2013年5月25日土曜日

小さな小学校の大運動会

第10回吉岡小学校・町民合同大運動会のプログラム
地方は人口の減少に喘いでいる。 
わが町も例外ではないと言うか、それどころではない。 推計ではあるが後20数年も経てば、今の人口が半分になってしまう。 二千人台である。

であるから、オガクリのある吉岡地区の小学校も生徒数が激減してしまい、来月2日(日曜日)に予定されている今年の運動会も、「第10回吉岡小学校・町民合同大運動会」という名称になって開催されます。 生徒だけの運動会ではなくなって10年目という節目を迎えるわけです。

プログラムを見ると、懐かしい名前の競技が目白押しである。 借り物名人・パン食い競争・玉入れ・綱引き・樽転がし・・・などなどです。 なかでも、紅白リレーは応援に熱が入る種目で、自分が足が遅かっただけに今でも余計に意識してしまうひとつです。 一度でもいいから選手に選ばれたいと思ったものだが・・・それも遠い昔の想い出である。

親と子供たち、町内会のみんなが参加する一大イベントの運動会当日が好天に恵まれますようにと祈っています ヨ

2013年5月24日金曜日

田植え

今年は天候に恵まれず、寒い日が続いているため、ここ道南では畑仕事も例年になく遅くなっています。 芋まきなどもやっと済ませたという農家も多いんですが、水田となるとまた別です。

福島町では黒米という品種のコメを作っていて、結構人気があります。 小学校生徒の田植えイベントなど行って、秋の収穫時期にはニュースにもなっています。 

ところが、今日「オガクリ」に受信した患者さんが言うには、松前町では水田でコメを作っている農家は”一軒”のみだというのでビックリしました。 「ふっくりんこ」という品種を植えていて、やはり幼稚園や小学校生徒の田植え行事も行うそうだが・・・。 田植えは6月2日です。

それにつけても、日本の米作りはどうなってしまうんでしょうか!
今、TPPなどで注目を集めているコメ問題ですが、自前で食材を調達できない時代がすでにもうそこまで来ているんです ネ


2013年5月12日日曜日

母の日

今日は月一回の日曜当番日(救急)になっていたため、朝9時からクリニック(オガクリ)に出勤していた。 

新聞を見たのか、松前町からの患者さんも加わり午前中はまずまずの忙しさで働き、昼食の親子丼がとっても美味しく感じられた。 

午後になって、ホルター心電図をしていた患者さんが来院され、色々な症状・コメントを話して行かれた。 その方が、「母の日」だからと言って、白ワインを置いて行かれた。 丁度いい飲みごろに冷やしているからと付け加え、”今晩楽しんで下さい”という言葉も一緒に落として行かれた。

その御言葉にすっかり甘えてみようと言う気持ちに固まっていた矢先、函館から孫達がやって来ると言う電話が入った。 結局、「ジージー」となって一家団らんということになった。 これも良い「母の日」という事です ネ

2013年4月30日火曜日

三日坊主

ある人から偶然、「オガクリ日記」を見ていると聞かされた。 何だか少し照れくさい想いがした。 そう言えば、以前ある患者さんからも言われた事があった。

関東地方に住んでいる息子さんが福島町の公式ホームページで「オガクリ日記」のブログを見つけたそうで、それ以来福島町に関する内容の日記が掲載されるとプリントアウトし、FAXでその内容を福島町の実家の父親に知らせているということを聞いたことがありました。 実際にFAXも見せてもらいました。 

そんな話を診察の合間に聞きながら、血圧や食欲があるとか無いとか、からだの具合が良い悪い等の話などをしてコミュニケーションを取っていました。 

ここ数カ月間のブログの書き込みの件数が極端に少なくなっていたから、いつも見てくれていた人達(読者)は、ひょっとしてわたしのことを心配したり気に掛けてくれているんだろうかなどと自分勝手に思ってみたりもしていました・・・。 三日坊主はよくないです

書き込みの減った大きな理由は、高齢者介護の事業を新しく始めたことで、とっても忙しかったからです。 グループホームを行なうことにしたからだと思います。 

今年3月下旬から利用者の入居をスタートして、早一月が経ちました。 準備段階から色々な苦労があったが、いざ始めてみるとさらに種々の難問が待ち構えているという構図で、気の休まる暇がありません。 

一生懸命に働いてくれているスタッフ(宝)に支えられながら、一歩一歩前進するんだと言う気持ちでやっていきます。 もちろん、三日坊主はよくないです ネ


2013年4月29日月曜日

春の叙勲

今年の春の叙勲4099人の中にわが恩師の札幌医大名誉教授菊地浩吉先生(80歳)の名前があった。 先生の受賞は瑞宝中綬章というもので、同じく今回は女優の倍賞千恵子(寅さんの妹役)さんが旭日小綬章を受章したとも報道されていた。

もとは勲章というと”勲一等、勲二等、・・・”などと呼んでいたが、たしか10年程前からでしょうか今の呼び方に変更になったんだが、どうしてそうなったのか判りません。 序列に繋がるとでも言う意見だったのでしょうか? 

因みに、大綬章が勲一等、重光章が勲二等、中綬章が勲三等、小綬章が勲四等、双光章が勲五等、単光章が勲六等ということになります。

勲章の授与基準というものがあって、候補者には満70歳以上の形式的要件があり、さらに国または公共に対する功労の内容や賞罰歴などの調査が徹底的に行なわれるそうです。 刑罰の有無とは道路交通法違反などの罰金刑も含まれますから、余程の君子でなければ該当しないと思われます。 それらの調査時点で、多くの人はすでに失格(?)という場合が多いのでしょうか・・・?

なお受賞者は勲章を着用し、配偶者同伴で天皇陛下に拝謁するということです ヨ