2010年6月22日火曜日

会報第9号


6/22(火)

やっと出来上がりました。 第9号の会報『永』は、例年のように7人の会員の原稿に、昨年まで会員だった山下章さんと今年4月の例会に講演してくれました塩谷忍さんの特別投稿が加わり、22ページのものとなりました。

福島の街づくりに係わってきた小松さんの連載や、山下さんの旧国鉄松前線の懐かしい話など、町が編纂した「福島町史」には載っていないような話題から、少しでも福島町に関係した事を扱った内容なら、すべて記録保存という意味合いから掲載しています。 

ですから、川合正子さんの北朝鮮に拿捕された町内の船団の話は、一歩間違えばいわゆる拉致問題に発展しかねない内容の事件だったようで、背筋が凍るような思いをしました。 帰国できて本当に良かったという思いでいっぱいです。 そうした家族の方々が身近に住んでいるということも、歴史の証人を見ているわけで、これからも歴史の事実を書き留めていって欲しいと願います。 

公官庁の歴史書に載っていないような「民間の歴史」をまとめ保存し、後世に伝えていくために記録(会報)しておくことも、小さな事のようですが大切ではないだろうかと思って活動しています。 

新聞社が取材に来てくれたので、少しでも多くの方々に読んでいただき、ご意見(ここが間違っているとかでも何でも)をたくさん頂ければ、今後の私たちの活動のエネルギーになりますので宜しくお願いします ネ

2010年6月15日火曜日

南アW杯(日本vsカメルーン)

6/15火)
 サッカーの第19回ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会が始まって4日目の14日、ブルームフォンテーンのフリーステート競技場で日本とカメルーンの初戦が行われた。 

 結果は1‐0で日本の勝ちとなり、W杯で初戦勝利という「はじめて」の快挙をサムライjapanがやってくれました。 夜11時のキックオフにもかかわらず、サッカー大好き人の他、たくさんの人々が応援したと思います。 NHKの視聴率が何%になったか楽しみなところでもあります。 

 8年前の日韓同時開催の時のサムライjapanが決勝トーナメントへ進出したように、チーム一丸となってやってほしいです。 ベスト4に拘らないでくださいでね 岡ちゃん!

 今朝は何と言ってもこの話題で盛り上がります ネ

 

 

2010年6月14日月曜日

エース(2)

6/14(月)

 一夜明けてのDr.オガクリ「日曜ゴルファー ゴリラ」君です。

 ホールインワンした「スーパーニュウイング44」のボールをティアップして、ハイポーズ。

 ちょうど先日、「ゴリラ」君の作者 み蔵(小笠原末蔵)さんから手紙を貰ったばかりでした。 み蔵さんは今札幌で個展を開いているところで、そこに長年懇意にしている方が訪ねてきて、「オガクリ日記」のことを話していたそうです。 
 おそらく「オガクリ日記」のプロフィールの写真を「ゴリラ」君にお願いしてポーズをとってもらっているので、そこを見てみ蔵さんに教えてくれたものと思います。 このブログもいろんな方に見てもらっているんだな~と感激です。

 もう20年近くなるでしょうか、わたしの所で日曜毎にせっせセッセと芝狩りゴルフをしていた「ゴリラ」君が、今日は「エースの時のボール」をティアップして、やっとひと仕事を終えたかのような満足の様子でスイングしてます ネ

(プロフィールの写真も更新しました。 ボールはホールインワンの時のものです)

2010年6月13日日曜日

はじめてのエース

6/13(日)
ついにやりました!  

ゴルファーなら一度は経験してみたいと思う事が「ホールインワン」です。

町内に「ゴルフ愛好会」というクラブがあり、大沼国際カントリークラブで今日6月の例会が行われました。 9時15分スタートの予定のところ、昨晩医師会の全理事会があり、そのあとの懇親会が長時間続いたこともあって、ゴルフ場には9時の到着となってしまった。 

ところが、いつも「愛好会」の月例受付をしてくれる担当者がいません。 何か嫌な予感がしたが、フロントに訊ねると「今日の例会には出席となっていません」とのことです。 びっくりしていると、愛好会の会員の一人がまだフロントのところにいて、一組目がまだスタートしてなかったので、急遽プレーできるように取り計らってもらいました。 

全体は5組の編成だが、ちょうど一組目だけが3人だったので、その組に入れて貰ってのスタートです。 当然、スタート前の打ちっぱなしやパットの練習もなく、ストレッチすらする余裕もなく、ティーグランドに立つことになり、何とかティーショットを無事に打って発進しました。

アウトスタートの前半は、ボギーはあるもののパーもなければ、バーディなどお呼びでありません。 濃霧で視界が悪く、太陽の姿も見られないコンディションですから、芝生の上をウォーキングするいつもの「健康ゴルフ」の一日だと考えてプレーしていました。 49で前半を終了できました。

後半のインに入って10番ホールのティーショットは右にそれて、バンカー方向へ行った。 いつもならバンカーのはずが、そこにボールはなく、濃霧で見えずらいが、そのバンカーのずっと先の方にボールがあります。 今日はいつもより距離がでていると感じながら10番をダブルボギーで終わりました。
前の組は、プライベートのカート使用者で、進行がゆっくりしていてホール毎に小休止ができます。 次の11番ホールでも随分と待たされましたが、「健康ゴルフ」ですからのんびり構えてのプレーで、二番目にショットを打ちました。 

「11番ホール」は、ティーグランドのすぐ前に池があり、グリーン手前の両側に杉の木が数本立ち並ぶためフェアウエイがひどく狭く感じられ、1メートルほど打ち上げる168ヤ-ドのショートホールです。 少しフォローの風が吹いているが、クラブを4番アイアンにするか5番にするかで、ちょっと迷ったものの、濃霧でグリーン上のピンフラッグがかろうじて見える状況では、グリーン手前にボールが飛んでくれればいいんだがと考えて、「5番アイアン」を手にしました。 

待ち時間があったため、後続の組のプレーヤー達も見守る中でのショットでしたが、一度素振りをした後のショットは、振り抜きがスムーズで、ボールは霧の中へ吸い込まれていくようにピン方向へまっすぐ飛んでいきました。 グリーン手前に落ちたボールはそのままラフにくわれて止まったようにも見えたが、ハッキリしません。
今日は、全道ゴルフクラブ対抗選手権に向けてのクラブ内選考予選会が行われていましたから、ピンのセッティングも難しいところに切ってあり、ピンはグリーンの左10メートル手前5メートル程の場所です。 
グリーンに近づいていってもそこにボールらしきものが見えないようなので、キャディからサンドクラブをもらってラフからの第二打に備えました。 やはりグリーン手前まで来ても、ラフにも手前エッジにもボールがありません。 グリーン上には、先に打ったシングルプレーヤー(わたしのゴルフの師匠のHさん)のボールがナイスオンしているだけです。 
わたしのボールは低い球筋で打ち出されたため、ラフからグリーンにのり、さらにグリーン上を走って奥のエッジかラフまで転がっているだろうと見てみたが、やはりボールはありません。 不思議だなと思いつつ再度手前のラフを見まわしたが、やはりありません。 

同伴のHさんが、「カップに入っているんじゃないの?」という一言でハットしながらカップを覗き込むと、なんと「super NEWING 44」のボールがそこにあるではありませんか。 

ゴルフのテレビ中継などでの「ホールインワン」のシーンは、万歳をし、ハイタッチをするものだと見ていたが、今日の「ホールインワン」は濃霧の中でのプレーだったため、ボールが見つかって良かったな~というのが実感で、派手なパフォーマンスはなく、手を上げたり帽子を脱いで振って応えたりというおとなしいものでした。 

その後のプレーが乱雑にならぬ様に集中してインの各ホールを終え(48)、トータル97のスコアーでラウンドできました。 
スタート時点のトラブルはあったものの、ゴルフをやるからには一度はやってみたい「ホールインワン(エース)」でしたから、同伴者のH.Tさん、H.Sさん、K.SさんとキャディのS.Hさんらに感謝し、今日は何と素晴らしい一日だったんだろうと思いつつ家路につきました。

ゴルフって本当にいいもんです  ネ

2010年6月11日金曜日

米寿の内祝

6/11(金)

 今日帰宅すると、ある患者さんから「米寿内祝」という贈り物が届けられていました。

 「 五年前の大病も乗り越えての現実は夢の様でございます。 いくら長命な時代でも今日在る自分は神仏のお陰に先生方のお陰と心より感謝して、残された人生を愉しんで過ごして居ります。」 と、88歳のご婦人のものとは思われないようなしっかりとした文章の手紙が添えられています。 

 わたしは生まれ故郷で医院を開業しているので、このご婦人を小さい頃からよく知っています。  もちろん、同年代のわたしの母とも婦人会の集まりなどで一緒に仕事をしていたので、母からその当時のことをなにかにと聞かされていました。  昔は、テレビも多く普及していなかったためか、晩ご飯の後は、炉辺で親から「むかし話」を聞くことが多かったんです。 その中に時々、町内の会合の「おとなの話」も混じってくるのです。 知らずしらずと世間の常識を耳学問していたような気がします。 

 ですから、20年前の開業時、子どもの頃「大きな大人」と思っていた患者さんが来院すると、何だか一歩引いて「診て」いた様な気がします。 そんな感情はみなさんには理解できないと思いますが・・・。

 
 母はちょうど30年前に「クモ膜下出血」で旅立ちました。 

 米寿おめでとうございます! もっともっと人生を愉しんでください ネ