2009年4月14日火曜日

引用文献

4/14(火)

 糖尿病の歴史のなかで、最も重大な出来事はインスリンの発見です。 その発見者はパンティングベストというトロントの研究チームで、1921年11月14日に「生理学ジャーナルクラブ」に実験成果の第1報を、次いで同年12月29日にアメリカのニューヘブンでのアメリカ生理学会で第2報を報告しています。 

 ところが、ルーマニアのパウレスコ(1869~1931)の「血糖降下作用のある活性物質の抽出に関する実験成果」は、ベストらより約3カ月早い8月31日に、雑誌『Archives intemationales de Physiologies』にすでに掲載されていました。  またパリの生化学協会にも短報を4つ提出していたそうです。  いずれもフランス語での論文でした。 さらに不幸なことに、先駆者のフランス語の論文を、ベストが “パウレスコの実験は効果がなかった” と誤訳して自分たちの論文に引用してしまったため、インスリン発見という檜舞台からパウレスコの名前が葬りさられてしまったと言われています。

 世界の大学・研究機関の所属研究者が1998~2008年の十一年間に学術論文が引用された回数ランキングで、北大は国内9位(世界144位)だそうです。 国内のベスト3は、東大、京大、大阪大でした。  東大は世界でも、4102機関のなかで11位です。

 最近の医学論文は英語で書かれることが必須の条件で、英文論文を「ペーパー」と言い、日本語論文は「紙」だと、恩師の菊地教授は繰り返し力説していました。  パウレスコも仏語ではなく、英語論文であったなら・・・と思わずにはいられません ネ  

 (切手には、パウレスコの肖像とインスリンの前駆体のプロインスリンの構造が描かれていて、その下に「1921年パウレスコがインスリン発見」と書かれている)
 【文献; 糖尿病と代謝 vol.37 No.1 堀田 曉 】