6/30(火)
「この花、何といったっけ ?」
「都忘れっていうんだよ ね~ !」
先日の在宅往診の時のことです。 往診宅へ『絵手紙』を持参する時があるので、患者さんは期待して待っていることがあるようです。
花の絵を描いていることが多いので、自然と花の名前など聞きあうことが多く、わからない名前は次の時までに、しっかり覚えていようと心がけているんです。 そう、わたしのほうが患者さんから教えてもらっているんです。 絵を描くときも、花の詳細を観察し、その花の特徴を見極めるようにしないと、いいものはできないし、名前を言い当ててくれません。
最近は “ものを観る目が” というか、よく物を観察するようになりました。 進歩です ネ
(花ことばは、しばしの憩い と言います)
2009年6月28日日曜日
2009年6月27日土曜日
臨時総会と町医者
6/27(土)
今日、わたしの所属している渡島医師会の臨時総会が函館のホテルで行われました。 久しぶりに天気の良い土曜日にもかかわらず、会議成立の会員が集まってくれ、決算の承認がなされました。 その後の研修会の講演も、地元函館の総合病院の若手医師によるもので、医療連携という意味では今後大いに期待できる企画だったと思います。
私たちの医師会は、北は長万部町から南は松前町までの広範囲のエリアに亘っていますから、医療活動もその地域ごとの事情による影響がでてくる場合もあり、そうしたことを踏まえた(医師会)活動ということにもなります。 救急医療もそうですし、患者紹介という病院・診療所(病診)連携も大切なことです。
人々が先祖からの土地に住み続けるためには、身体が病んだ時にしっかりと診察・治療してくれる医師がいることが必要です。 『町医者』と言われる先生のことで、最近は家庭医とも総合診療医とも呼ばれています。
はたして、町医者はどんなイメージで見られているのか、町民の意見を聞いてみたいです ネ
今日、わたしの所属している渡島医師会の臨時総会が函館のホテルで行われました。 久しぶりに天気の良い土曜日にもかかわらず、会議成立の会員が集まってくれ、決算の承認がなされました。 その後の研修会の講演も、地元函館の総合病院の若手医師によるもので、医療連携という意味では今後大いに期待できる企画だったと思います。
私たちの医師会は、北は長万部町から南は松前町までの広範囲のエリアに亘っていますから、医療活動もその地域ごとの事情による影響がでてくる場合もあり、そうしたことを踏まえた(医師会)活動ということにもなります。 救急医療もそうですし、患者紹介という病院・診療所(病診)連携も大切なことです。
人々が先祖からの土地に住み続けるためには、身体が病んだ時にしっかりと診察・治療してくれる医師がいることが必要です。 『町医者』と言われる先生のことで、最近は家庭医とも総合診療医とも呼ばれています。
はたして、町医者はどんなイメージで見られているのか、町民の意見を聞いてみたいです ネ
2009年6月26日金曜日
150話
6/26(金)
今年の 4月24日に第100話のブログを載せてから、ちょうど50話目になり、毎月20話のペースで日々の出来事や感想を書き留めていることになります。
このことは、三日坊主のわたしにしては凄いことで、続けることで何かが自分の中で少しずつ変わってきているような気がしています。
先日、『健康だより』5号で、わたしのダイエットの結果を公開しましたが、そのきっかけは、ある町民参加の健康会議の席で、みなさんの前で “体重管理・ダイエット宣言” をしてからのことでした。 自らに何らかのプレッシャーをかけることで継続ができ、目的が叶えられるような気がしたから・・・でした。
その結果、体重・腹囲の減少につながり、患者さんから “せんせい、痩せたんでしょう” と、声をかけられ、だから私の “健康指導” にも説得力と迫力が増すんです。
ただ、家内からはもう体重の増・減はしてほしくないと言われてます。 衣服の調整が困りますから・・・ ト
戦時中のこどもたち(UFO目撃)
6/25(木)
今年二回目の、福島町史研究会(福・町史研)の例会がありました。 会員の小松さんが、『戦時中のこどもたち』と題して発表してくれました。
今年の福・町史研の会報『永』にも、その一部が載っていますが、とにかく辛かったことばかりではなく、心に残るノスタルジアの数々のおもいでも多くあったというお話でした。
わたしは小松さんとは、20年ほど年の差がありますが、映画館の「松福座」などは知っている建物で、そこで素人演劇団がにぎやかに行われていたなどという話にいたく関心を覚えました。 そこでは、時代劇派と新劇派の二派がお互いに競い合っていたなどというから、観る方も演じる方も真剣だったろうし、なまじテレビなどの商業主義的ドラマよりも、もっと民衆の身近な娯楽であったのでしょう。
話の終わりのほうで、小松少年が視たUFOの話題に一同興味津々となりました。 その一か月には、アメリカでUFOの一号目が目撃されていたそうです。 昭和22年(1947)7月のことで、その年は日本国新憲法が施行され、六・三・三制も発足し、福島町では135戸もの家々が消失するという大火事があった戦後の混乱期でした。
小松さんは自分史を執筆しているようで、完成が待ち遠しいかぎりです ネ
(当時、他町でも未確認飛行物体を見た人がいないか どうでしょうか?)
2009年6月24日水曜日
カプセル内視鏡
6/24(水)
今年の米国消化器内視鏡学会はシカゴで開催されましたが、その中で韓国製の小型で長持ちするカプセル内視鏡の発表がありました。
今までは、日本のオリンパスとイスラエルの会社だけだったが、今回の韓国のものは、幅11ミリ、長さ24ミリ、重さ3.4グラムで、バッテリーが11時間持つそうです。 一秒間に三枚静止画像をとれて、今回小腸疾患が疑われた人たちの他施設検査によると、96%以上に小腸観察ができたそうです。 診断できたのは、64%以上といいますが、これからもっと検索して精度をあげていくそうです。
胃・十二指腸、大腸は、内視鏡の進歩で比較的に検査しやすいのですが、小腸だけはなかなか検索できず、炎症性や出血性腸炎の診断は大変難しかったのです。
ところで、カプセル内視鏡って、使い捨てですか? と聞かれました。 勿論です ガ
2009年6月23日火曜日
2009年6月22日月曜日
2009年6月19日金曜日
記念行事
6/19(金)
今日は、福島ライオンズクラブの今年度(H20年度)最後の例会が行われました。 ライオンズクラブの年度は、7月から翌年の6月までの期間ですので、一年間役員のライオンのみなさんご苦労様でした。
各ライオンの奥さま方の協力があっての社会奉仕ですから、日頃の労をねぎらう意味もあって、毎年最後の例会はネス(奥さま)同伴となっています。 さかなやウニなど海産物や肉類の炭火焼がメイン料理の懇親会となり、一年間を振り返っていました。
来年度は当クラブが設立40周年を迎えるため、その記念行事をH22年4月に計画しています。 そして、オガクリを開業してからも、ちょうど20年になります。
ともに記念すべきことなので、オガクリも何か計画を立てようと思っています ヨ
(写真は、院内の二階への階段を上がっていくと、踊り場からはじめに目に入る私の一番好きな絵です)
2009年6月18日木曜日
院内ギャラリー(2)
6/18(木)
いつも力作ぞろいで、感心して観ています。 作者の色使いの変化も、作風の変化も長年経つとみられるものですが、それを感じる事も楽しいものです。
久しぶりに職員を交えての食事会をしました。 ある民宿を会場にしたところ、「マイ箸」のプレゼントがありました。 箸置きにおかれた「箸」は、男性・女性用を揃えていて、ちょとした心づかいがうれしいですね。
絵画の『金曜会』に絵手紙の『なご美会』の他にも、地区町内婦人部や個人の方々など、たくさんの方に支えられています。 院内のあちらこちらや、廊下の一面がそれらの作品でいっぱいになっています。 ある程度経つと、作品が交換されていますから、来院者のみなさんもよく気がついて何かと批評して楽しんでいるようです。 とってもいいことだと思い、壁に名前を付けてあげようかと計画していますが、何がいいでしょうかしら・・・
いつも力作ぞろいで、感心して観ています。 作者の色使いの変化も、作風の変化も長年経つとみられるものですが、それを感じる事も楽しいものです。
『なご美会』は、こどもの作品も提供してくれています。 描かれた事物と色合いの妙味の他に、添えられた“言葉”がその何倍もの喜びを引き出してくれます。 わたしも挑戦してるのでわかりましたが、物を観察する目が厳しくなりました。 日頃の何気ない会話にも注意をするようになりました。 前頭葉の血流にも影響を与えているでしょうか。
今後、“オガクリニュース”で院内の模様をお知らせしようと考えています ヨ
2009年6月17日水曜日
健康だより5号
6/17(水)
健康だより5号が完成しました。
今回の記事は、肥満・体重についての大事なはなしで、自分で経験したダイエットを公開しています。 『SMARTダイエット』という非常に簡単なものです。 ただそれを維持していくことが大切ということで、やせすぎも身体には良くないという事実もわかってきています。
『がん』も、その原因から考えていくと、結局は生活習慣病ではないかということです。 胃がんは、戦後冷蔵庫の普及などで塩蔵物の摂取の機会がどんどん少なくなってきて、塩分摂取の減少が胃がん発症の低下につながっているといいます。 動物性脂肪の多い食事に慣れてきている今の日本人は、欧米型の『がん』が増えてくることが十分予想されます。 気をつけていかなければなりません。
グラフは、わたしオガクリ先生のダイエット記録です。 自分では良くやったなーと感心しているんです ヨ
健康だより5号が完成しました。
今回の記事は、肥満・体重についての大事なはなしで、自分で経験したダイエットを公開しています。 『SMARTダイエット』という非常に簡単なものです。 ただそれを維持していくことが大切ということで、やせすぎも身体には良くないという事実もわかってきています。
『がん』も、その原因から考えていくと、結局は生活習慣病ではないかということです。 胃がんは、戦後冷蔵庫の普及などで塩蔵物の摂取の機会がどんどん少なくなってきて、塩分摂取の減少が胃がん発症の低下につながっているといいます。 動物性脂肪の多い食事に慣れてきている今の日本人は、欧米型の『がん』が増えてくることが十分予想されます。 気をつけていかなければなりません。
グラフは、わたしオガクリ先生のダイエット記録です。 自分では良くやったなーと感心しているんです ヨ
2009年6月15日月曜日
スピリチュアル
6/14(日)
ここ毎週のように週末は天候に恵まれなく、今日のゴルフも雨を覚悟していたが、以外に雨にも降られずラッキーでした。 その後、夕方からある講演を観てきました。
スピリチュアル・タイム~人生の喜怒哀楽~と題する江原啓之さんの講演です。 参加者の8~9割が女性という会で、講演から歌まで感動の三時間でした。
“経験と感動のスタンプ”にオーラをみ、自分の間違いを反省して前向きにすすむポジティブさで、自分自身に向けられた愛を守るプライドを持ち、しっかり人生のルールを知り、手に入れることが運命を自分で作り出していけるのです、と説いてました。
死は必ず訪れるものだから、死にかたとは、どのように生きるかを見つめることだと説きます。 医療とくに終末期の医療において、病院か在宅かという選択にも関わってくる問題解決のヒントを与えてくれたような気がしました 。
ここ毎週のように週末は天候に恵まれなく、今日のゴルフも雨を覚悟していたが、以外に雨にも降られずラッキーでした。 その後、夕方からある講演を観てきました。
スピリチュアル・タイム~人生の喜怒哀楽~と題する江原啓之さんの講演です。 参加者の8~9割が女性という会で、講演から歌まで感動の三時間でした。
“経験と感動のスタンプ”にオーラをみ、自分の間違いを反省して前向きにすすむポジティブさで、自分自身に向けられた愛を守るプライドを持ち、しっかり人生のルールを知り、手に入れることが運命を自分で作り出していけるのです、と説いてました。
死は必ず訪れるものだから、死にかたとは、どのように生きるかを見つめることだと説きます。 医療とくに終末期の医療において、病院か在宅かという選択にも関わってくる問題解決のヒントを与えてくれたような気がしました 。
レーカーズ
6/15(月)
この時期、おおくのスポーツに関心が集まりますが、中でもNBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)の 08~09年シーズン王座決定戦は圧巻でした。
ロサンゼルス市のレーカーズとフロリダ州のオーランド市のマジックという二つのチームの頂上決戦で、四勝一敗の結果でレーカーズが7季ぶり15度目の優勝を飾りました。 コービー・ブライアントというエースが大活躍し、最優秀選手にもえらばれ、自己4度目の優勝に花を添えました。 彼の父は現在日本のプロ・バスケットボールリーグの中のチームの監督をしており、彼のコービーの名前の由来も、神戸牛の“こうべ”だそうです。
25年前ロサンゼルスに住んでいた頃のTV番組のお気に入りもスポーツ観戦で、野球、フットボールやバスケット放送でした。 当時もレーカーズは最強のメンバー(マジックジョンソン、ジャバーら)を揃えて、ボストンのセルテックスと頂上決戦をしていました。 地元開催で着る黄色のユニフォームが鮮やかで、とても気に入ってました。
ロスのデズニーランドへは何度も行きましたが、フロリダにあるデズニーワールドには行けませんでした。 今思うと残念なことをしました ネ
2009年6月13日土曜日
ライラックと赤毛のアン
6/13(土)
水無月の札幌は、祭りで大賑わいとなる。 『ヨサコイソーランまつり』に北海道神宮の例大祭にと、とにかく街は活気づくのです。 その街にふさわしいのは、ライラックの木々の花々です。 薄紫や白い花の香りも嬉しいものです。
東海大学の乾淑子教授が、道新の「魚眼図」にライラックという文章を書いています。 先生は、『赤毛のアン』の本の中でライラックの花に出会ったそうです。
『赤毛のアン』の原題は、『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』と言い、直訳では「緑の切り妻屋根のアン」となります。 この本の訳者 村岡花子さんは、太平洋戦争前にカナダ人の女性宣教師から原書を託され、密かに訳して、昭和27年に出版にこぎつけました。 始めは「窓辺に倚(よ)る少女」と題名を決めたが、編集者が『赤毛のアン』という案をだしたそうです。 村岡さんは、気にいらず家族の前で、その話をしたところ、娘さんが『赤毛のアン』の題名に大賛成をし、一歩も譲らなかったため、やむなく花子さんはそれに従ったというわけです。 娘の恵理さんの若い感覚が、大ベストセラーを生んだわけです。
わたしが米国ロス(UCLA)から帰国して臨床研修した芦別市の市立病院は、空知川の岸辺に建っていて、院長はじめみなさんが温かく迎えてくれました。 五年間在住の間に、芦別市に「カナディアンワールド」なる構想が持ち上がり、街はおおいに賑わいました。
が、結末はご存じのとうりに終わり、『赤毛のアン』の家をたずねる人も今は・・・。 寂しいですが、現実です。 当時、もっともっと『アン』のことを知っていたら・・・と悔やんでいます ガ
2009年6月11日木曜日
2009年6月10日水曜日
時の継承
6/10(水)
「日本書紀」の天智天皇10年4月25日(新暦6月10日)の項に、「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあることから、今日の日は『時の記念日』と大正9年に制定されました。
ところで、井沢元彦の『歴史不思議物語』によれば、『日本書紀』の編集担当責任者は、天武天皇(大海人皇子)の実の息子である舎人親王であるから、その記載は『壬申の乱』に勝った者(大海人皇子)の都合のいいように事実が歪曲されて書かれていると解説しています。
天智天皇は、はじめ次の皇位を大海人皇子に継がせようと考えていましたが、大友皇子という実の息子が生まれたため、気が変わり息子の大友皇子に皇位を継承させようとしました。 ですから、 天智天皇亡き後に当然起こった皇位継承問題が『壬申の乱』だったわけです。 弘文天皇として即位していたはずの大友皇子を“皇子”のままで争ったことにしなければ、後に天皇となる大海人皇子は“天皇”に弓を引いた逆賊とみなされるわけで、その点を『日本書紀』ではうまく記述・編集しているということです。
何十年も経ってから、現政権(勝者)の息のかかった編者に 歴史 を書かせるから、事実が歪曲されることも十分ありうることなのでしょう。 古文書が一級品か否か問われるのです。
時は正確に刻まれるが、事実は必ずしも正確には伝えられない ということでしょう ネ
「日本書紀」の天智天皇10年4月25日(新暦6月10日)の項に、「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあることから、今日の日は『時の記念日』と大正9年に制定されました。
ところで、井沢元彦の『歴史不思議物語』によれば、『日本書紀』の編集担当責任者は、天武天皇(大海人皇子)の実の息子である舎人親王であるから、その記載は『壬申の乱』に勝った者(大海人皇子)の都合のいいように事実が歪曲されて書かれていると解説しています。
天智天皇は、はじめ次の皇位を大海人皇子に継がせようと考えていましたが、大友皇子という実の息子が生まれたため、気が変わり息子の大友皇子に皇位を継承させようとしました。 ですから、 天智天皇亡き後に当然起こった皇位継承問題が『壬申の乱』だったわけです。 弘文天皇として即位していたはずの大友皇子を“皇子”のままで争ったことにしなければ、後に天皇となる大海人皇子は“天皇”に弓を引いた逆賊とみなされるわけで、その点を『日本書紀』ではうまく記述・編集しているということです。
何十年も経ってから、現政権(勝者)の息のかかった編者に 歴史 を書かせるから、事実が歪曲されることも十分ありうることなのでしょう。 古文書が一級品か否か問われるのです。
時は正確に刻まれるが、事実は必ずしも正確には伝えられない ということでしょう ネ
2009年6月8日月曜日
応援団
2009年6月5日金曜日
介護審査会
6/5(金)
今年の4月から介護認定制度の介護度の判定基準の見直しが行われました。 新しい基準では、今までの介護度から軽度に変更になる例が多いような印象です。 調査員の平準化を図れるように、調査項目の変更がなされたため、実際の手間がどれくらいかかっているかを重視してみることになりました。
その介護認定審査会が、きのう行われました。 委員になって5年が経ちます。 いつもは、テレビ会議方式で行うため、福島と松前の両会場に各地区の委員が集まって審査・討議します。 年2回は、どちらかの会場に集まって顔を見合わせての会議となります。 昨日がその「顔見せ」会議でした。
新人の委員もいるので、何かと細かいところや、ちょっとした質問でも話しやすかったようで、そのぶんいつもよりも長く時間がかかりました。
日中仕事を終えての審査会ですので、キツイ時もありますが、国の介護制度を維持・安定化していくために各委員さんは頑張っているのです ヨ
2009年6月4日木曜日
2009年6月3日水曜日
新型インフルエンザ
6/3(水)
そろそろ国内初の新型インフルエンザ感染について、何か書かなければならないでしょう。
5月9日、成田空港でカナダから帰国した大阪の高校生が初めての感染者と確認され、その後、海外渡航歴のない神戸の高校生も新型インフルに感染していることが確認されました。 その対策方針をめぐっては、厚労省と現地の県・市側の対応に差異がみられ、医療界にも課題を残しました。
当初、メキシコで集団発生した豚インフルエンザ(H1N1)は、高感染性のインフルとみられ、WHOでも警戒水準を「4」まで引き上げたため、各国もそれにならって過剰な(?)対応を強いることになりました。 日本では水際対策を取り、“新型”と名づけられたインフルの国内侵入(入国)を阻止しようとしました。 今のところ、世界で一万数千人の感染者で、100人以上の死者がでていますが、高感染性とは言えないようです。
文芸評論家の斎藤美奈子さんは、今回の “新型インフルの騒動は危機あおる社会の危うさ” と題する新聞投稿をしています。 三大感染症の結核は、毎年世界で900万人以上が新たに発症し、毎年160万人以上の人が死亡しているのです。 日本でも毎年2万5千人以上の発症、2千人以上の死亡者がいます(厚労省HP)。 単純計算しても、毎日5人以上が結核で死亡している勘定になると述べています。 日本はまだ結核の「中」のまん延国だということで、新型インフルよりは、こわい感染症だと述べています。
さて、新型インフルエンザ・A/H1N1は今年の秋以降の流行が心配されるところですが、国立遺伝学研究所の五條堀孝教授が遺伝子データの分析からまとめたところによると、今回のウイルスは北米の豚のウイルスから13年前の1996年に分枝し、すでに存在していた可能性があり、満を持して人に感染したと考えられるということです。
本当に、ウイルスってしつっこくて、怖い生物です ネ !
(写真は 白神岬で見た天使のはしご)
2009年6月2日火曜日
会報「永」ー09
6/2(火)
福島町史研究会の会報『永 はるか』第8号が完成しました。 会員の原稿がほぼ予定どうり集まってくれましたので、例年のごとく編集・校正・印刷コピー・製本とみんなで分担して行いました。
顧問の永田先生はじめ、十名の会員が各々興味ある事柄を調査研究してまとめあげたものです。 永田先生は、『夷酋列像』を描いて有名な蠣崎波響の母 長倉勘子(さだこ)の生家のことを書いています。
資広亡きあと、二十九歳の勘子は松前文子となり悠々自適の生活を送っていたが、その後ちょうど松前に滞在していた菅江真澄( 名著『えみしのさへき』の作者 )と共に和歌の会を松前で開催したことなど詳しく載せています。
また、その長倉家の家系には新撰組の二番隊長を務め、人斬り名人とも言われ、北海道にも縁があって有名な長倉新八もいるというような歴史のつながりのおもしろさも解説してくれています。
その他の会員の文章も一読してみてください。 目次を載せてみますので・・・。
御希望の方には、郵送いたします ヨ
2009年6月1日月曜日
水無月
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