2012年1月6日金曜日

君子豹変す

「なご美会」熊谷正春
野田首相が民主党のある会合で「社会保障と税の一体改革」について話した発言の一部です。 「攻めにいかねばならない。君子豹変すという立場で臨む決意だ」と語ったと、神奈川新聞の1月6日付けの「照明灯」というコラムに載っています。 

慣用句の意味を取り違えると、間違った当人も相手も共に嫌な思いをするものです。 まして、本来(初出典)の意味と違った受け止め方をされるようになった慣用句を、次期国会の焦点のひとつでもある”一体改革”の挨拶の中で用いたということは、どう解釈すればいいのでしょうか? 

マニュフェストの中に記載のないこと、次期解散総選挙まで消費税率をアップしないと明言したことを破るような違反をやろうとしているわけだから、それなりの覚悟を伝えるためにひょっとして”良い意味”での使い方で解釈してもらおうと思って発言したのでしょうか? 「面目一新、無節操な変身だけは願い下げだ!」と件の記事は結んでいる。


「君子豹変、小人革面」(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ){『易経』革・上六}


現在のところ、「君子豹変す」はプラス的なイメージ(良い意味)かマイナス的なイメージ(悪い意味)かの二者択一で選べよと言われれば、大半の人はマイナス的意味で捉えていると思います。 『広辞苑』では、豹の毛が抜け変わり斑文が鮮やかになることから、君子が過ちを改めると面目を一新することとあるが、言動を明らかに一変させることから、今は悪い方に変わるのをいうことが多いと記されている。 『岩波国語辞典』でも、もとは良い方への変化を言ったが、今は前言を平気でがらりとかえるなど、悪い方を言うことが多いとまで書いている。  

実際、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは突然本性を現わして恐ろしい人物に一変するという否定的な意味で使われることの方が多いと思います。

しかし、本来の意味(初出典)は、徳のある君子はすばやくはっきりと誤りを正すが、徳のない人は外面だけを改めるということで、過ちを改めることを評価する肯定的な意味の使われ方だったそうです。『新和英大辞典』第5版には ”A wise man changes his mind,a fool never.” という英訳が示されています。 英訳でのイメージはとっても”良い意味”に感じられますが・・・。 別の格言「過ちては改まるに憚ること勿れ」(『論語』)と相通じるものがあります。

時代とともに言葉の使われ方、意味の変化が起こっているという事実を、時の為政者であればこそ、言葉が命の世界で活躍していることを十分認識し、慎重に使って欲しいものだと思います ネ