2011年8月30日火曜日

救命胴衣と父の想いで

この度の「川下り」の事故は、とっても悲しい結末となってしまいました。 救命胴衣さへ着けていれば・・・という思いは、家族はもちろん関係者みなさんが思ったことだろう。


普段していることを、その通りに守ることの難しさは、慣れていればいるほど、簡単だ・安心だと思った瞬間から不測の事態が発生していると言ってもいいのかも知れません。  ルーチンワークをきちっと守ったことで一命を取り留めた事例を、わたしは“父”から、たった一度だけ聞いたことがあった。 遠い遠い昔の自らの出来事として・・・


それは敗戦が濃厚となった昭和20年の春まだ遅い襟裳岬沖での出来事だった。 北方に配備されていた兵士を本土の南方面へ移動させるために多くの兵隊さんを載せた輸送船が襟裳沖を航行中にアメリカの潜水艦に撃沈されてしまったのだ。 


戦争がだんだん厳しくなってくると物資や人手が足りなくなり、何かしらできる人なら誰でも戦争に駆り出された時期があったらしい。 父はそれまで、戦争が始まってからも、しばらくの間は地元福島で漁船の機関士をしていた。 が、ある日、乗っていた漁船ごと軍に召集されてしまった。 何隊に所属したのか聞かなかったが、輸送船として道内の近海を行き来していたそうだが、まもなく日本近海へもアメリカの潜水艦が頻繁に出没するようになってきた。


そして問題の事件の起きた襟裳岬を航行する日となった。 夜まだ暗い時間帯で、潜水艦の攻撃も予想されるので「救命胴衣着用」の指示が船内放送で流れたそうです。 釧路方面から航行している輸送船は、暗がりの中でも襟裳岬の山影は確認できたらしい。 もうすぐ海岸線が真近の処を走っているので、おおかたの乗船員は安心しきっていたらしく、着用しない兵士の方が多かった。 


父は元来、石橋を叩いて渡るほど慎重な性格の持ち主だったようで、着用の命令は守らねばならないと頑固に考えて、わざわざ救命胴衣のある船底まで降りていって着用した。 その時、本当は周りの戦友たちにからかわれたらしい。


突然、ゴゴッゴーという衝撃音と共に船が揺れ、傾きかけたのがアッという間の出来事だったらしい。 気がつけば、海の中にいる自分に驚いた。 春が近いと言っても、海水温は氷点下だった。 運よく四角い座れるほどの板も手に入れたので、その上に正座をし、波の揺れに身をまかすことができた。 気が遠くなるほど正座をしていたような気がして、両足とも海水に晒されてすっかり体温を低下させてしまっていた。 自分ひとりではどうすることもできない状況だった。


そのうちに辺りが明るくなり始めて、気温も少しは高くなり、周りの光景を見ることができるようになって、はじめて悲惨な事態に陥っていたことを理解できたそうだ。 「助かった」と実感したのは、それからもっともっと後になってからだった。 もちろん仲のよかった何人もの戦友たちは海の中に沈んでいってしまっていたが・・・。  冬が来ると、足が冷たくてと話していた父の記憶があります。 


その後、吉村昭の作品に興味を持って、読み始めた頃があった。 日本初の種痘を行った中川五郎冶を書いた「北点の星」をはじめ、医学関係の小説が多数あるので手当たり次第に読んだ記憶がある。 その中に、何気なしに「海の柩」という小説を読んだ時、ピンときた。 これだ!と。 この事件が、父が話してくれた船の沈没事件だと思った。 そのなかから少し抜粋してみると・・・


「太平洋戦争末期、北海道の漁村に、ある日たくさんの日本兵の水死体が流れ着いた。 
数は500体近く。どうやら兵士を満載した輸送船がアメリカの潜水艦に攻撃され、沖合い 
で沈没したらしい。死体の中に将校のものは無かった。将校たちは救命艇で脱出できたらしい。 

死体を収容していた漁師たちは、奇妙なことに気づいた。腕のない死体がかなり混じっているのだ。手首の欠けているものもあれば、上膊部から失われているものもある。海水に洗われて血はにじみ出ていなかったが、鋭利なもので断ち切られたように断面は平らだった。 

中には片腕がない上に、顔面に深々と裂傷の刻まれているものもある。船から海中に飛びこんだ 
折に出来た傷かとも思えたが、死体の半ば以上が腕を切り落とされていることは異様だった。 」



この話は、「大成丸事件」といって、道内の厚賀町で実際に起きた事件で、吉村昭は丹念に取材をして重厚な小作品に仕上げました。 船は陸軍の輸送船で、部隊は「轟」と言ったそうです。 終戦末期に起きた悲惨な出来ごとでした。 


当初、かん口令が引かれ、みんな口を閉ざしたまんまだった。 悲劇を後世に伝えることも大切なことで、その時救出出来ずに溺れて亡くなった方達は数日後、海岸に打ち上げられ、手足が無い遺体が多数あり、隠しきれなくなってしまったようです。 


わたし達の身を守るべき安全グッツが時として煩わしく感じることがあり、それをしなかったために後で大きなペナルティーを支払わされることになることがありますが、父の場合や今回の川下りの場合など本当に辛い結末でした ネ