2010年2月25日木曜日

短歌って (福島発)

2/25(木)
 今日の「道新」夕刊の文化面に、柳沢美晴さんの『短歌と私』という投稿文が載っています。 

 柳沢さんは、福島町内の中学校の養護教諭をしているので、何度かお会いして話もしたことがあります。 


 本業の仕事以外で驚かされたことがありました。  それは、以前先生が’08年の「第19回 歌壇賞」を受賞したと新聞報道されたことがあったからです。 「賞」の重みは、門外漢のわたしにはまったく判断できなかったが、19回も続いているものだから、さぞ喜びもひとしおなのだろうと、その時は漠然と考えていました。 


『硝子のモビール』と題した30首の一連の歌で受賞したと、今夜の道新で判明しました。

  「先端の欠けてしまったピペットの春のひかりを束ねて捨てる」   が、巻頭歌だそうで、

  「心臓が硝子の箱におさまっている感覚が消えない ずっと」

  「ゆく夏のsads   sadと鳴く浜を歩む水中眼鏡を提げて」   の3首を道新で紹介している。

いろいろな経緯があったが、誰のせいでもなく、住んでいる北海道のせいでもなく、「自分の成長を妨げていたのは心の弱さであった」と、先生は述懐している。 「どこにいても歌を詠むことはできる、短歌史につながれる」と、今では自信をもっていると感じられる文章が綴られています。


 文化の中心地(地理的にも)にいなければ、都会にいなければ流行・進歩に遅れてしまうという理屈は、科学にしろ、文化にしろ、どの分野においても永遠の課題でしょう。  

 「弱さ克服 北海道で詠む」が、先生の副題です。 

 千年の歴史に連なる「歌」を詠む“愉しみ”を会得した先生に、ちょっと嫉妬します ネ