2010年11月30日火曜日

誕生日

先日28日の日曜日、函館市のサンリフレ函館「ほっかいどう学」の実践講座が行われました。
「道民カレッジ」という連携講座のひとつで、道内の各圏域で本道の歴史や文化を学習テーマとして講座を開いているもので、道南圏は函館でおこなわれたというわけです。 

今年は、「龍馬伝」という大河ドラマの影響でしょうか、合田一道さんによる「龍馬が描いた夢・北海道」がテーマ講演となっています。  実践講座は、各圏域の講師によって各々の地域での話題の歴史や文化内容が取り上げらています。

函館では、木下寿実夫さんの「二股口の戦い」と斎藤裕志さんの「道南の医療史」という内容で行われました。 わたしは後者の話を是非とも聞きたいと思っていたが、その日曜日は月一回の救急の日曜当番日に当たっていたため、諦めていました。


ところが、その講演の内容のあらましをT.O君からのメールで教えてもらうことができました。 要点が簡潔に要領良くまとめられていると思うので、そのまま紹介します。

今日がT.O君の誕生日です。 おめでとう ダネ

2010年11月28日日曜日

博古知今

松前町は「博古知今(はくこちこん)」という言葉を大切にしています。 

と、松前町長は「松前藩物語」の中で述べています。 いにしえにひろく今を知るということです。

2010年11月25日木曜日

今年の町史研究会

昭和7年青木郭公(椅子上)を囲んで





「暁雲」第2号

「福島俳壇と青木郭公」と題して、当会の副会長の金沢秀一さんが月例の研究発表を行った。                                                    
「暁雲」は、北海タイムスなどの新聞俳句の選者を長年していた青木郭公(かっこう)が大正15年11月に創刊した俳句雑誌で、福島町の当時の俳壇の「暁雲」への入会は昭和3年の4月号の時からです。                                          
昭和初期の頃の福島町の俳壇は、俳句結社「松花会」をつくっていたが、それに飽き足らずに、昭和3年大津禅良、金沢青柿、工藤碧水ら7名で「暁吟社」をつくった。  ですから、青木郭公を迎えた昭和7年頃は、「暁吟社」にとって黄金時代を迎えようとしていました。   

金沢青柿さんは金沢副会長の父で、「暁雲」誌上たびたび話題となった句を投稿していた。

金はないが鯡玉あり米貸せといふ
女一日三十銭の春出面
春財布底まで見せて渡しけり
人に渡した家の桜見て通る
救助米買ふ親類のまわた金
米びつに米一俵明ける妻よ子よ


これらは全て金沢青柿が昭和7年から10年頃に詠んだ句です。 当時の生活の厳しさを十二分に表現した内容になっています。                                 
昭和43年、「暁吟社」は創立40周年を迎え、会の代表の大津禅良さんは勲五等瑞宝章を授与されました。 一主催が40年という歴史を持つ俳句団体は当時の北海道に二つとなかったからです。 本当に素晴らしいことです ネ                               


2010年11月24日水曜日

ゴローニンと松前(1)

講義する桑原教授
先日、「松前町史に親しむ会」の木村会長さんから、札幌大学の桑原真人教授が松前町で「ゴローニン事件とその背景」と題する講演をする予定になっているからどうですか?というお誘いの手紙が舞い込んできた。

もう数年前になりますが、松前町の歴史の同好の方々や福島町史研究会の顧問をしておられる永田富智先生と一緒に「大館・小館からゴローニンが幽閉されたバッコ沢一帯」を探訪したことがあった。 それ以来のことなので、今回の講演には是非出席したいと思っていました。 今日会場に着くと、もうすでに多くの町民が集まっていて、予定したイスが足りなくなり追加する程でした。

桑原先生は松前町史の一部を担当されており、近現代史・北方史研究を得意とされている経済学者でもあると紹介され、大学の講義と同じようにレジュメに沿って少し早口な語り口調で話が進みました。

桑原教授資料
ゴローニン事件(1811;文化8年)は、第一次幕領期(1799;寛政11年~1821;文政4年)に起きてるが、なぜロシアの探検家が国後島で幕府役人と会見中に捕縛されなければならなかったのか、その原因・誘因を遡って歴史検索してみる必要がありますから、桑原先生は江戸幕府の蝦夷地直轄の背景から話を始めました。 

1700年代半ば頃から、南千島・蝦夷島周辺に「唐船」(ロシア船のこと)が接近するようになった。 
1778(安永7年)ロシアのナタリア号が根室近辺に来、翌年松前藩上乗役新井田大八が厚岸で応接するという外交事案があった。 この一件は鎖国をしている日本国にとって外交上重大なことであるのに、松前藩は幕府へ報告していなかった。 
その後も、ロシア船がたびたび蝦夷島へ近づいてくることがあったようで、1783(天明3年)工藤平助が『赤蝦夷風説考』を著して北方の危機を訴えるような状況になり、関心が松前藩の蝦夷地統治に集まってくるようになっていた。

そうした中、松平定信が老中田沼意次の後、老中筆頭となり、「寛政の改革」始めたのは天明7年(1787)のことです。

その2年後の1789(寛政元年)にクナシリ・メナシのアイヌの蜂起が起こり(寛政蝦夷の乱)、松前藩はその対応に困ったが、幸いにも穏健なアイヌ長老の理解を得て早期解決し、その副産物として家老蠣崎波響「夷酋列像」が描かれることになりました。 災い転じて・・・でしょうか。

しかし、1792(寛政4年)9月、ロシア遣日使節アダム=ラクスマンがシベリア総督の修好を求める書簡を持参し、日本人漂流民・大黒屋光太夫を同伴して根室に来航するということがおき、いよいよ外交の転換期となる事態をむかえるのでした。 続く 

2010年11月16日火曜日

63連勝

福島「なご美会」熊谷正春
横綱白鳳の連勝記録が止まった。 
初日の相撲内容からすると、誰もがこのまま勝ち進み、名横綱双葉山の連勝記録を楽々と抜いてしまうだろうと思っていた。 

ところが、二日目の取り組みの力相撲の結果、63連勝でストップしてしまった。 双葉山の69連勝にはとどかなかった。 

双葉山関は1936年春場所の7日目から白星を重ね、1939年の春場所3日目まで連勝街道まっしぐらだった。 当時は、年4場所だったりしたので、3年間負け知らずということです。 その間の精神状態を考えると、尋常ではなかったろうと思われます。 本当に、真の大横綱と言えるでしょう。



ただ、現在の年6場所も、また大変だろうと考えられます。 体調管理を上手くしないと、ケガなどしていると十分治らないまま、翌場所を迎えなければならなくなり、かえって連勝が困難だと言うことにもなります。 

53連勝をあっさり抜かれた時の国民栄誉賞授与者の千代の富士は、白鳳の記録更新を素直に祝福していました。 千代の富士は、約半年間連勝を続けていたことになるわけだが、彼だからこそ白鳳の気持ちをよく分かるのではないだろうか。

わたしの子供の頃は、世の中で強いもの有名な物と言えば、「巨人・大鵬・卵焼き」とよく言われたものですが、その名横綱大鵬ですら45連勝でしたから・・・。

横綱白鳳は、モンゴル出身ですが、彼の相撲道に寄せる「こころ」はもうすっかり日本人です ネ

2010年11月15日月曜日

世界糖尿病デー

福島「なご美会」の展示
昨日は、「パチンコの日」でした。 


ギャンブルはやらないので、パチンコも30年以上前のレバーを親指で押し弾く方式しか知らない。 だから、昨日は「世界糖尿病デー」でもあったという話をしなければならない。 


11月14日は、インスリンを発見したカナダ人医師、フレデリック・バンティングの誕生日でした。 もともと国際糖尿病連合とWHO(世界保健機関)が実施していた記念日であったが、2006年12月の国連総会で「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、この日を「世界糖尿病デー」とし、国連の記念日と定められました。


現在、糖尿病数は、その予備軍と言われる人も含めると2000万人以上にもなります。 生活習慣病の中でも、その恐ろしい合併症(失明、四肢・指の切断、尿毒症など)のことを考えると、真っ先に治したい病気と言えます。


「~デー」という記念日は、病気の知識を深め、それに関する生活習慣を改めてもらう絶好の機会となるわけで、おおいにPRすべきことです。 飽食の時代への反省にもなることでしょう。


さて、昨日はもうふたつ行事がありました。 
松前・清部郵便局の展示
ひとつは、福島町の「文化祭」です。 先日は、松前町の文化祭のレポートを書いたが、福島町のものも同じような内容の発表・作品の出品でした。 絵手紙についての展示があったので、写真を載せます。 福島「なご美会」と清部郵便局の絵手紙サークルのもので、なかなか良い作品が見られました。


もうひとつは、「福島ゴルフ愛好会」のラストコールとその後の納会でした。 ゴルフは、上磯アンビックスでおこなわれた。 朝は思いがけなく晴れていて、最高の出だしだった。 インコースからのスタートでは、スコアメークに困ることが多いのだが、昨日は何故か調子よかった。  だが、15番ホールでは、案の定2打めのボールが谷底へ消えていった。 16番から18番の途中まではゲリラ豪雨のために合羽を着ることになったものの、その後は天候も回復して今シーズンを飾るにふさわしいラストコールになった。 


「五十肩」に悩まされ、寒さと一時の雨にあたったことを考えると、OUT44、IN47というグロススコアはまずまずの出来でなかったのではないかと思っている。 


納会は、例によってペーパーゴルフにラッキー賞抽選などでおおいに盛り上がった ネ

2010年11月13日土曜日

半年後

春の桜の時期の「繪」から、半年も経つと、右の写真のような落ち葉の季節になっていた。 は、春と秋の二度、「花見(葉っぱ見)」の演出をしてくれる。 どちらの見物も良いもんだが、人によっては好き嫌いが有るかも知れません ネ  (オガクリの向かい側のメモリアルパークへ上る坂道の桜並木)

2010年11月11日木曜日

介護の日

今日は、11月11日なので、「いい日いい日」と読んで、2008年から、「介護の日」と名づけられています。

福島「なご美会」の絵手紙サークルのみなさんが、「オガクリ」に通院している患者さんの誕生日に合わせて「健康 絵手紙」を送ってくれています。 一年間送り続けていますが、まだ一部の患者さんだけにしか郵送できていません。 仕事の合間に画く絵手紙なので、なかなか大変なようです。

ハガキを受け取った患者さんからは、お礼のはがきや手紙が送られてきます。  「なご美会」のみなさんのハガキに書かれた言葉にも励まされ勇気をもらっているようです。 

みなさんを応援しています ヨ


福島「なご美会」からの「健康絵手紙」

2010年11月10日水曜日

レインボー

出勤時に見た虹
今朝は、朝から小雨が降り、時に大粒の雨となったりの不安定な天気で、午後から往診日だと言うのに、大変だな―と思いながら白符地区あたりを病院へ向けて車を走らせていると、
フロントガラスの向こうに「虹」が現れた。

持っていたカメラでパチリと1枚いただきました。 今日は、良い1日になることでしょうかと思わずには居られません。

インフルエンザの予防接種のため、松前町や福島町の施設を午後から訪問しました。

今年は、もうすでに「A香港型」が札幌などで流行し、小学校の学級閉鎖などの報告もあることから、早めの予防接種が望まれます。 今年のインフルエンザの予防接種は、「A香港型・B型」の従来の型に昨年流行した「新型」を加えた三価のワクチンなので、一度の注射で済むことが特徴です。 本当に早めの接種が望ましい ヨ

2010年11月9日火曜日

四つ葉のクローバー

クローバーの話は、色々想い出もあるところだが、最近の道新の「いずみ」欄にこういう話が掲載されていました。

患者さんから頂く
投稿者は乳がんを患って苦しい闘病生活を余儀なくされていた主婦です。 その彼女のところへ、近所の主婦から摘んできたばかりの数本の「四つ葉のクローバー」をプレゼントされました。 病気見舞いなら、もっと他の物もあったろうに野草の贈り物でした。 

でも、投稿者はとても感謝しました。 送り主の主婦には、障害者の子供がいるにもかかわらず、夫と三人で、笑い声の絶えない家庭を築いていたからです。 自分も辛いはずなのに、「幸福の贈り物」を届けてくれたことに勇気を貰ったようだと感じたそうです。 長かった抗がん剤治療も一段落し、結果も良好でした。


「いずみ」欄の投稿には、いつも琴線にふれる話が紹介されます。 

そうした一日の始まりは、気持ち良くスタート出来るんです ヨ

2010年11月8日月曜日

南北海道駅伝競走大会(結果)

一般男子
昨日は、風は少し吹いていたものの、11月初旬としては暖かで、小春日和というところだったでしょうか。

恒例の駅伝競走では、毎年注目している「木古内恵心園」チームが42チーム中40位という順位に上げてきました。 日頃から入居者(お年寄り)のお世話をしながら練習に励み、ひとつづつ順位を伸ばしていることに感心しています。 
来年以降も是非参加して下さい。

さて、一般男子の部(42チーム)と一般女子の部(19チーム)の成績を紹介します。 
男子は1位が「第18普通科連隊A」チームで、4連覇の偉業達成です。




一般女子
女子は1位が「札幌医科大学」で、初優勝です。 2位は「東京理科大学A」でタイム差はナント29秒でした。 ゴール寸前までデットヒートが続き、きっと面白いレースだったでしょう。 
わたしは丁度その頃、6区間の一般男子の救護班の車の中でしたが・・・。

走り終わった後は、福島ライオンズが提供する「ちゃんこ鍋」や肉まん・あんまんで、疲れた身体へエネルギー補給をしていただきました。 また、来年も福島へ来て下さい ネ

2010年11月6日土曜日

28回南北海道駅伝競走大会

今年の駅伝ポスターもできあがり、いよいよ明日が本番です。 今年も139という多くの参加チームがあり、熱戦が繰り広げられると思います。 

今夜は出場選手の歓迎の意味で恒例となっている「南北海道駅伝競走大会交流会」が、当町福祉センターで午後6時から行われます。 懇親の後、協賛店から提供された品の抽選会も行われる予定で、熱戦前夜のホットしたひと時を過ごしてもらいます。

例年どうり私は救護班として、6区間のコースの最後尾の走者について伴走することになっています。  楽しんで走って下さい ネ
今年の駅伝ポスター

2010年11月4日木曜日

文化の日

作日は「文化の日」でした。
福島町は町の発展に寄与した個人・団体の『福島町表彰式』を午前10時から福祉センターで行いました。
功労者5名、顕功者1名の表彰の他に、感謝状贈呈が1個人3団体(福島小学校児童会を含む)に贈られました。

会場には、町内の主だった方々が出席されていて、お祝いをして下さいました。 
わたしの場合は、「学校医として20年以上にわたって学校保健の向上に尽力してきている」という理由から功労者の対象になったようです。

健康に気をつけてやってこれたからの結果だと思いますから、家族に感謝しなければなりません ネ
福島小学校児童会のみなさん




2010年11月2日火曜日

感謝

感謝してます! みなさんに!

福島「なご美会」熊谷正春

2010年11月1日月曜日

霜月

今日から11月となります。 本当に早いもので今年もあと2カ月となってしまいました。 


先月は、待望の「富士山」を真近に拝むことが出来ました。 ロープウェイが山頂に近づくにつれ、富士山の頂から裾野へと展開が拡がって見えた時は、思わず歓声と拍手が起きました。 


欲を言えば、頂きに冠雪をいただいていれば最高でしたが・・・。  その富士の雄姿も1時間もすると、山頂が雲に隠れてしまい見えなくなってしまいましたから、眺められただけでもラッキーと言わなければなりません。


 さて、このブログもH20年11月2日スタートしたので、満2年を迎え、3年目に入ります。 よく続けられているな~と、自分でも感心しています。 


その時の最初の記事は「第26回南北海道駅伝競走大会」を書いたと思いますが、今年も来週の日曜日に町内の国道・道道を舞台に選手達がたすきをリレーして行われます。


さて、今年のシンガリ(最後尾)は、どこのチームでしょうか ナ