2010年11月25日木曜日

今年の町史研究会

昭和7年青木郭公(椅子上)を囲んで





「暁雲」第2号

「福島俳壇と青木郭公」と題して、当会の副会長の金沢秀一さんが月例の研究発表を行った。                                                    
「暁雲」は、北海タイムスなどの新聞俳句の選者を長年していた青木郭公(かっこう)が大正15年11月に創刊した俳句雑誌で、福島町の当時の俳壇の「暁雲」への入会は昭和3年の4月号の時からです。                                          
昭和初期の頃の福島町の俳壇は、俳句結社「松花会」をつくっていたが、それに飽き足らずに、昭和3年大津禅良、金沢青柿、工藤碧水ら7名で「暁吟社」をつくった。  ですから、青木郭公を迎えた昭和7年頃は、「暁吟社」にとって黄金時代を迎えようとしていました。   

金沢青柿さんは金沢副会長の父で、「暁雲」誌上たびたび話題となった句を投稿していた。

金はないが鯡玉あり米貸せといふ
女一日三十銭の春出面
春財布底まで見せて渡しけり
人に渡した家の桜見て通る
救助米買ふ親類のまわた金
米びつに米一俵明ける妻よ子よ


これらは全て金沢青柿が昭和7年から10年頃に詠んだ句です。 当時の生活の厳しさを十二分に表現した内容になっています。                                 
昭和43年、「暁吟社」は創立40周年を迎え、会の代表の大津禅良さんは勲五等瑞宝章を授与されました。 一主催が40年という歴史を持つ俳句団体は当時の北海道に二つとなかったからです。 本当に素晴らしいことです ネ