今日の「道新」夕刊の文化面に、柳沢美晴さんの『短歌と私』という投稿文が載っています。
柳沢さんは、福島町内の中学校の養護教諭をしているので、何度かお会いして話もしたことがあります。
本業の仕事以外で驚かされたことがありました。 それは、以前先生が’08年の「第19回 歌壇賞」を受賞したと新聞報道されたことがあったからです。 「賞」の重みは、門外漢のわたしにはまったく判断できなかったが、19回も続いているものだから、さぞ喜びもひとしおなのだろうと、その時は漠然と考えていました。
『硝子のモビール』と題した30首の一連の歌で受賞したと、今夜の道新で判明しました。
「先端の欠けてしまったピペットの春のひかりを束ねて捨てる」 が、巻頭歌だそうで、
「心臓が硝子の箱におさまっている感覚が消えない ずっと」
「ゆく夏のsads sadと鳴く浜を歩む水中眼鏡を提げて」 の3首を道新で紹介している。
いろいろな経緯があったが、誰のせいでもなく、住んでいる北海道のせいでもなく、「自分の成長を妨げていたのは心の弱さであった」と、先生は述懐している。 「どこにいても歌を詠むことはできる、短歌史につながれる」と、今では自信をもっていると感じられる文章が綴られています。
文化の中心地(地理的にも)にいなければ、都会にいなければ流行・進歩に遅れてしまうという理屈は、科学にしろ、文化にしろ、どの分野においても永遠の課題でしょう。
「弱さ克服 北海道で詠む」が、先生の副題です。
千年の歴史に連なる「歌」を詠む“愉しみ”を会得した先生に、ちょっと嫉妬します ネ