2011年8月13日土曜日

8月の13日 

26年前を想い出す。 

その年の6月にロスから帰国しました。 3年ぶりの日本は、随分変わっているかと考えていたが、驚くほどでもなかったと記憶している。 ロス在住の時に一番日本を恋しいと感じていたことは、「畳」の感触にあこがれていたことでした。 やっと日本だな~と思ったのは、和室の畳の上でごろ寝をした時だった。

臨床を診ることから相当離れていたため、大学の当時の内科教授(谷内)にお願いして臨床研修させていただきました。 外科や小児科などの複数科のある病院ということで、芦別市立病院を選んでくださいました。 北海道の中心に位置し、富良野市がとなりにある街と言えばわかり易いでしょうか。 「北の国から」の放映で、人気急上昇の地域でした。

一度挨拶に伺って、赴任は「8月13日」と決めました。 丁度お盆の時期で、お盆休みを取る職員もいるなかで、一日でも早く実地臨床を始めたいと考えたからです。 とっても暑い日だったと記憶している。

仕事が終わってから、医局の先生方が歓迎会をしてくれることになり、市内の鮨屋さんに出かけました。 二次会は、同じ建物の同じ経営者のカラオケスナックで行われ、8時を少し回っていた時刻だったと思います。 一曲目がオーダーされる前だったから、通常のテレビ放送(NHK)が流れていた。 

突然画面が変わって、臨時ニュースに切り替わった。 羽田を飛び立った飛行機が行方不明とのアナウンサーの説明だったので、後に起きた大惨事(御巣鷹山の飛行機墜落事故)のような事まで想像することもできなかった。

それがわたしの芦別での5年間のスタートの一日目でした ヨ

2011年8月12日金曜日

永田文庫

今日は朝から何となくソワソワしていたかも知れない。 たぶん職員の誰かは気付いて居ただろう。

現在札幌に住んでおられる、「福島町史研究会」の顧問の永田富智先生が当町へ立ち寄られ、会員との懇談の場を設けて頂けるということになっていたからです。 と同時に、長年集められた膨大で貴重な資料を含む先生の蔵書が当研究会へ寄贈されたため、それを記念しての集まりでもありました。 「永田文庫」と名付けられ、福祉センターの一室で閲覧できることになりました。

一昨年、松前町で会ってから久しぶりという会員もおり、本当に懐かしいひと時を持つことができました。 ここ数年は、かなり重い病に悩まされ、たいへんな闘病生活を送られただけに、きょうの再会はとても嬉しいことでした。 話す力も、しっかりされ、話す内容も、福島の士族について調べ、以前福島大神宮の土砂崩れの時に出土したさまざまな文書類を研究し、ここ福島村で晩年を過ごした松前広長「福山秘府」の作者)の別荘(清音館)のことなどを調べ上げるようにというもので、今後の当会の研究の道しるべを語ってくれたように思いました。

永田文庫は、閲覧は可能だが、貸し出しなどについては、図書室との兼ね合いもあり、今後のこととなります。 教育委員会が蔵書の保管場所を福祉センター内に確保してくれたため、町民のどなたでも利用できるということで、非常によかったと感謝しています。

さて、懇談会の後、永田先生と娘さんの谷口宏子夫妻も同席して、喉を潤すためスナックへ会場を移したところ、永田先生が軍歌を数曲唄ってくれました。 今までの病状を思えば、何と言う健康回復なんでしょう。 みんなビックリし、拍手喝さいで夜は更けていきました。 

今年87歳です。 米寿のお祝いの事を考えましょう ネ


2011年8月10日水曜日

雨傘

今日の雨は、最近本州方面で多くみられるようになり、局所的に突然大量な降りかたになるため被害も甚大となることがある「ゲリラ豪雨」によく似ていた。  毎週水曜日は午後から往診する日なので、わたしも今日その被害に遭ってしまった。

午前中は、晴れていたため、午後2時「オガクリ」を出発する時は、ついうっかりして傘を車に用意することを忘れていました。 最初の2軒目までは何の雨模様でもなかったものが、その後急に空が曇り始めたと思ったら、アッというまに“ザーザー”と激しい勢いで降りだしてしまった。

傘の用意をしていなかった不注意のため、3軒目の公営住宅の2階から出るに出れない状況になってしまっていた。 「老夫婦の往診先から傘を借りることはできるだろうか?」と思案しながら階段を降りてくると、1階の部屋の住人も当クリニックの患者さんでした。 一人住まいのご婦人でしたから、ひょっとして貸し出せる余裕のある傘があるだろうと思い、話してみると何本か見せてくれた中から最も大きな傘を「どうぞ~」と貸してくれました。

移動する地域によって雨の降り方が違うので、どしゃぶりのところではその傘を使えたので、大助かりでした。 本当に有難うございました。 


ただ、雨傘」と言えば、わたしにはとても胸が痛むつらい想い出があります。 小学6年の夏の頃だったと記憶している・・・。

当時、とっても仲の良い同級生(N.S君)がいました。 彼はクラス、いや学年でもトップクラスの成績で、スポーツもできる文武両道で、みんなの憧れの生徒でもありました。
のんびりしている田舎の子供でも“学ぶ”ことの大切さを、すこしは判っていたから、なんとか彼に勉強を教えてもらおうと、わたしは彼の家へ何度か行ったことがありました。 

彼は、優しい心の持ち主で、一緒に勉強することに賛成してくれました。 彼の親も子供の勉学の環境を考えて、彼専用の勉強部屋を増改築するほど教育熱心でした。 田舎では、勉強部屋の個室を造って貰うなんて、ごく限られた大家しか聞いたことがなく、大変珍しいことでした。 中二階への階段を登っていくと、彼の個室です。 とても羨ましいやらで、彼がとっても輝いて見えたものです。

朝早く起きて勉強しようと約束もしたが、甘かった僕は寝坊ばかりで、いつも彼が呼びに迎えに来てくれました。 本当に心優しい、良く勉強のできる優等生でした。 貧しい僕にも、とっても良くしてくれました。 感謝しても感謝仕切れません。 

そんなある日の午後、学校帰りに突然雨が降ってきました。 彼のおばあちゃんが、「これをさして帰りなさい」と言って、一本の雨傘を貸してくれました。 大きな大きな傘だと、その時は思いました。 雨は、やはりゲリラ豪雨みたいに、まもなくやんでしまいました。 そうなると、その大きな傘は、子供にとっては邪魔になるだけです。 棒を振り回すように振っていると、取っ手のほうを、何かにぶつけてしまいました。 取っ手は簡単に“ポキン”と折れてしまいました。 それをつなげようとしても後の祭りです。

笑顔のやさしいおばあさんに会わす顔がなくなり、そのうちに少しずつ彼の所にも勉強しに行きづらくなってしまいました。 何とかその穴埋めをしよう、就職して給料を得たら真っ先に傘を買っておばあさんのところに行こう・・・などと思っていたが、その望いも叶わぬまま、おがあさんは亡くなってしまいました。

後悔する気持ちだけで、言葉・行動に表せなかったまま日々が過ぎてゆき、その後とっても仲のよい彼とも交流が無くなってしまいました。 というのも、彼の家族は、彼が中学へ進学するのを機に、将来の勉学のために函館へ転居してしまいました。 当時の函館は、福島から見れば、勉学の環境が整った大都会でしたから・・・。

今なら彼にその時の「事件」を語り、それに対する対応の拙さを素直に詫び、疎遠になった事を謝ることができると思うし、そうしなければならないと思います。 

小学6年の頃のとても「辛い想い出」でした ネ

2011年8月8日月曜日

あとの祭り

生きの良い朝イカ
刺身が旨い
私の大学の大先輩渡辺淳一先生が週刊誌『週間新潮』「あとの祭り」というエッセイを寄稿しています。 今週号で連載 358 と言いますから、もう随分長いこと掲載されていることになるんですね。 

今週のタイトルは「わたしが体験した戦後 和田心臓移植がおこなわれる」です。 日本初の心臓移植を行った和田先生とは、和田寿郎先生のことで、二年後わたしが入学することになる大学の胸部外科学の教授をしていました。 当時、高校3年生だった私は、テレビや新聞で連日報道される快挙のニュースに、ただ凄いことをしたんだな~というくらいの感想だったかも知れません。 そのニュースが、今の仕事を選ぶきっかけになったとも思いません。 ただ、とっても暑い夏だったことだけは記憶しています。

今週号の話は、これから書き進めるイントロのような文章で、「今や心臓移植を受けた宮崎信夫君の名は誰一人知らぬ者がなく、それとともに和田教授の名声は全国に知れ渡っていた。」という終わりかたをしています。 渡辺さんは、『ダブルハート』という小説を書いているし、その後の心臓移植についても意見を発信しているので、来週号からが気になるところです・・・。

そうそう、その心臓移植は、昭和43年(1986)の8月8日に行われました。 その年は、明治元年からちょうど100年が経っていました。 年の初めから、切ない事件が続いたという想いがあります。 東京オリンピックのマラソンで、アベベ選手と優勝争いをし、国立競技場まで2位で入ってきたものの大観衆が見守る中、後から走ってきた選手にトラックで抜かれてしまい3位の銅メダルになってしまった円谷選手の自殺報道などがあったからです。 

今日8月8日は、もう立秋です。 手紙の挨拶では「残暑見舞い」などとなります ヨ

【その年の主な出来事の抜粋をインターネットからコピーしておきます】
01/09 マラソンの円谷幸吉選手自殺.
01/17 佐世保で米原子力空母エンタープライズ寄港反対の抗議集会.(19日入港).
01/29 東大医学部で医師法改正に反対,無期限ストに突入(東大紛争の発端
02/06 第10回冬季オリンピック・グルノーブル大会.日本選手62人参加.
02/20 静岡県清水市で2人を射殺した金嬉老,寸又峡温泉の旅館に人質13人をとり龍城.24日
逮捕(金嬉老事件).
02/21 えびの地震,死者3人.
02/26 成田市役所前で空港反対の農民・学生,警官隊と衝突.
03/03 東京王子で米軍野戦病院反対の学生らデモ(18日開
04/14 日大の20億円使途不明金発覚(日大紛争の発端).
05/08 イタイイタイ病を公害病に認定
05/16 十勝沖地震,死者52人

05/27 日大生,全学共闘会議結成.
06/03 九州大学構内に米軍機墜落.4日学生・教授ら抗議デモ.
06/15 文化庁発足.
06/17 東大,当局に反対し安田講堂など占拠の医学部学生に対し,機動隊を導入.20日
全学部に紛争拡大

06/26 小笠原諸島,正式に日本復帰.
07/01 交通違反者にその場で罰金額記入した青キップを渡す「交通反則通告制度」スタート。
10.1交通違反点数制(ポイント・システム)もスタート.
07/01 郵便番号制スタート。当初の番号記載率は56%だったが、昭和63年には96%に達する.
07/07 第8回参議院議員選挙.
08/08 札幌医大教授・和田寿郎,日本初の心臓移植手術(83日後患者死亡)
08/18 岐阜県で観光バス2台,飛騨川に転落,死者・不明104人.
09/04 東京地裁,日大封鎖中の学生排除を執行.警官1人死亡.
09/26 政府,水俣病と阿賀野川水銀中毒を公害病に正式認定
10/13 第19回オリンピック・メキシコ大会.日本は215人参加.
10/17 厚生省,カネミ倉庫製米ぬか油中毒事件で販売停止通達(カネミ油症事件)
10/17 川端康成,ノーベル文学賞受賞.
10/21 国際反戦デー,全国600カ所で集会,デモ.反日共系学生,新宿駅占拠.22日騒乱罪適用.
10/25 最高裁,八海事件に無罪判決.
11/02 兵庫県有馬温泉の池之坊満月城で火災.30人死亡.
11/07 反日共系学生4300人,安保粉砕・沖縄闘争勝利を叫び首相官邸乱入.
12/10 3億円事件.東京府中市で白バイ警官に変装した男が現金輸送車を奪い逃走.
50年時効成立.
12/29 紛争中の東大・東教大,44年度の入試中止を決定




2011年8月7日日曜日

どすこい朝市

今日は、月一度の「日曜当番日」にあたっているため、朝少し早く起きて「どすこい朝市」に出かけてみました。 

7時が営業開始のはずが、7時5分に会場に着いたら、もう品物は販売の最中で、お目当ての物などは、すでに完売という塩梅なんです。 


売れ行きがいいと言えばそれまでですが、なんと早いことでしょう。

そこで、初めてポイントカードを作ってもらい、次回に役立てようと思っています。 

それにしても、みなさん朝早いです ネ