今朝の道新の「いずみ」欄に表題の投稿記事が載っていました。
“指輪”という漢字を見て、その記事を読んでみると、3歳の娘と1歳の息子を持つ34歳のお母さんが、二度目の指輪行方不明事件を起こした時の話の内容です。
一度目は台所のゴム手袋の中にあるのを夫が見つけてくれたが、今回は外出先で指輪が左手薬指に無いことに気がつき、立ち寄った場所など散々探したが、結局見つからなかったという事態に、自然と涙がでてきて落胆した模様を、夫からの「また新しいのを買ってあげるから」という優しい言葉や、娘からの励ましの言葉に勇気づけられたりして、娘の成長した一面を感じたという思いなどを絡めて綴っています。 その時の心模様が、とても良く書けていると感心して読みました。
さて、もう無くしたものと諦めて、夕飯の支度をして炊飯器からご飯をよそおうと中を見ると、光るものが見えてビックリです。 何と無くなったはずの「指輪」と一緒に、ごはんを焚いていたというわけです。 「結婚指輪の炊き込みご飯」ができたと、夫がなぐさめてくれ、それからは「指輪」は中指にはめているというハッピーエンドのお話でした。
朝の読み物としては、とても爽やかな良い内容だと思っていると、なんだか少し意地悪な気も沸いてきました。
というのも、新婚当初、薬指にピッタリ収まっていた「指輪」が、二人の子供を出産したら、簡単に薬指からすり抜けて、落としても気がつかないでいる状況になっているということです。 たぶん体重が減ってヤセてきた証拠でしょうし、育児・子育てで自分のことをあまり振り返っている余裕もないことが推測されるからです。 それほど育児・子育てはたいへんなことなんです・・・。
今年、大阪で二児の小さな子供たちが母親の育児放棄によって亡くなっていたという報道を耳にした時、信じられませんでした。 離婚という事態になったことも不幸の始まりだったわけで、大人の我儘な理由が子供たちに押し付けられたのです。
でも、そんなことは稀なことであって、結婚指輪が薬指でクルクル回ることなんて、ちっとも苦なんかじゃないですよ ネ