福島町史研究会の会報『永 はるか』第8号が完成しました。 会員の原稿がほぼ予定どうり集まってくれましたので、例年のごとく編集・校正・印刷コピー・製本とみんなで分担して行いました。
顧問の永田先生はじめ、十名の会員が各々興味ある事柄を調査研究してまとめあげたものです。 永田先生は、『夷酋列像』を描いて有名な蠣崎波響の母 長倉勘子(さだこ)の生家のことを書いています。
資広亡きあと、二十九歳の勘子は松前文子となり悠々自適の生活を送っていたが、その後ちょうど松前に滞在していた菅江真澄( 名著『えみしのさへき』の作者 )と共に和歌の会を松前で開催したことなど詳しく載せています。
また、その長倉家の家系には新撰組の二番隊長を務め、人斬り名人とも言われ、北海道にも縁があって有名な長倉新八もいるというような歴史のつながりのおもしろさも解説してくれています。
その他の会員の文章も一読してみてください。 目次を載せてみますので・・・。
御希望の方には、郵送いたします ヨ