2010年8月10日火曜日

岐阜からの手紙

今日、こんなにも早く思いがけない手紙が届くなんて、驚いています。 

今年5月の下旬に、青森県津軽半島の松前街道沿いに点在して安置されている「円空仏」を訪ねました。  三厩村の義経寺を訪ねた時、その境内にある土産物店の店主 牧野勉さんと知り合いになり、5月24日のブログに「歴史探訪ー2」として書きました。

その後、今年の町史研の会報「永」が出来上がったので一部送り、円空さんと河島英五の関係についての質問をしたところ、牧野さんから 「円空さんのことを調べているなら、2年前に岐阜から、ここ龍馬山の義経寺龍馬店に訪ねてきた 樋口正さんという人がいます。 そうとう円空さんにくわしいようでした。 連絡すればきっと色々教えてくれますよ」 という会報のお礼を兼ねてのお話しをいただきました。

そうは言うものの、すぐ手紙を出していいものかどうか永らく悩みました。 樋口さんは、岐阜県羽島市の教育委員会の職員という情報は得ているものの、何となく月日が過ぎてしまいました。 

今月の初めになって、やっと決心をして会報「永」の8号に書いた拙文を少し手直しをして同封しながら、河島英五とのことを質問しました。

その返事の手紙が、冒頭の思いがけない手紙のことなんです。  本当に、すぐ返事を下さったという感じの直筆のこころ温まるものです。  樋口さんでも、河島さんのことは初めてらしく、次に円空研究の第一人者と言われる名古屋市在住の 小島悌次さんを紹介しますと書いてあります。 

何と言うことでしょう! 小島悌次さんは全国組織の「円空学会」の常任理事の肩書を持っている方です。  その見ず知らずの方に、手紙を差し出すなんて・・・。  また、幾日の月日を数えることになるのでしょう カ

(写真は、樋口さんから同封されたH22年3月16日付け中日スポーツの「円空仏」の記事)