福島「なご美会」の池田龍夫さんの作品 |
町内でも熱中症が心配される状況です。 ニュースに寄りますと、東京では年間の連続真夏日の更新が確実とも言われているようで、日本中猛暑の中にすっぽり入っていると言うことです。ここ北国でもエアコンの需要が年々増してくることでしょう。
今日、その酷暑の中にある名古屋から、わたしの大学時代の同級生が町とのある打ち合わせのためにやってきました。 2年後に改定される介護保険制度の中の「介護予防」について、これから町内の高齢者を対象者としたアンケートなどを実施していく上での内容をつめる懇談ということのようです。
彼は、名古屋にある独立行政法人の医療研究センターの所長をしています。 夕方から彼を囲んで懇親会を設け、そのなかで介護保険などに関する様々なことについても話しを聞くことができ、有意義なひと時をもつことができました。 そのなかで印象に残ったひとつは、日本人は確固とした「死生観」というものを持っているのだろうかという話でした。
介護を行っていく上で、患者さんが徐々に体力を落としていくと、まず移動(歩行)で介護が必要になってきます。 自力歩行出来ていた時より2倍の介護量がいることになります。 次に、排泄での介護が必要になってきますと、さらに2倍の介護量が要ることになります。 さらに、摂食(食べられなくなる)での介護が必要になると、さらに2倍量の介護が求められてくるそうです。
結局、移動で2倍、排泄介護になると4倍、摂食介護になると8倍の介護量が必要になるという訳です。 そこで問題になることといいますと、食べられなくなった場合(ムセて飲み込めなくなる)に、栄養を摂る手段をとるのか、または自然な経過をとって看ていくことを選ぶのかということです。 摂食介護が必要な患者さんは、いわゆる寝たきりの人が多く、介護度5のことが多いんです。 ムセて飲み込めないと誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)という感染症がほとんどの人に起こります。
栄養を摂るために「胃ろう」という胃に小さな穴をあけ、そこにチューブを通して液体栄養を送り込むという方法をとるかどうかということが、よく議論されることがあります。 看ている家族にすれば、どんな状態でも生きていて欲しいと願うことももっともなことです。
一方、寝たきりの人にとっての、人としての「尊厳」は、という問いかけのあることも事実です。 色々な考え方があっていいと思いますが、「人の最期はいかにあるのか?」という命題について、日頃から話し合い、考えておいた方がいいのではないだろうかという感想です。
このことは、何も介護分野だけでなく、移植の分野にも通じる話なのです。 臓器移植法が改正されてから、日本でも今まで以上に臓器提供者が増えている昨今です。
人としての「尊厳」を重んじる生き方が、人の心を救ってくれるということでしょう カ