2010年5月29日土曜日

想い出のサクラ


5/29(土)
 今年の桜は、昨年と違って鳥の被害はほとんどなかったものの、寒さ続きで開花が随分と遅くなってしまいました。

 そのため、ちょうど今頃が遅咲きの桜が満開となり、あちこちで花見の会が開かれているようです。

 「オガクリ」の待合室から見えるメモリアルパークへ登っていく坂道の「サクラ」も今が盛りと咲き誇っています。 桜の苗木が移植されてから、もう何年になるでしょうか・・・。

 当時、松前町の患者さんで、自宅の広い庭に何本もの桜の木を植えている方が来院いていました。 ライオンズクラブの会員として知り合いになり、松前町の郷土史家の永田富智先生が主催する「歴史探訪」にも参加して、一緒に下北半島を巡った想い出もあります。  その方が、待合室に座って窓の外を見上げると殺風気な坂道だけが見えているので、桜の木を植えることにしませんかという提案をしてくれました。  実は、わたしも何か物足りない風景だと感じていたものですから、二つ返事でお願いしました。

 その「サクラ」が、今満開なんです。 苗木も今では立派な「木」に成長し、オガクリを見守ってくれているようです。   その方(Tさん)は、白いりっぱな口髭が自慢で、眼鏡の奥の優しい眼ざしが今でも忘れられません ネ 


2010年5月27日木曜日

熊谷草と敦盛草

5/27(木)


北海道では、今の時期写真のような「熊谷草」が平地でも咲いています。 

源平合戦が行われていた当時、馬に乗った武者は後ろからの弓矢攻撃を防ぐため、母衣(ほろ)という風船のようなものを背負って戦っていたが、その姿に似たような花を付けているので「熊谷草」と名付けられたようです。

白をベースに紫の模様が付いたようなクマガイソウに対して、赤紫色の花で白の模様がつけられた母衣状の花は「敦盛草」と呼ばれています。 


もちろん二つの花の由来は、「平家物語」の敦盛の最期の話にちなんでいるようです。  
神戸の「一の谷の合戦」で敗北した平家を追っていった源氏の武将、熊谷次郎直実は自分の息子と同じ年頃の平家の若武者の一人の首を討ち取らざるを得なくなって実行したが、その後若武者の霊を弔うために、出家してしまいます。 その若武者が、平清盛の弟経盛の末子で無官大夫といわれた敦盛です。 琵琶の音色が物悲しく奏でる「敦盛」のくだりです。 その時敦盛は満15歳です。

敦盛自身は、横笛の名手で、その時の戦場にも「青葉の笛」を所持しているくらいでした。 直実が沖に逃げようとする敦盛を呼び止めたところ、揉み合いになって馬から二人は落ちて、その時「名乗らずとも首を取って・・・」という名セリフがうまれ、後世の人々の感涙を誘っているのです。

クマガイソウとアツモリソウは、知ってか知らずか何事もなかったように美しく咲き誇っています。 人々はそこに何を見ているのでしょう カ

2010年5月25日火曜日

松前絵手紙 向日葵の会


5/25(火)
 松前の絵手紙の会「向日葵の会」が、今年で10周年を迎えたそうです。 

 函館市にお住まいの北出喜代彦さんを講師にお願いし、毎月第2日曜日に例会を開いています。 その時のスナップ写真をお借りしましたので、掲載しておきます。  会員のみなさん、真剣に北出先生のお話を聞いております。

 これからも、こころに残るいろんな作品を描き、わたしたちを元気づけてください ネ
 

2010年5月24日月曜日

歴史探訪ー2


5/24(月)

 昨日まで、東北の「円空仏」を拝観するために津軽半島の松前街道をレンタカーでドライブしてました。

 三厩村の義経寺、平舘村(外ヶ浜町)の福昌寺・平舘神社、蓬田村の正法院、そして青森市油川の浄満寺の四カ所に、寛文6~7年(1666~1667)ころ円空さんが津軽を行脚した時に作像した小坐像の「円空仏」が安置されてあります。  

 義経寺の奥の院に安置されてある円空仏は、33年に一度ご開帳されると言う事で、拝観することはできなかったが、境内の土産物店の牧野さんに色々と話を聞くことができました。  明治26年が第一回目のご開帳で、平成12年に第五回目のご開帳があったばかりだということです。 次のご開帳が23年後ですから、どうなりますでしょうか?  三厩の円空仏(青森県重要文化財)は、写真で見るかぎり福島の有形文化財のそれとほぼ同じ様式の作りをしている観世音菩薩です。  
 
 蓮華座と岩座の二重台座の上に、定印をした手に蓮鉢を載せ、納衣の腕のところに深い切れ込みをもたせた胴体で、高い螺髪に細目の微笑みを浮かべた満月顔の様式は、蝦夷地行脚の後半に完成させた手法で、福島(礼髭村、吉岡村)で二体作像したものと、ほぼ同じものを松前街道の起点となる三厩でも作像していたことになるわけです。 そのご円空さんは、松前街道の三カ所に立ちよって小坐像を作ってから弘前方面へ向かったものと推定されています。 

 今回の探訪では、油川の浄満寺で思いもかけずに円空仏の拝観を許されました。 そこに安置されてあるのは、蓮鉢を持たず、螺髪も低い如来さまでした。  やはり県の有形文化財に指定されていますが、今までの円空仏の写真集には載っていなかったものなので、拝観出来たことは大きな収穫でした。 上の写真が浄満寺の円空作の釈迦牟尼如来坐像です。  礼を言って寺を辞す時、和尚さんは穏やかな笑顔で送ってくれました。 

 次の歴史探訪がとても愉しみになってきました ネ

 

2010年5月22日土曜日

少年野球大会

5/22(土)

 今日、福島ライオンズクラブ創立40周年を記念して開催される渡島西部4町の少年野球チームによる「西南4町交流少年野球大会」が当町で行われます。

 松前と福島が2チームづつ、木古内と知内が各1チームづつの計6チームによるトーナメント戦で行う予定なので、二日間での勝負となります。  選手はもちろん、応援する家族も二日間はしっかりとがんばることでしょう。 

  天候にも恵まれるようですから、がんばって ネ