2010年1月2日土曜日

正義の鉄拳

1/2(土)
 今年の干支は、です。  

 「糖尿病徒然日記」のブログを発信している“ドクター江部”さんは、今年が年男だそうです。 
オガクリも同じ年代です。 互いに戦後ベビーブームの後半の一角を担っているというわけです。
 
 当時は小・中学校とも、ひとクラスの人数が50名に近く、教室の後ろまで一杯に机が並んでいたという記憶が残っています。 休み時間などは教室内の移動もままならず、遊ぶスペースも少なくエネルギーを持てあましていたんだと思います。

 ところが小学校5年生の時の教室は、校舎の造りの関係で教室の中に一階の玄関からの階段が付いているという他の教室とはまったく違う構造をしていました。 その分、教室のうしろ側が充分遊べる余裕があったのです。 授業終了のベルが鳴ると、待ってましたとばかりに友達同士ワイワイ・ガヤガヤいろいろな遊びに夢中になったものです。 時に、ちょっと危なっかしい遊びもあったと思います。
 
 ある時、突然“ガチャン”と、ガラスの割れる大きな音が教室内に響き渡りました。 みんなビックリして振り向くと窓ガラスの一枚が割れて、粉々になった破片が散乱しています。 破片の片づけが終わったあと、担任の K先生「誰がガラスを割ったんだ」と、クラスのみんなに訊ねました。 誰も名乗り出ません。

 K先生は、その時教室のうしろ側で遊んでいた生徒全員(7~8人だったか)をその場に立たせて、誰も名乗らないのは残念だ。 ガラスが割れたことは事実で、この中に犯人がいる。 が、誰が割ったのかわからない以上、ここで遊んでいた全員が責任を取らねばならない。 先生は、たいへん辛いが、制裁を加えなければならない。 みんな一列に並べーと、号令をかけたと思った瞬間、生徒みんなの左頬に“バシバシ”という音が響いていた。 K先生「これは正義の鉄拳。 覚えていてほしい!」と、悲しい目をして右手を振ったと思っています。

 わたしには、頬の痛みの記憶より、この言葉の語感の響きの方が今でもより鮮明に覚えています。 この時、自分に非がなくても「連帯責任を取らされる」ということも子供ながらに学びました。 小柄だったが大きく見得たK先生から、小5・6年の二年間で、この他にもとても多くのことを学び教えて貰ったと思います。

 昨年、偶然にもK先生の現住所が判明したと思っていたら、先生から今年の年賀状が舞い込んできました。 再会できればいいねという文が添えられてありました。 でも、会った時、何とあいさつを切り出したらいいのかちょっと思い悩みます・・・。  やっぱりその時は、45年以上も前にタイムスリップして、小学生に戻ったような気持ちになるんでしょう カ