「なご美会」池田龍夫 |
気温30度を越す暑さの中、湿度も70%以上だというわけで、走っている選手の顔はみんな汗だくだくで、足がつっているプレーヤーも何人か見られた。 今の雪の多い北海道からは想像もつかない気候です。 サイドバックの酒井選手、トップ下のMF(ミッドフィルダー)原口元気選手など動きがすばらしく、ピッチが悪コンディションにもかかわらず良く走って得点してくれました。 ホッ!
マレーシアと言えば、子どもの頃、もう50年も前の話になるが「快傑ハリマオ」というTV番組が放映されていたことを想い出しました。 サッカー中継のアナウンサーが、いまのマレーシアに「ハリマオ」という名前のサッカークラブがあり、若者はそこで練習しているというような解説をしていたから、「アッ」と言う言葉になりました。
当時は、所謂「ALWAYS三丁目の夕日」の頃ですから、テレビはどこの家にもあるもんじゃなく、お金持ちの家(商店など)にしかなかった時代です。 たしか夕方6時とか7時とかいう時間帯に放映されていたから、テレビのある家に「テレビをみせて下さい」と言ってお願いするしか術がなかったんです。 もちろんそこの家の子どもと友達になれば、優先的に観れる保証がついたも同然だったから、子ども心にも主と従のような関係を納得して友達付き合いをしていたと、はっきり想い出します。
そんな関係が3~4年ぐらい続いた頃でしょうか。 子どもが卑屈になりかかっていたことを、たぶん親は知ってか知らずか、親父の乗り込んだ船がホッケ網漁で大漁した次の日に、やっとわが家にもテレビがやってきました。 今思うと変なことですが、テレビ画面を保護するためか舞台の緞帳まがいの布を前面にたらして丁重に超高級電化製品とみなして扱っていたものです。
その後、TV番組の「名犬ラッシー」や「バービーちゃん」などのUSA物に感化されたテレビお宅となり、アメリカに憧ればかり抱き続けるこどもに育っていったようです。
そう言えば、TV「快傑ハリマオ」の主題歌を歌っているのは誰だか当時はわからなかったが、上磯町出身の偉大な歌手三橋美智也だと知ったのは、ずっと大きくなってからのことでした ヨ