2010年9月28日火曜日

円空さんの話

福島「なご美会」熊谷正春
今月の「福島町史研究会」の月例講座発表者として、27日の月曜日に町福祉センターにおいて、「円空仏を訪ねて」と題した話をしました。

今までにも何度か、機会あるごとに町史研の会報の「永」に円空さんのことを発表してきました。 当町には、道内に約41体と言われる円空仏の一体が、町の有形文化財として保存されています。 先頃、一般公開され、函館などからもたくさん拝顔するためにセンターへ来場したそうです。 

円空仏は一般に、「ほほ笑み像」ということで人気があり、確かに心落ち着かせる表情をしている像もありますが、荒々しい顔面の表情をしているものもある。 

円空さんは、1632年(寛永9)生まれの江戸時代初期の頃のお坊さんで、仏像を彫りながら日本各地を行脚して歩きました。 彼の約30年間の造作期間中、すなわち白山信仰(はくさんしんこう)において、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の教えを巡錫(じゅんしゃく)していたと言われる東北・蝦夷地での初期の円空仏と、その後の生まれ故郷岐阜県の各地を行脚して作像していた頃の像とでは、円空さんが僧として成長するにつれ、、少なからず大きな変貌をとげているのがわかります。

像の納衣の刻線を丁寧に一本一本刻んでいる初期の頃と、大胆に省略した荒削りだが、像としては見る者の心をつかんで離さない完成された中・晩期のものがあります。 彼のなかには、白山信仰の祖、泰澄(たいちょう)から行基(ぎょうき)・空海という一連の教えの流れのなかで、いずれも作像しながら布教していったということから、仏像を彫るという行為自体にも大きな意味があるのです。

「神が宿っている木の中から、仏を彫り出す」という行為そのこともひとつの教えで、円空さんは生涯12万体の作像をしたと言われています。  なんと素晴らしく、また魅力的であり神秘的なんでしょう カ