2011年7月21日木曜日

100歳の投稿者

中央の小判型の黒いものが蛍(千軒にて)
今朝の道新「いずみ」に、『手袋』という題の投稿が載っています。 
道端の草の上に、ちょっと使ったばかりで、まだ新しい軍手と手袋が落ちていたのを見た白老町の鈴木さんの作品です。 

昔は、手袋など見かけることもなく、たいへん貴重なものだったから、落し物であれば、その主へ届けるか、いなければ大事に自分のものとして使ったはずだが、最近は物あまりのせいか見向きもされなくなったと嘆いています。 

昔は身に着ける物はすべて母の手作りだったと、薄暗い明りの下で冬はこたつの炭火で暖を取り、家族の身に着ける物を作るのに余念のない母の姿が思い返されますと振り返っています。 「手っ甲」という言葉も懐かしい

投稿者の鈴木さんは、100歳とのことです。 どんな人生を歩んで来たのでしょうか? こたつの炭火と書いてますから、道内出身者なのでしょうか? 鈴木さんのお母さんはどんな人だったのでしょうjか?

色々思い巡らしながら、「今の世だから」物を大切にすることを訴えたいと、わたしも思います。 
鈴木さんの名前は「千代」と言います。 わたしの母も「チヨ」と言いました ネ 

2011年7月20日水曜日

千代の富士杯

第13回千代の富士杯成績結果
17日の日曜日、町内鏡山(かがみやま)境内において、「第13回千代の富士杯争奪小中学生相撲大会」が行われました。

道内は、札幌や夕張から、青森は鰺ヶ沢鶴田町中泊町などからも選手が参加しました。 当日は、まずまずの天候にも恵まれて、会場の境内の土俵上は熱気に溢れた好取組が続いたと報道されました。

結果は、小学高学年と中学生は青森勢が強い。 青森の三町は、特に相撲に力を注ぎこんでいるようです。 勿論、我が町も同じように練習に励んでいる子供たちがいますが、豆力士達の層の厚さの違いでしょうか? いづれ結果は出ることと思います。

さて今、名古屋では大相撲が行われてます。 信頼回復のために、力士達は毎日毎日真剣に土俵上で奮闘しており、魁皇関が最多勝利数を更新し、昨夜現役引退を発表したばかりです。 20年以上に及ぶ土俵生活は中々大変なことだったと思われますが、まずは記録を残した訳ですから、ゆっくりと休んで下さい。 お疲れ様でしたと、言いたいです。 我が町の横綱千代の富士関の最多勝利数を抜いた相手ですが・・・。 

H.22年 福島町での九重部屋朝稽古にて 千代の国
その今場所に新しい顔が生まれています。 新十両東11の千代の国関です。 今日までのところ7勝4敗で、明日に勝ち越しをかけている。 九重部屋待望の関取です。 みなさん期待して応援して下さい ネ

2011年7月18日月曜日

なでしこジャパン(2)

今日のニュースは、何と言っても「なでしこジャパン」「女子W杯サッカー」初優勝でしょう。

朝早く起きる予定が、前日の「The Open」の放送を深夜まで観ていたため、起きれなかった。 やっと、観れたのは、延長後半ロスタイムの時で、スコアは 2-2 のところでした。 ほどなくタイムアップとなり、5人選手によるキック合戦(PK戦)となった。 

先攻のアメリカの一人目は、ゴールやや右寄りにキックしたので、右に大きく飛び跳ねたゴールキーパー海堀は、やっとの思いでかろうじて右足をボールにあててゴールインを阻んだ。 何と言う運動神経の良さなのだろう。 120分の激闘の後だというのに、まだ身体がボールに反応してファインセーブをしたんですね。 

PK戦は、このシーンで決まったようなものでした。 ただ、4人目の日本チームのキッカー熊谷は、本当はすごく緊張する場面のはずだが、冷静にきっちりゴールの左上方の枠のネットを揺らしてくれた。 20歳だそうだが、すごいDF(ディフェンダー)です。 

勿論、澤穂希はジャパンチームのキャプテンとして、チームのみんなを引っ張り、自らも最多得点の5点をあげるなどしてMVPを獲得したわけで、最高のプレーヤーと思います。 尊敬します。

今日の結果の陰に、言葉では言い表せない多くの努力・ドラマがあるものと思います。 いずれそれはワイドショーなどで明らかになることでしょうが、とにかく今日の勝利は、今激動の災難に遭っている日本への激励のメッセージと感じます。 一つの目標に向かってみんなの力を結集すれば、夢が叶うんだということを「なでしこジャパン」が改めて教えているんだと・・・。  がんばれニッポン!!

2011年7月16日土曜日

円空さんの足跡

江戸時代の前期に、作仏行脚をしながら太田山・有珠山・恵山の三霊山を巡って「地神供養」をした僧円空は、今からちょうど345年前に蝦夷地へ渡ってきた。 


その頃の蝦夷地(北海道)は、松前を中心に今の函館が東の境、熊石が西の境という、現在でいう道南地域だけが和人地という藩の領土で、それ以外の蝦夷地はアイヌが住む土地であった。 藩主松前候は、初代慶広のあとの五代目の矩広が7歳で藩主に就いていた。 先代の4代高広が27歳で急逝したためで、筆頭家老の蠣崎広林(ひろしげ)が実際の藩の運営をしていたと思われる。

当時の世の中も今と同じ様に不穏な情勢にあった。 3年前の寛文3年(1663)には、宇須岳(有珠山)の大爆発が起こり、頻繁の余震と降灰が続き、作物への影響は甚大で、飢饉の原因にもなっていった。 寛文5年には、上ノ国の天の川が氾濫し多大な被害となった。 彗星も見られ、民衆の不安は増す一方であった。 また、アイヌとの交易にも和人の身勝手さが見られ始めて、両者間の関係も暗雲が立ち込め始めていた。

そうした松前藩にとっても、民衆にとっても厳しい世の中になりつつある時期に、ある僧が上ノ国の滝沢の滝で修業しながら大きな仏像を彫ったと家老広林の耳に入った。 5尺程(145Cm)の大きさの十一面観音立像で、稲荷社に安置されていたものを見て驚いただろう。 「祓い」の神(仏像)という意味を知って、家老広林は3つのことを僧に頼んだ。 

和人地のおもだった土地に「観音堂」を建てるので御神体を彫って欲しいと、有珠善光寺を再興して欲しいと、そして幼年君主矩広候のために仏像を彫って欲しいとお願いした。 勿論、和人地以外の蝦夷地の霊山を旅するための許可(証)を与えることも忘れなかった。

(2に続く)

2011年7月15日金曜日

日本初の快挙

アルバトロスとホールインワンを同一ラウンドで記録したのは、日本のプロツアー史上、男女を通じて初めて。 有村智恵はこの日、通算7アンダー(65)でホールアウトした。 

静岡県で行われている「スタンレー・レディース」女子ゴルフ第一日目で、有村智恵プロが、8番ホールでアルバトロスを、16番ではホールインワンを同じ日に達成したというもので、確立的には「3万年に一度?」という頻度だということです。

日本女子プロ協会の過去10年間の総ラウンド数は8万9482で、その間にホールインワンは148回胃、アルバトロスはたった5回でした。 同一ラウンドでこの両方がでるのは1080万9184ラウンドに一度の割合です。 ひとりで毎日1ラウンドしたとして、快挙は約2万9600年に一度という計算になるからだそうです。

当の有村プロは、この日の強運に「怖くなった」と話しているそうで、今回大震災に遭った仙台東北高校の出身で、宮里藍プロの後輩でもある彼女は、今後アメリカ女子ゴルフ界でも大いに実力を発揮してやっていける「強運」も持ち合わせていることが証明されたことにもなります。 

がんばれ有村! その日まで ネ