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2013年5月25日土曜日

小さな小学校の大運動会

第10回吉岡小学校・町民合同大運動会のプログラム
地方は人口の減少に喘いでいる。 
わが町も例外ではないと言うか、それどころではない。 推計ではあるが後20数年も経てば、今の人口が半分になってしまう。 二千人台である。

であるから、オガクリのある吉岡地区の小学校も生徒数が激減してしまい、来月2日(日曜日)に予定されている今年の運動会も、「第10回吉岡小学校・町民合同大運動会」という名称になって開催されます。 生徒だけの運動会ではなくなって10年目という節目を迎えるわけです。

プログラムを見ると、懐かしい名前の競技が目白押しである。 借り物名人・パン食い競争・玉入れ・綱引き・樽転がし・・・などなどです。 なかでも、紅白リレーは応援に熱が入る種目で、自分が足が遅かっただけに今でも余計に意識してしまうひとつです。 一度でもいいから選手に選ばれたいと思ったものだが・・・それも遠い昔の想い出である。

親と子供たち、町内会のみんなが参加する一大イベントの運動会当日が好天に恵まれますようにと祈っています ヨ

2013年5月24日金曜日

田植え

今年は天候に恵まれず、寒い日が続いているため、ここ道南では畑仕事も例年になく遅くなっています。 芋まきなどもやっと済ませたという農家も多いんですが、水田となるとまた別です。

福島町では黒米という品種のコメを作っていて、結構人気があります。 小学校生徒の田植えイベントなど行って、秋の収穫時期にはニュースにもなっています。 

ところが、今日「オガクリ」に受信した患者さんが言うには、松前町では水田でコメを作っている農家は”一軒”のみだというのでビックリしました。 「ふっくりんこ」という品種を植えていて、やはり幼稚園や小学校生徒の田植え行事も行うそうだが・・・。 田植えは6月2日です。

それにつけても、日本の米作りはどうなってしまうんでしょうか!
今、TPPなどで注目を集めているコメ問題ですが、自前で食材を調達できない時代がすでにもうそこまで来ているんです ネ


2013年5月12日日曜日

母の日

今日は月一回の日曜当番日(救急)になっていたため、朝9時からクリニック(オガクリ)に出勤していた。 

新聞を見たのか、松前町からの患者さんも加わり午前中はまずまずの忙しさで働き、昼食の親子丼がとっても美味しく感じられた。 

午後になって、ホルター心電図をしていた患者さんが来院され、色々な症状・コメントを話して行かれた。 その方が、「母の日」だからと言って、白ワインを置いて行かれた。 丁度いい飲みごろに冷やしているからと付け加え、”今晩楽しんで下さい”という言葉も一緒に落として行かれた。

その御言葉にすっかり甘えてみようと言う気持ちに固まっていた矢先、函館から孫達がやって来ると言う電話が入った。 結局、「ジージー」となって一家団らんということになった。 これも良い「母の日」という事です ネ

2013年4月27日土曜日

御久し振り

ブログと言っても個人の日記ですから、毎日書き留めておく内容があるわけでもありません。 平凡な一日の中で、特に記録しておかなければならない事はそう多いものでもありませんから・・・。

それでも、月末になると「今月はこういう事も ああいう事もあったな~」などと想い出すものです。 今月だけでも、新学期に始まり、学校の健康診断に出かけたり、11日からは「第76マスターズゴルフ」や、20日の「大北会長の厚生労働大臣表彰の受賞祝賀会」などの行事がありました。

マスターズではプレーオフの末、オーストラリアの選手が初めて優勝した。 あのグレッグ・ノーマンでも成し得なかったメジャータイトルを勝ち取った選手のキャディは数々のメジャータイトルホルダーとして有名なタイガーウッズのキャディを長年やっていたスティーブです。 おそらくグリーンの読み方は慣れたものなのでしょう。
 
さて、その優勝者の名はアダム・スコットです。 ホワイトタイガーとも呼ばれているがメジャー無冠のゴルファーでした。

わたし達のアマチュアゴルフも雪解けが少しばかり遅かったためやっと開幕です。 ジャンボ尾崎(66歳)のようにエイジシュートでもしてみたいが、日頃の練習が疎かでは夢のまた夢でしかないでしょう・・・ネ

2013年3月12日火曜日

ドラクロア

NHKのTV番組に「女のドラクロア」という森三中が案内役をしているものがある。 

たまたま観た時の内容で、札幌に住むある夫婦の物語が紹介されていた。 番組は夫の操縦法というもので、無職・借金あり・バツイチの男と結婚した女がいかに夫をやる気にさせていったかというものだった。 

結局、夫に節約やダメだしばかりしていては、息が詰まってしまい、サラ金から金を借りてしまい、節約しているつもりが逆効果だったという。 そこで思い切って考えた方法というのが、「ありがとう」の感謝の言葉を言うことと、夫を信じて「家計簿と銀行の通帳を預ける」ということだった。 

人間は信頼され大事なものを預けられると、人間関係がしっくりいくという事例です。 

それにしても、こういう話を本にまとめて出版してベストセラーになっているというから、すごいな~と思わずにはいられません ネ

2013年1月16日水曜日

「その時は、ごめんね」

今月15日の道新朝刊の「いずみ」欄に載った函館市の米谷喜美子(63歳)さんの文章の題名です。

米谷さん姉妹はお母さんの在宅介護を始めて約1年になる。 お母さんは過去と現在を自由に行き来しているというから、おそらく認知症を患っていると思うが、とても上手い表現を使うものだと感心する。 そのお母さんは口からの食事が取れないので「胃瘻(いろう)」で一日三回の栄養を摂っている。 

人は口からの食事をとることで食べる喜びを味わうわけで、腹壁に造設した穴に取り付けたチューブを介して胃の中に流動食を流し込むのは、単に生かし続けているだけではないのかと姉妹は悩んでいるという投稿です。

ところが、心が揺れている米谷さんに、ある友人から なんにも分からないように見えても、お母さんは、お母さんの世界で泣いたり、怒ったり、笑ったりしながら、いまを生きているんだよ。 そしてね、いつか終わる日が来るんだよ。 介護はね、後に残される人たちのためなんだよ。 介護しているんではなく、させてもらっている、そう思いなさいよ。・・・穏やかだったお父さんと、今のお母さんを比べてはいけないよ と諭されたと書いている。

そのお母さんも12年前に脳腫瘍を患ったお父さんの在宅介護で大変な思いをした。 その時介護に疲れ切った米谷さんに介護させてくれてありがとう。そう思いなさい」と自らもリュウマチを患って疲れ切り共倒れ寸前だったお母さんが彼女に話しをしてくれたことを思い出した・・・そうだ。

それが”介護の気持ちだ”と米谷さんは気づかされたというお話です。 ものは考え様だと言いますが、はたして誰でもその場面・状況に直面したら同じように考えられるだろうか? とっても疑問に思うのだが・・・、少なくとも介護(事業)に携わる者は心しておかなければならない心持ちだと思います ネ



2013年1月5日土曜日

新年交礼会

松前「向日葵の会」田辺圭子さん
昨年までは2日に行っていた新年交礼会を今年からは商工会観光協会の三者が合同で実施することになり、今夜福祉センターで行われた。

同時にH24年度の北海道の産業と社会貢献のそれぞれの受賞者と、福島町の功労および善行表彰も行われた。 前者の北海道は「森づくり功労者」として中森寛二さん、「森を守り緑に親しむ功労者」として福島吉岡漁業協同組合女性部がそれぞれ受賞した。

後者の福島町の受賞は中塚和子さんと佐々木祥子さん、大森忍さんです。 みなさんおめでとうございます。

福島町の三岳に在住の中塚さんは年末に漬物の品評会をかねた催しを福祉センターで開催しており、町への貢献度はとても高いんです。 さらに、仲間と一緒に毎年恒例の「健康フェスティバル」での賄も担当してくれているので、わたしとしても大助かりという事情もあります ヨ

2013年1月2日水曜日

雪道

松前「向日葵の会」佐々木直子さん
雪の降らないところから札幌に来ている。
やっぱり北海道の降雪は多い。 歩道もツルツル滑るし、歩きづらいことこの上ない。
ただし、雪舞の中での露天風呂はやっぱりいいな~。

南千歳にあるアウトレットモールに足を運んでみた。 いくつの店舗があるのだろうか?
正月の売り出しもやっているから人ひとでごった返していた。 

ちょっと帽子でもと思って帽子屋の中へ入ってみて、試着してみたものの、普段見慣れてないせいか可笑しな格好に笑ってしまいます。 似合わないという一言です。

夜になるとイルミネーションが素晴らしいね。 節電を気にしながらの眺めですが、この正月だけは・・・という気持ちです カ


2012年12月30日日曜日

年末となって

松前「向日葵の会」小野祥子さん
今年はどんな一年だったかと聞かれると何と答えるだろうか?

一年を漢字一文字で表すとと言えるでしょう。 

今年ほど多くの人との出会いをした年もなかった。 人を介して人を紹介され、さらにまた初めての人との出会いがあったかと思うと、今までご無沙汰していた人との思わずの邂逅などと目まぐるしいほどであり、そうしたことが今新しい事業へと発展している。

金毘羅さんのご利益でしょうか? 

くる年もいい年でありますように ネ

2012年9月18日火曜日

タイミング

「なご美会」熊谷さん
ちょっとしたタイミングから横綱の白鵬に土がついた。 大相撲秋場所10日目の番くる合わせで、栃煌山は幕内の東前頭5枚目の番付けだから大金星になる。 彼にとっては初の快挙だそうだ。 7勝3敗となって、終盤の勝ち星次第では殊勲章も夢ではない。

がぜん面白くなってきた今場所は日馬富士横綱昇進がかかった場所でもあり、明日からの相撲放送に目が離せなくなってきた。 

土俵の上には富が埋まっているという表現もあるように裸一環でそれと同時に名誉も手にできるのが相撲道です。 もちろんほんの一握りの体力・知力を兼ね備えた人物だけですが ネ


2012年9月10日月曜日

湯倉神社例大祭




湯の川2丁目の町内会に「湯倉神社」がある。 境内の内外には露天が並びたくさんの参拝者で賑わっていた。 神輿の出番は生憎の悪天候の予報で中止となった。







宮崎県から宮司の知りあいという関係で中村道場の5人の剣士が函館に来られ奉納居合を行なった。 迫力ある剣さばきに本殿に集まった観客から拍手が沸き起こっていた。




宮司さんの話だと、中村さんは家族みんながタイガーマスクを被って撮った写真を年賀はがきに印刷して送ってくれるそうです。
どんな写真か見てみたいです ネ



2012年9月7日金曜日

夷酋列像特別展

今度の日曜日9日がラスト展示となる 〈夷酋列像〉特別展示 が北海道立函館美術館で開かれている。 今回が3度目となる函館での開催だが、私はフランス・ブザンソン美術考古学博物館に所蔵されている本物を見るのは始めてだったので少しばかり興奮した。

7月29日の真夏の暑い日に福島町史研究会のメンバーと一緒に観覧した。 函館の中央図書館にある2枚( イコトイ、ションコ )とブザンソンのものを見較べてみた。 人物そのものは一寸違わず色合いもほとんど変わらないと思った。 よくもこうまで微細に描けたものだと感心するばかりだった。

1789年に起こったアイヌの「クナシリ・メナシ蜂起」の際、松前藩側に味方して鎮圧が容易にできた功績を讃え、翌1790年アイヌの首長12人の画像を描いたのが松前藩の家老蠣崎波響です。 その作品が夷酋列像なんです。 是非見て欲しいものです。

ところで、この作品の12人の内、実際は5人の首長が松前に来たが、あとの7人については話を聞きながらの作画だったというから、その事もすごいことです ネ

2012年9月4日火曜日

ヤングなでしこ


試合が始まって間もなくの失点は、最後まで重く伸しかかった一点だった。 身長差は歴然として体力では負けていたと思うが、「ヤングなでしこ」も運動量では負けないくらい良く走っていた。

今日の昼食時のTV情報によると、日本の女子サッカー人口は諸外国に負けないくらいいるらしい。 しかも、その育成システムがしっかりしてサッカー女子の裾野が大きく広がっているそうだ。 頂点の「なでしこ」まで途切れることのないような構成になっているから、日本の未来は明るいと思われる。

土曜日の3位決定戦でメダルを手にしてくれれば、裾野がもう少し強固なものになっていくことでしょう。 

もちろん、男子も次のW杯アジア予選に勝ち上がり、同時にすそ野が拡がっていくように死力を尽くして戦い、ブラジルW杯への弾みにしてほしいものです ネ

2012年9月3日月曜日

ハッピーバースデー

こんな真夜中に携帯の着信音が鳴った。
ひょっとしてこの暑さのため具合を悪くした在宅患者だろうか? あるいは何だろう・・・と考えつつ On  にしてみると、その向こうから ”ハッピーバースディ~ ”の少したどたどしい歌声です。

改めて便利になった今の世の中に感謝すると共に、先週の土曜日に聴いた講演の 2015年と2025年問題 が気がかりになる年代なんだな~という複雑な思いに駆られている。

明日も気温が高いという予想だから熱中症に気をつけていただきましょう  ネ

2012年7月26日木曜日

熱波

「み」のサインはオガクリ院長です
今日は、今年の夏一番の暑さで、ここ道南でも30度を超える真夏日でした。 

それでも今日の仕事場(オガクリ)では、エアコンを運転しませんでした。 昨年までなら、とっくに使っていた家電製品を動かさないで、職員は勿論、そして患者さんたちにも協力をして頂いてます。 節電のため、計画停電が実施されないように願って・・・です。 

ちょうどオガクリは国道228号線に沿って建っているため、計画停電のエリア内に位置しています。 近くに消防署のポンプ車の倉庫があったり、町の吉岡分室があるのだが、バッチリ停電計画内に入っている。


ただ、身体の具合の思わしくない方々には、他にもっといい方法があるか明日以降考えてみましょう。


それにしても暑い日でありました ネ

2012年7月14日土曜日

夷酋列像がやってくる

2度目の里帰りの時のポスター
「チロップ館」に展示中
今月の23日に、フランス・ブサンソン美術館所蔵の『夷酋列像』がはるばる海を越えて松前に里帰りします。 


江戸後期の松前藩の家老であった蠣崎波響が、「メナシ・クナシリの戦い」で反乱の終息に貢献した蝦夷の長らをねぎらう為に松前に招いた時に描いた12枚の絵が素晴らしい出来栄えだったため、波響の絵師としての名声が一気に高まったと言われており、その絵の内11枚がブサンソンで発見され、今回が3度目の来道です。

そこで以前、宇江佐真理さんの『桜花を見た』という小説について書いたわたしの小文があったので載せてみます。




宇江佐真理『桜花を見た』を読んで

             福島町史研究会   小笠原実

宇江佐真理さんの著「桜花を見た」を知人から借りて読んだ。 本の題名は「さくらをみた」となっている。 初版が2004年だから、本を手にして読むまでに随分と年数がかかったものだ。

宇江佐さんは、函館市出身で、私と同じ高校の一年先輩の女流作家です。 道新の夕刊に、不定期のようだが投稿記事(ウェザーリポート)を書いている。 作家の山本一力さんらと親交のあることなど、身の回りに起きたその時々の事柄を書き寄せており、最近では自分の小説「雷桜」が映画になるまでのエピソードや試写会の模様などを載せていた。 映画「雷桜」は今TVでも盛んに宣伝している話題作だ。

さて、表題の本『桜花を見た』は、江戸時代の実在の人物をモデルに書いた五つの中編を載せている。 その中でも『夷酋列像』と題した作品を是非読みたいと、数年前から切望していて、やっとその希がかなった。 

この作品の主人公は、松前藩家老の蠣崎波響(かきざきはきょう)という人物で、キーとなる登場人物は、松前道広(松前藩9代藩主)と大原左金吾(丸山応挙一門の絵師で、雅号は呑響、墨斎)だ。 歴史的出来事のキーワードは、「メナシ・クナシリの戦い(寛政元年1789)」、「松前藩の陸奥の国梁川 への移封 (文化4年1807)」、「松前藩の蝦夷地復領(文政4年1821)」と、私は考えて読了したが、波響の妻となる「かな江」の存在もこの物語に大きな厚みを持たせる結果となっていると思われる。

波響(1763~1826)の母は、松前藩8代藩主資広の側室の自正院文子(和歌の雅号は松前文子)で、彼女の実家は、江戸の長倉屋という松前藩御用達の呉服屋であった。 波響は松前藩9代藩主道広の腹ちがいの弟として子どもの頃から画才を認められ、江戸で絵(長崎画)の勉強をし、その後丸山応挙派の文人・画人と交流を持ち、丸山派の画風として有名になる数多くの作品を世に送り出した。 

波響(広年)が藩政に携わっていた頃、歴史的な出来事として、和人たちの横暴さに耐えかねて寛政元年(1789)に蝦夷人が蜂起した「メナシ・クナシリの戦い」(寛政蝦夷騒動)が起ったが、その鎮圧のために同胞の蝦夷の長老(乙名)達が松前藩に味方し、反乱した蝦夷の降伏に力をかしてくれた。 鎮圧成立を祝って、協力してくれた蝦夷の長老ら80余名を松前城下に招いた時、彼らの身なりが貧しかったので、藩庫に保管されていた蝦夷錦(えぞにしき)の衣装を着せて藩主道広に謁見させた。 

その時の蝦夷の長老ら12人の様子を絵に画いたのが「夷酋列像」です。 波響が一年に及ぶ月日をかけて完成させた作品は、道広はもとより多くの人々に驚きをもって受け入れられた。 つまり絶賛された「画」は、京にまで紹介され 119代光格天皇の天覧も叶い、国中に波響の名声が広まったというわけだ。 

ただこの時、宇江佐さんは、まだ波響の妻となっていない許婚の「かな江」に、「同じ仲間なら、手柄のあった蝦夷はどうして蜂起した蝦夷の命乞いをしなかったのだろう」と言わせている。 勿論そのことは波響を苛立たせるだけだが、12人の列像の中で唯一の女性であるツキノエの妻チキリアシカイには「わたしは一族の長の妻であり・・・いざという時は、長に代って敵と闘わなければならない・・・その敵が息子であっても娘であっても事情は同じです。 この度のことも息子だけを助けるという訳には行きませんでした」と、語らせている。 
チキリアシカイの息子セツハヤフは人質であり、生贄であり、息子の命を以て贖われた収束でもあり、翡翠の耳飾りと首飾りをさせ、こげ茶の蝦夷錦を着せた彼女の表情はこの世のものとも思えぬほど堅い。 もし粉本(下絵)があるならチキリアシカイのものは是非見てみたいものだ。
ここまでが波響の人生のトントン拍子な「楽」の時代であったと言えるのではないだろうか。

波響の人生で「列像」を描いていた頃から、松前藩は蝦夷地へ頻繁に南下してくるロシア国の脅威に脅かされることとなり、そのために藩主をすでに退いていた道広であったが、10代藩主章広の外交相談役として、以前江戸藩邸で風山流の兵学を講義されたことのある大原左金吾(呑響)を京都から招聘し、その外交対策にあたらせようとした。 
実際、ロシアやイギリス船が頻繁に蝦夷地の近海に近づいてくるため、その対応に大変苦慮し始めていたのだった。 すでに波響の人生での「苦難」の時代が始まっていたと言える。

道広に乞われて松前に来たはずの大原呑響(どんきょう)であったが、ロシアの南下政策に対する道広の施策の無さや傲慢さに、またイギリス船の蝦夷地虻田入港をめぐって松前藩の政策に不満を持ち、ついに逃げるように松前を去ってしまった。 彼は江戸へ向かう途中の水戸で、彰考館総裁の立原翠軒(たちはらすいけん)に会い、松前藩の現状を訴えた。  
翠軒は「墨斎奇談」を著して、幕府に対し松前藩(道広)は外夷内通の意志ありと述べたことから、一連の呑響の行動は松前藩の上知(あげち)の原因をつくったと言われるようになった。

文化4年3月、江戸城から使者が松前に到着し、松前藩の九千石降格と 「陸奥の国伊達郡梁川への移封」が伝えられた。 藩の財政から考えて、約400名の藩士のうち、士分66名・医師4名・足軽70名の士籍を削って梁川に移封することになった。 寄合席から執政に昇格した波響は、いっきに藩の重責を担うこととなってしまったのだ。

その後の波響の半生は、松前藩の復領が叶えられることが自らの使命と考え、そのための資金造りに精をだすことになる。 「夷酋列像」の作者としての彼の名声は、国中の誰もが知っているから、彼の描く「絵画」は、おそらく高額で取引されたことだろう。 波響の絵の代金は、復領を頼む為の賄賂(わいろ)として、将軍家斉の父である一橋治済と側用人の水野出羽守忠成(みずのでわのかみただあきら)の二人に遣われたそうだ。

とうとうそうした波響の十年以上に及ぶ努力の甲斐があって、文政4年12月7日「松前藩の復領」が幕府から発表された。 側用人から老中の座に就いた忠成が幕閣の重職らの了解を得ないで、独断で決めてしまった措置です。 
復領後の波響は、家督を息子の広伴に譲り、文字通り絵三昧の日々を送った。 松前画壇なるものを形成し、後世に伝わる優れた絵師を輩出させたが、波響は復領から5年後の文政9年6月に63歳で没した。

天覧が叶うほどの画才を持った絵師が、売り絵のための「絵」を描いて、自ら執政をしている藩の窮地を救ったという「芸は身を助ける」式の簡単な話ではすまされません。

波響に、妻かな江は無学な女で絵などわかりもしないと言わせる一方で、波響の絵の一番の贔屓者は母上であると息子広伴に言わせ、「かな江が妻でなければ今日の広年はない」と感謝する気持ちをさらりと波響に語らせた宇江佐さんは、この本の最後で「松前応挙と呼ばれ、『夷酋列像』で人々の耳目を集めた波響こと蠣崎将監広年は、その画業もさることながら、一藩の怒涛のごとき運命を自らの才覚で乗り切った能吏でもあった」と結んでいる。 




以上が、『桜花を見た』を読んで感じたことでした。 宇江佐さんの道新夕刊のコラムは終了してしまいました。 エッセイにも読んで楽しい内容がいっぱい詰まっています ヨ

2012年7月11日水曜日

パンダのこと

何に見えます?
「なご美会」熊谷さん
24年ぶりに東京の上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたというニュースが流れたのはは6日前だったと思います。 7歳のジャイアントパンダ・シンシンが生んだのは雄のパンダで、名前がどうなるかなどとマスコミでも騒がれ始める動きがあっただけに、今日の昼のNHK・TVの臨時ニュースには参った。 今朝の8時30分に赤ちゃんパンダが亡くなったというニュースだったからです。

さて、今日の道新夕刊の「今日の話題」にコラムニストの高山昌行さんが北京に駐在していた2008年当時の記者会見での出来事を、今回のパンダの赤ちゃん誕生に触れながら記事にしています。 

現在、日本と中国との間には、さまざまな懸案問題があり、すべてが良好な関係だとは言えませんが、少なくとも日中国交正常化(1972年)を記念して上野動物園に始めて贈られたパンダは両国間の友好の証しでもありました。

今回も、パンダの貸与がきっかけで赤ちゃんパンダが生まれましたので、友好ムードはいやが上にも高かっただけに・・・今朝のニュースには参った。 

パンダの事については北海道出身の有名人が詳しく、黒柳徹子さんや安住アナウンサー等です。 特に、安住アナウンサーは、パンダの名付けの名前を当てるのを得意としていて、「今回の赤ちゃんパンダの名前はこれだ!」という名前を科学的にすでに引き出していたそうです。 

こうなった以上、その名前を公表してくれるでしょうか?  安住さん ヨ


2012年7月10日火曜日

チロップとは?


昔懐かしの時計やカメラにフィギュアと熊谷さん
以前も「チロップ館」のことは載せましたが、久しぶりに訪れてみると、蒐集して置いてあるものなどはすっかり多彩になっていました。 お年寄りの人達が訪れてくれると、若かった頃のことを鮮明に想い出し、認知についても良い効果があるのではないだろうか・・・?

非薬物療法として、回想法、音楽・絵画・園芸療法などあるが、まさにそれらのことをほとんど体現できるのが「チロップ館」であるともいえます。 本当に是非見に来て、タイムスリップしてください ネ

2012年7月8日日曜日

自然治癒力

「西洋医学の父」と呼ばれる古代ギリシャ時代の医師ヒポクラテスによれば、人の病気を治す基本的な力は、各々に内在している「自然治癒力」だと述べています。 そして、医師の仕事はその「力」を引き出したり、補足したりすることだとも言っています。 

勿論、すでに病気になった患者の治療は医療の手を借りるわけだが、日常の健康維持は本人自らすべきで、医者は助言者でいいんだという話です。 

もっともなことで、こうした考えは岩手医科大学の名誉教授で医学史の研究で有名で、ヒポクラテス研究の第一人者でもある石渡隆司先生も「胃や腸の健全化は、人間の存在の根幹で『腹が決まれば』という言葉があるが、それはまず自分の胃腸が安定していることだ」と説明しています。

超高齢化社会の到来を前に、社会保障費の急増する今だからこそ、「食」を通じた健康管理が大切だとして、「人々が自分の健康維持を丸ごと医療に委ねるようになると、医療費は際限なく膨張し、やがては医療費と介護費で国の経済は破綻する。 そこから起こる悲劇は極めて明らかだ」と断言しています。 

長年にわたり医学史を研究してきた学者の箴言(しんげん)は意味深いものがある・・・ということです。 

さて、4月からスタートしてドラマ部門の視聴率が断然トップなNHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』のなかでも、町医者として好演している坂田医院の世良公則先生は、主人公の梅ちゃん先生(堀北真希)「医者はただ傍に居るだけでいいんだよ・・・」という言葉をかけていました。 

その言葉の持つ意味を悟った梅ちゃん先生は、大学病院を辞め、戦後まもなくの医者の少ない東京の蒲田地区で開業する決意をし、実現するところまでが先週の話でした。 これからドラマがどう展開していくのか興味深々というわけで、朝の時間のやり繰りに困っている毎日です ネ




2012年7月5日木曜日

ヒッグス粒子

「向日葵の会」圭子さん
世紀の大発見とか金メダルに相当する発見とか、昨日からの科学関係のニュースでは大騒ぎな話題が「ヒッグス粒子」のことです。

宇宙の成り立ちや銀河系の誕生の解明に役立つとか説明を聞いても今ひとつピンときませんが・・・。

1964年イギリスピーター・ヒッグスさんがその存在を予言した素粒子で、私たちの身の周りも含め、すべての宇宙空間を満たしていて、もしこの素粒子が存在しなければ宇宙を構成するすべての星や生命が生まれてこないことになることから「神の粒子」ともよばれているそうです。


ヒッグス粒子の担う大きな役割は、物質に「重さ」を与えることです。 

宇宙誕生の時の大爆発で生み出された大量の素粒子は、その際自由に飛び回っていたが、たくさんのヒッグス粒子にぶつかることで動きづらくなり、やがて物質を構成していったと物理学の分野では考えられていて、その動きにくさが質量そのものだとしています。

ヒッグス粒子はパーティー会場にも例えられるそうです。 会場の大勢の人たちがヒッグス粒子で、その人波の中を人気アイドルが通り過ぎようとすると、たちまち多くの人にまとわりつかれて動きづらくなってしまいので、この動きづらさが「質量・重さ」だと言うのです。

宇宙は17の素粒子から成り立つという現代物理の標準理論からすると、今までクォークレプトンなど16の素粒子が実験で確認されていましたから、今回の99.9999%の確率で確認されたヒッグス粒子は最後のひとつだということです。 日本からは東大の先生方など数多く参加し、実験していたそうです。

さて今年は、今月28日からイギリス「オリンピック」が開催されます。 1964年は、アジアで初めて東京でオリンピックが行われた年です。 何となく因縁めいたものを感じるのはわたしだけでしょう カ