2012年2月5日日曜日

生きる

「なご美会」池田龍夫
道新(1月31日)の「生きる」というコーナーに芦別市の吉村外茂二先生の記事が載っていました。

先生は芦別市内で内科系の吉村医院を開業されていたので、わたしが芦別市の病院に勤務していた頃、医師会の活動などで何度もお目にかかり、何くれとなくいろいろな事を教えて頂きました。 

大正14年生まれですから、もう86歳になられます。 背はわりと高く、ふくよかな顔だちにドッシリとした体形で、ちょっと腰を前かがみにして歩かれる姿が想い出されます。 当時は今のわたしと同じくらいの年齢だったと思うので、懐かしさと共にちょっと感慨深いものがあります。 

先生とは今でも年賀状の交換をしています。 毎年近況などビッシリと書き込んだものを頂きますから、今年はどんなことが書いてあるかといつも期待しながら楽しく読ませていただいてましたが、その理由がこの度の新聞記事で判ったような気がします。

大学時代から演劇活動をしていたせいからか、会議などでも声は大きく話上手なので一目おかれていたと思います。 文筆活動は、還暦を過ぎてから医療関係の文芸誌『医科芸術』に投稿をはじめられたということなので、わたしが芦別を離れる前後あたりだと思います。

その後、演出家の長岡輝子さんが翻訳されたアメリカのT・ワイルダーの戯曲「わが町」に刺激されて、先生は戯曲「わが町ー蘆別」を書かれたそうです。 その作品をきっかけに93年に長岡さんと初めてお会いし、以後8作品を執筆したそうですから大したものです。

現在も現役で本業とともに同人誌や新聞にペンを振るっていると言いますから、ますます尊敬してしまいます。 芦別の1世紀を何かの形で書き留めておきたいと言う意欲に脱帽です ネ