に関する基本的な知識を習得することを目標にしての研修会でした。

講義会場風景
今日の講習で、2つ感じたことがあります。 1つ目は、85歳以上の人でも約75%の人達は認知症にならないという訳だから、予防もできるのではないだろうかということです。 脳血管性の認知症と言われているものは、血管の動脈硬化によるものだから、生活習慣病(高血圧、糖尿病)のコントロールを上手にやっていければ、認知症予防ができると考えられます。 その意味でも日頃からの血圧管理を徹底して指導する「かかりつけ医」の責任は重大です。

2つ目は、医療と介護の連携に「かかりつけ医」の存在が不可欠だということです(図-1)。 早期からの認知症高齢者支援体制が必要です。 

昼休みを1時間とったものの、結局3時10分までの長帳場の講習会となり、日曜日の講習であったため、少々疲れました ネ

2011年1月12日水曜日

『松前の伝説』 永田栄子著

(1)
(2)

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去る1月7日、『福島町史研究会』の顧問をしていただいている永田富智先生の奥さま栄子さまが闘病のすえ、お亡くなりになりました。 先生の落胆は勿論ですが、わたし達『町史研』の会員にとっても悲しい限りです。 先生の傍にいて、いつも笑顔で面倒をみておられた姿が想い出されます。              
上記の文章は、平成19年に『松前の伝説』と題して発刊された奥さまの小冊子の中から「松前空襲」と題した一文を紹介致します。 戦争の怖さや恐ろしさ、そして空しさを、戦争を知らない世代に伝えるのも年寄りの役目だからとの思いから書いたそうですが、実に生々しい情景が目に浮かびあがります  ネ                                                       

2011年1月11日火曜日

ピロリ菌と胃がん(5)

食塩摂取と胃がんの関係
疫学的には、尿に排泄されるナトリウムを測定することによって、食塩の摂取量を推定し、胃がんの死亡率との関わりを検討した論文があり、それによると両者は正の相関をします(右図)。

米国やメキシコ、デンマークのように食塩の摂取の少ない国の胃がんの死亡率は低く、日本や韓国そして中国、チリ、ハンガリーのような食塩の摂取の多い国の胃がんの死亡率は高かった。

わが国では、、戦後家電製品の普及が進み、特に冷蔵庫による食品の保存方法が一般化したことにより、塩分摂取は減ってきており、それが胃がんの発生数の減少に寄与していると考えられています。


一方、動物実験では、北海道大学の消化器内科の加藤総介先生が、愛知がんセンター研究所の立松正衛先生の指導でスナネズミ発がんモデルを用いて、ピロリ菌感染と食塩が、どのように胃がん発生と関わっているかを検討している。 

スナネズミ発がんモデルでのピロリ菌と食塩の関係
発がん物質のMNU(Nメチル ニトロソウレア)を投与した後、ピロリ菌を感染させると胃がんはある一定の頻度で発生します。 そこに、食塩濃度2.5%、5%、10%となる餌を同時に食べさせて胃がん発生に及ぼす食塩の影響を観察しました。

その結果は右図‐2のようなとてもきれいな成績が得られました。 高濃度食塩になるにつれて、胃がんの発がん率も48%まで上昇させました。 もっと重要な事実は、ピロリ菌を感染させなかったスナネズミからはほとんどガンが発生しなかったということです。 

つまり、ピロリ菌の感染がなければ、食塩は発がんを促進させる要因にはならないこともはっきりしたということです。(次回はピロリ菌関連文献)

2011年1月9日日曜日

ピロリ菌と胃がん(4)


ピロリ菌が胃の中で存在できるのは、胃酸から逃れていられるからです。 胃粘膜のヒダの奥にもぐりこんで、胃粘膜が分泌する粘液を栄養源にして生き続けています。 数本のべん毛を使って動き回っていると見られています。

ピロリ菌は自からウレアーゼと呼ばれる酵素を発生させ、胃粘膜にある尿素をアンモニアと二酸化酸素に分解します。 このアンモニアは強アルカリ性ですから、強酸性の胃酸を中和し、菌自らに都合のいい快適な環境を作ることができるのです。  もっとくわしく説明すると、ピロリ菌が中性と酸性領域の2つのPHを持つウレアーゼを放出し、それ自体が胃の粘膜障害を起こすのであって、ピロリ菌そのものが胃に刺激を与えるのではありません。 


また、「分泌酵素」と呼ばれるムチナーゼやプロテアーゼも同様ですし、ピロリ菌の最外殻に存在するリポ多糖、線毛に類似したIV型分泌装置によっても炎症が発症します。


さらに、ウレアーゼ以外にも胃に悪影響を及ぼす物質を発しており、細胞の空胞化を起こす毒素もそのひとつです。  この毒素蛋白を誘導する遺伝子をcogAと呼びます。 このcogAを発現させるピロリ菌は毒性が強いことが明らかとなっているが、欧米ではこのcogA陽性のピロリ菌は20~30%にしか見られない。 


一方、日本ではその陽性率は90%を超えていると言われていることから、ピロリ菌の毒性は欧米の菌に比べてはるかに強いのです。 


その後、cogA遺伝子を胃粘膜上に発現させると、胃粘膜細胞の形態を変化させること、つまり癌化させることが明らかになり注目を浴びています。 つまり、この毒素こそが慢性胃炎、消化器潰瘍、胃癌の本当の病原体と言われています。 (次回は、ピロリ菌と塩分の関係について)


(5) ピロリ菌

2011年1月8日土曜日

ピロリ菌と胃がん(3)

年代別のピロリ菌感染率(「胃の病気とピロリ菌」より)
ピロリ菌がどこからどのようにヒトの胃に感染するのか、まだ十分にわかっていません。 極端に酸素の少ない環境(嫌気性)を好むことから、汚染された水が原因である可能性が高いと言われています。

健康な人のピロリ菌感染率は、年代が増すとともに上昇するが、国や地域で大きな差が認められています。 一般に、衛生環境の良くない開発途上国では、若い年齢層からすでに感染率が高く、年代別変化もあまり認められないそうだが、欧米諸国の若い年齢層の感染率はきわめて低く、年令を経るごとに、わずかに増加する傾向にあると言われています。 

日本では欧米諸国と開発途上国の中間のパターンを示しているという「年代別のピロリ菌感染率」の結果が1990年代前半に北大第三内科の研究グループから発表され、大きな反響がありました。 さらに、米国では所得格差による感染率の違いがあり、裕福な層は感染率が低い傾向がみられます。

ところが、日本では地域や収入の差による感染率の違いがみられないことから、日本の衛生状況は世界に例を見ないほど格差がないという証拠にもなり、誇っていいことだと北大第三内科浅香正博教授は力説しています。  (次回は、ピロリ菌の胃粘膜障害について)

ピロリ菌と胃がん(2)

ヘリコバクター・ピロリ菌
胃の中には塩酸が存在するため、口から入ってきた細菌はすべて殺菌されてしまい、生息している細菌はないと長い間考えられてきました。

ところが、オーストラリアのロビンウォーレンという病理医とバリーマーシャルという消化器内科医によって胃の中に“ピロリ菌”という細菌が存在し、胃炎発生の原因菌であることがつきとめられ、1983年84年に相次いで   『ランセット』という英国の有名な雑誌に彼らの論文が掲載されることになりました。


それから約20年後の2005年に二人はノーベル生理学・医学賞を受賞しました。 受賞理由は、「胃粘膜よりピロリ菌を発見、培養することに成功し、ピロリ菌感染が胃炎や胃・十二指腸潰瘍の発生に深く関与していることを突き止めたこと」ということでした。


初めにピロリ菌を発見したのは、ウォーレンで、オーストラリアの王立パース病院に病理医として勤務して12年目のことでした。 1979年の6月ですから冬の初め頃のことです。 その細菌は、らせん構造をしていたので、スピロヘータ用の染色法を応用すると見事に良く染まって見え、電子顕微鏡の撮影にも成功し、下痢などをおこすキャンピロバクターという菌に類似していたため、当初キャンピロバクター類似細菌(CLO)と呼ばれていました。 

ある細菌が特定の病気に関与していることを証明するには、「コッホの四原則」を満足させなければなりません。 一番目は、その菌が常に病変の中に存在していること、二番目は、その菌が純粋培養が可能であること、3番目は、培養された菌によって接種された動物に同じ疾患が再現できること、4番目は、同様の菌が発病した動物から分離されることというものです。

世紀の大発見にはよく偶然とかラッキーなどという何がしかの“因縁”があります。 ノーベル賞受賞者のインタビューを聴いていると「あ~あ、やっぱりね~」と思わせる発言があります。 ピロリ菌の場合も、「コッホ四原則」の2番目にラッキーが関与してました。

1982年4月、新しくウォーレンの仲間に加入したマーシャルはキャピロバクターを分離する方法で2日間の培養期間で培養を行っていたが、ちょうど復活祭休暇になってしまい、二日間の培養では陰性だった培養プレートを破棄しなけらばならなかったが、捨てるのを忘れそのままにしてしまった。 休暇明けの火曜日の朝、スタッフの一人がプレートを捨てようと中を見たところ、細菌のコロニー(集落)が形成されていてびっくり。 培養がゆっくりで、5日間もかかっていたことになります。 大騒ぎになったことは想像に難くありません。 まさに復活祭が幸運を招いてくれたようなものです。 それらの事が彼らの初めての論文として『ランセット』誌に掲載されたのは1983年のことでした。

次に、コッホの第3原則を満足させなければならなかったが、ここでも問題が発生しました。 動物に小ブタを候補として細菌感染させようと試みたが結局失敗に終わって、マーシャル本人がピロリ菌を飲むことを決心しました。 それまでにピロリ菌に効く抗生物質を研究し、知ってはいたものの、家族からの猛反対があり、王立パース病院の倫理委員会を通ることも考えられなかったから、自分の責任において研究を決断した。

その結果、胃炎を発病したが、除菌して治り、さらに彼の胃からの菌が再び培養に成功し、一遍にコッホの第3と第4の原則も証明されたことになった。 胃・十二指腸潰瘍に関わりあるピロリ菌と言う内容の第2の論文が『ランセット』誌に発表されたのは1984年6月のことでした。

当時わたしは芦別市立病院の内科医として勤務しており、内科医仲間とのカンファレンスでその論文を紹介した記憶があります。 が、その時はまだ論文の価値を十二分に理解し、プレゼンテーションしていなかったんだと思います。 


それにしても、マーシャルの実行力には脱帽です。 天然痘の予防の道を拓いたジェンナーでさえ、初めての牛痘接種を我が子にしたと伝えられていますが、本当は他所の子だったとか・・・。

なお、この細菌はその後キャンピロバクターとは異なった細菌であることが判り、ヘリコバクター・ピロリと命名されました。 ピロリという意味は、英語のピロルスから由来しています。 つまり、胃の出口を幽門(ピロルス)と言い、はじめにこの菌が証明された場所が幽門だったからです。 (次回はピロリ菌の特徴について)  


「コッホ四原則」コッホとは、結核菌などを発見し、明治時代の日本の細菌学者にも多大な影響を与え、ノーベル賞に輝いたドイツの細菌学者ロベルト・コッホのことです)

2011年1月7日金曜日

ピロリ菌と胃がん(1)

胃がんヘリコバクターピロリ菌(HP)の関係については、最近では一般の人でもよく知っている事実です。 
(北海道新聞 H22.8.27より)

しかし、どの程度良く知っているかと言えば、多くの方々はちょっと不安な顔つきになるようです。 そこで、昨年発表された日本ヘリコバクター学会の「胃ガン撲滅プロジェクト」の内容を、新聞に掲載された記事をもとに紹介したいと思います。 (次回はピロリ菌について)  


2011年1月6日木曜日

年賀状

「向日葵の会」田辺圭
今年も多くの年賀状を頂きました。 
と言うことは、私もお世話になったり、お付き合いさせて頂いているたくさんの方々に年賀状を出しているということです。

年末に駆け込みで急いで発送するためか、相手方の住所が変わっているのに、旧住所のまま送ってしまうことがあります。 

今年も7~8件の年賀状が、宛先不明で戻ってきました。 是非、新年の挨拶をしなければならない方のものばかりだったので、新しい住所の付箋を貼って出そうと思ったところ、その郵便物はすでに一度配達されたものだから、別なハガキで出してくださいと言われました。 当然ですよね。 うっかりです。

ところで、書き損じの年賀はがきも年に何枚かありますが、その場合困りますよね?

「向日葵の会」花田冨
そう思っていましたら、東京の「市民による海外協力の会(特定非営利活動法人シャプラニール)」が、年賀はがきの書き損じや未使用はがきを活用して国際貢献に取り組む活動に参加しませんかと呼び掛けている新聞記事を昨日、目にしました。 

同会では集まったハガキを郵便局で切ってシートに交換し換金します。 ハガキ1枚でボールペン3本分、25枚では料理教室1回分の寄付になるそうで、3月31日まで受け付けをしています。

送り先は、  169-8611
         東京都新宿区西早稲田2-3-1
         シャプラニール 
             Tel  03-3202-7863

支援金の送り先は、バングラデシュやネパールで労働する子供たちの教育活動などに充てられるそうです。 ちょっとした国際貢献ですが、大きな輪になればいいです ネ

2011年1月5日水曜日

仕事始め

初詣;松崎町の伊那下神社
今日からH23年の「仕事始め」です。
朝、いつもより早く出勤した職員を前に、年頭のあいさつをした後、恒例の「お年玉」を配り、今年一年の活躍を誓いあいました。

「卯年」について色々と都合の良いような解釈をし、あくまでも良い年でありますようにと誰彼となく念じています。 

国政の混乱が経済にも、医療にも、すべてのことに影響を及ぼしてくるわけで、今年もしっかりと注視していかなければなりません。 ムードに流されない“眼”をもって見極める必要があります。 
もちろん、地方においても例外ではありません ネ

2011年1月4日火曜日

高校の同期会

オガクリ
昨日、高校の同期会が函館のウィニングホテルで行われました。 その1Fには北島三郎記念館があるホテルです。

わたしは、今年は年末年始にかけて旅行を予定していたため、今回の同期会への出席はどうしようかと迷っていました。 が、幹事のH.R君からの伝言で、「今年は出席者が少ないので是非出てほしいと言われた」と、今日の会場を提供する同期のI君から12月の半ば頃の仕事で忙しい最中に電話が入りました。 一瞬困ったが、「会に出ます」と鸚鵡返しに返事を言ってしまった。 その後とっても反省していましたが・・・。

ところで、今日会場へ行ってみると何んと35名の参加者がいるとのことです。 多くなった参加者に感謝するとともに勧誘の上手さにも感心しました。

さて、今日の同期会で得た情報の中で大事なものがいくつかあったので記載しておきます。

そのひとつは、カナダの出産後の「育児休暇」の話です。 産後は夫も「育児休暇」を7カ月半も取れるということです。 実際、昨年カナダで出産した同期の娘さんの場合は、今年の2月末まで夫が仕事を休めるそうで、現在夫婦で函館へ里帰り中です。 もちろん、お爺ちゃんの同期のI.S君は孫にメロメロなことは言うまでもありません。

日本の「育児休暇」事情は、とっても寒く、昨年ある県の知事が「育児休暇」を取ろうとしたところ、以外にも様々な反響があって、マスコミで一時大きな話題となった事は記憶に新しいと思います。 

次に、高校一年の時のT.M君の近況を知った事です。 確か1年生の秋ごろだったと思うのですが、彼の家へ遊びに行った事がありました。 田舎育ちの私は、都会の函館に下宿してやっと半年が経った頃だから、見るもの聞くものすべてにびっくりな毎日を過ごしていました。 

ちょうどイギリスからビートルズという4人組のマッシュルームカットでも有名なバンドが来日して武道館で公演を行い、TVでも放送があった年です。 T.M君もビートルズの音楽にはまっていて、「これすごいでしょう」と見せてくれたレコードのジャケットが、横断歩道を歩いているビートルズでした。 LPレコードが4~5枚あったと思うが、とにかく彼が輝いて見えたものでした。 その彼は文系の志望だったため、2年生から別なクラスになってしまい、卒業後も進路が別々になったこともあり、今まで消息が判らなかったのす。

今日たまたま席が近くなった同期のK君から偶然にもT.M君の所在を知ることができました。 何んとK君のところで働いているというではありませんか。 本当にビックリです。 同期って良いですね。

ところで、ビートルズが歩いて有名になった横断歩道は「アビーロード」と言って、イギリスロンドンの地下鉄セントジョンズウッド駅から10分くらいの場所にあり、近くに彼らがレコーディングするスタジオもあり、観光客で賑わっているそうです。 昨年の12月文化遺産に認定され、再び世界中からビートルズファンが訪れる騒ぎが起きているそうです。 

もちろん日本からも大勢の観光客が訪れているので、ひょとしたらT.M君も「アビーロード」を歩いたことがあるのだろうか? 卒業以来会っていないので、再会できたら是非聞いてみたいです。

最後に、K君からの耳寄りな情報として、上磯八幡宮に「円空仏」が一体奉納されていますが、ひょとするとK君の紹介で拝顔できるかも知れません。 やっぱり今年の同期会に参加して良かったんです ネ 

2011年1月3日月曜日

迎春

明けましておめでとうございます
(伊豆 土肥温泉の海岸より)