今日の雨は、最近本州方面で多くみられるようになり、局所的に突然大量な降りかたになるため被害も甚大となることがある「ゲリラ豪雨」によく似ていた。 毎週水曜日は午後から往診する日なので、わたしも今日その被害に遭ってしまった。
午前中は、晴れていたため、午後2時「オガクリ」を出発する時は、ついうっかりして傘を車に用意することを忘れていました。 最初の2軒目までは何の雨模様でもなかったものが、その後急に空が曇り始めたと思ったら、アッというまに“ザーザー”と激しい勢いで降りだしてしまった。
傘の用意をしていなかった不注意のため、3軒目の公営住宅の2階から出るに出れない状況になってしまっていた。 「老夫婦の往診先から傘を借りることはできるだろうか?」と思案しながら階段を降りてくると、1階の部屋の住人も当クリニックの患者さんでした。 一人住まいのご婦人でしたから、ひょっとして貸し出せる余裕のある傘があるだろうと思い、話してみると何本か見せてくれた中から最も大きな傘を「どうぞ~」と貸してくれました。
移動する地域によって雨の降り方が違うので、どしゃぶりのところではその傘を使えたので、大助かりでした。 本当に有難うございました。
ただ、「雨傘」と言えば、わたしにはとても胸が痛むつらい想い出があります。 小学6年の夏の頃だったと記憶している・・・。
当時、とっても仲の良い同級生(N.S君)がいました。 彼はクラス、いや学年でもトップクラスの成績で、スポーツもできる文武両道で、みんなの憧れの生徒でもありました。
のんびりしている田舎の子供でも“学ぶ”ことの大切さを、すこしは判っていたから、なんとか彼に勉強を教えてもらおうと、わたしは彼の家へ何度か行ったことがありました。
彼は、優しい心の持ち主で、一緒に勉強することに賛成してくれました。 彼の親も子供の勉学の環境を考えて、彼専用の勉強部屋を増改築するほど教育熱心でした。 田舎では、勉強部屋の個室を造って貰うなんて、ごく限られた大家しか聞いたことがなく、大変珍しいことでした。 中二階への階段を登っていくと、彼の個室です。 とても羨ましいやらで、彼がとっても輝いて見えたものです。
朝早く起きて勉強しようと約束もしたが、甘かった僕は寝坊ばかりで、いつも彼が呼びに迎えに来てくれました。 本当に心優しい、良く勉強のできる優等生でした。 貧しい僕にも、とっても良くしてくれました。 感謝しても感謝仕切れません。
そんなある日の午後、学校帰りに突然雨が降ってきました。 彼のおばあちゃんが、「これをさして帰りなさい」と言って、一本の雨傘を貸してくれました。 大きな大きな傘だと、その時は思いました。 雨は、やはりゲリラ豪雨みたいに、まもなくやんでしまいました。 そうなると、その大きな傘は、子供にとっては邪魔になるだけです。 棒を振り回すように振っていると、取っ手のほうを、何かにぶつけてしまいました。 取っ手は簡単に“ポキン”と折れてしまいました。 それをつなげようとしても後の祭りです。
笑顔のやさしいおばあさんに会わす顔がなくなり、そのうちに少しずつ彼の所にも勉強しに行きづらくなってしまいました。 何とかその穴埋めをしよう、就職して給料を得たら真っ先に傘を買っておばあさんのところに行こう・・・などと思っていたが、その望いも叶わぬまま、おがあさんは亡くなってしまいました。
後悔する気持ちだけで、言葉・行動に表せなかったまま日々が過ぎてゆき、その後とっても仲のよい彼とも交流が無くなってしまいました。 というのも、彼の家族は、彼が中学へ進学するのを機に、将来の勉学のために函館へ転居してしまいました。 当時の函館は、福島から見れば、勉学の環境が整った大都会でしたから・・・。
今なら彼にその時の「事件」を語り、それに対する対応の拙さを素直に詫び、疎遠になった事を謝ることができると思うし、そうしなければならないと思います。
小学6年の頃のとても「辛い想い出」でした ネ