1985年の今日は、JAL123便のボーイング747機「ジャンボジェット」が群馬県御巣鷹山の尾根に墜落事故を起こした日です。
ちょうどその日は、わたしが芦別市立病院へ勤務した初日でした。 お盆をむかえるという時期でしたが、アメリカから帰国し臨床医として仕事をする第一歩を芦別にきめ、早く働きたかったわたしの希望を受け入れての日程でした。
その日はとても暑い日で、一日の仕事が終わった夕方から病院の医局の先生方が歓迎会を開いてくれました。 市内の日本料理店での会のあと、二次会を「カラオケ店」ではじめて間もなくの8時過ぎ、テレビの臨時ニュースがカラオケテレビの画面に映し出され、びっくり仰天しました。
翌日からの報道は、単独飛行機事故の被害としては世界一の大惨事となってしまったが、乗員乗客524名のうち4人が奇跡的な生還を遂げた模様を克明につたえてくれました。 事故原因とされた事実のことを考えると、命の重さをいっそう強く感じないわけにはいきません。
山崎豊子の『沈まぬ太陽』、横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』の小説などで、会社内部のこと、航空業界のこと、そして事故発生の第一報から原因究明発表をめぐる報道の在り方など、多方面で「日航機墜落事故」が取り上げられ、多くの読者に読まれています。
あれからもう25年経つんです ネ