2009年1月24日土曜日

モース



1/18(日)

 久しぶりに函館市中央図書館に出かけた。 モースの企画展示が、1F ロビーで行われていた。

 モース博士は、1877年(明治10)の6月17日に初めて横浜に着き、6月19日東京へ向かう途中の汽車の中から大森貝塚を発見したことで有名です。 何という奇跡でしょうか。 6月18日は、彼の38回目の誕生日だった。 発掘は、同年9月16日からおこなわれた。
 彼は、その後北海道にも調査に訪れているが、通訳を兼ねた助手として館(松前)藩出身の種田織三(たねだおりぞう)という人が同行していた。 彼は、モースの協力者として不可欠な存在であったとも言われている。

 種田は、諸藩から推挙された『貢進生(こうしんせい)』の一人として、明治3年に大学南校に入り、同9年に東京開成学校予科をでてから、英語が堪能だったため、モースの助手になった。 『貢進生』という制度は、十五万石以上の大藩は3人、中藩は2名などと、石高に応じて各府藩県から一定数の有能な人材を藩費で大学に差し出させるというものでした。 各藩は、将来を背負う若者を育て上げようと、有能な人材の派遣につとめたわけで、おそらく館藩からは種田ひとりだったろうと思われる。 
 
 種田は、モースが日本を去ったあとは、師範学校や中学校の教師や校長として明治期の英語教育にその名を残しています。 明治初期の郷土の秀才のひとりでしょう ネ 
 (写真は、企画展示のパネルのものです)